2010年12月31日金曜日

年越し


これが年越し兼、御節になります。
戸隠の蕎麦はポッチ盛りが基本です。
後は黒豆、コンニャク、里芋、卵焼き、から揚げ、トロロ、ごぼうです。
色が地味ですね。
台所から見えるツララも冬らしい景色だ。
ただ主のお蔭で本当にいい年だった。感謝。

ハーレー


左はハーレーのスクーター250cc右は陸王です。戦前の写真ですね。年の瀬までこれかよと思うが、今日も明日も一日一日過ごす意味ではかわらないので、はい。
1903年にアーサー、ウォルターのダビッドソン兄弟とウィリアム・シルヴェスター・ハーレーによって設立された。ダビッドソンではなくハーレーの名が先に来るのは、心臓部であるエンジン設計をハーレーが担当したため。バイクはモーターサイクルと言われる様にまずエンジンに重きがある乗り物なのです。
製薬会社の三共(現第一三共)が生産した車両を日本国外へ持ち出さない事を条件に、サイドバルブエンジン車両の生産に関するライセンスやツール全てが日本側へ供与された。この三共製ハーレーは、巷間で言われるようなハーレーダビッドソンの模倣、コピーではなく、正式なライセンスを得て生産されたものでハーレーそのものだったが戦争で敵国の言葉が使えず「陸王」となる。戦後日本がアメリカのハーレーを作り続けていたことにはアメリカも驚いたと言われている。

かつてはデカい重い遅い壊れるそして高いという駄目バイクの代表的みたいなバイクメーカーで(今もデカく重く高いが)AMFアメリカンマシンファンドリィーという会社に吸収されたが、自分で買戻し立て直しに成功2001年以降日本のメーカーを抑え750cc超の大型車シェア首位を獲得AMFはその後倒産したので買い戻しておいてよかった。
仮面ライダースーパー1の愛車としてもショベルのハーレーが登場した。なぜあんなに道も広く大きなアメリカで速いバイクや車が生まれなかった背景には、大陸だからという理由があると思う。
日本の様に狭く何かあっても整備工場や病院、ガソリンスタンドが近いならなんとかなるが、アメリカは広すぎるので早く着くより確実に着く事や移動中の味にプライオリティがある。
日本から速く馬力のあるマシンが続々と登場してもただ排気量をデカくするだけの対処などが全てアメリカ的でそれがあの味を残してくれた。古いモデルが好きだが、やはり私の青春時代のショベルのビッグツインが好きで3日前も同じエンジンのノーマルマフラーのハーレーがセルを押したときの「ガッ、グッ、グルッグル、、ドドードーン」というかかり方は免疫が無いとやられてしまう程、腹に残る響き。ただ重量は345kgで超重かったです。
ただ新しいほど快適な速度が速く、エンジンの表情も面白みに欠ける。スポーツスターはまだ味があるが、速さでは差があっても883の方がよりエンジンの趣や、ハーレーらしさがあると思うのは私だけではないと思う(ただし883を1200にしたりローコンプものを除くまた速さなどトータルではもちろん1200が上いわゆるツインの味)。70年代みたいに大きい事はいい事だとはいえないが、、やっぱりどちらかと言えば多くの人は大きいのが好きなんだよね。
ハーレーは定価も高い数年でこんなに円高が進んだにもかかわらず値段を一切下げない。まあハーレーはある意味商品を売っている訳ではないのでわからいでもないが、では円安が同程度進んでも値段を変えないくらいの根性は見せていただきたい。

このように書くと何だかハーレーが悪いみたいに思われるかもしれませんが、そうではありませんしショベルの経験が無かったらジャンキーになる程魅力がある。本当に最近は故障も少なく正常進化だと言えます。おおいなる田舎が生んだ実にタフなバイクです。いつまでも残って★い。

2010年12月30日木曜日

BMW


プロペラを模したトレードマークで知られるドイツのメーカー。1916年 - グスタフ・オットーが航空機エンジンメーカーとしてバイエリッシュ・フルークツォイク・ヴェルケ株式会社(BFW AG)設立。BMW社自身はこの年をBMW誕生の年としている。人名ではなく地名が付く会社です。車では割と高級車として名を馳せているがバイクも確かに悪くない。
ただ国産の様に故障が少ないわけではない。シャフトドライブの車両が多いがその3割が大体粉砕するそれならチェーンにしたらと言いたいが変えないそれもまたドイツらしい。ただ部品をちゃんと管理交換していけば一生持つことも事実。
ドイツの製品と日本の製品が共通して誤解される事もあるが、日本人は器用で細かいところもつめすぐ改善してまた新しい物を作り上げるのに対して、手先の不器用なドイツ人は自分らを知りそんな自分らでも確実に良い製品を作れる精巧な機械を作って長い間作り続ける差が面白い。
昭和30年代はBMW一台で家が建つと言われる程高価な高値の花だったが今では結構買いやすいものだ。この前はBMW1100Rが25万円で思わず買ってしまった(綺麗で速く心地よく調子も良かったです)。
よく「あがり」のバイクと言われるが私にはやはり優等生で一生持つには無理と思いました。これは好き嫌いだけの問題でマシンの問題ではない。
作りこみはすごいが最近はあまりにも色々出しすぎで少し鼻につきます。かつてドイツのメーカーは自分の分をちゃんとわきまえて大衆車はフォルクスワーゲン、その一つ上はアウディ、BMW,ベンツ、スポーツカーはポルシェと明確に線引きがあったがそれも崩れつつある。
まあ、所詮人のすることではありますが自分の分からはみ出さない様にしたいとは思います。R80GS(パリダカ)がやっぱ私はいいかな。

2010年12月29日水曜日

カワサキ


モノ作りのメーカーで人の名前の付いている方が好きな私です。それは個人の意見が出た方が面白いモデルが生まれる事が多いからである(癖のあるモデルとも言う)
もし自分の名前の車を作ったとして、その自分の名前の付いたマシンがしょーもないものならやっぱり恥ずかしいと私は思う。
これが私ですという物を作りたいと思うはずだし、やっぱ作り手という人が見えないと面白くない。1878年に、松方正義等の援助のもと川崎築地造船所を設立した川崎正蔵さんのメーカー「男、カワサキ」これがこのメーカーの魅力を物語る。
だから一応国産バイク4メーカーはすべて人の名前これはすごいです。その4つのメーカーの中ではもっとも少ない販売ですが内容は一番濃いメーカーでもある。一番荒っぽい作りと原付やカブ系を作りたくないという考え方は面白い。
なんといってもマッハというバイクがすごい。金沢の甥も乗ってますが、他と全く違うマッハだけの音や加速アメリカでウイドゥメーカー(未亡人作り)とも言われたマッハは伝説である。また名前とイメージが合っている。今年春、長野市から上がってくるときダムの脇に一台のバイクが止まっていた。マッハ750でオーナーもなんか雰囲気が合う感じだったので声をかけてみて家まで来る事にそのあとお互いのバイクに乗りあってバカ話に花をさかせた。彼のお父さんもハーレーに乗っているらしい。遺伝するのか?
SS750又はマッハⅣとも呼ばれるが、曲がらない、止まらない、真っ直ぐ走らないと言われたバイクだが加速こそバイクの命だと言わんばかりのいのちを削るような吹け上がりは他の何物にも無い魅力があった。バラバラ、と不協和音を奏でていたその3気筒は5000回転を境にギューンという音に変わりそのすべてをただ前に前に進ませるためだけに共鳴する。
個人で所有したのはSS400だけだがマッハの末裔だけあって当時TZR250,RZ350,SS400と2サイクル車は3台もってましたが、速いのは前からの順、面白いのは後ろからの順番でバイクの面白さは速さでは無いと感じた。
でも船や戦車など大きな物を作っているだけに細かい事言うなよみたいないい加減さも嫌いでは無い。それにしてもエストレアやTR250はいい加減すぎる。もう欠陥品ですよ。去年落札した軽トラを引き取るためにそれなりの程度のいいTR250を落札し一通りメンテして走り出してすぐエンジンからオイルがそのご高速でエンジンをだましだましSAで大量にオイルを買いながら喜多方に到着した時は出品者に「キャンセルはありません。これではもう帰れないから」どうも新車でも同じ問題があるとネットで判明、なんで?やっぱカワサキだからしょうがないか。

2010年12月28日火曜日

スズキ


鈴木道雄が鈴木式織機製作所を創業。織機をつくるだけでは満足できずバイクと車を作り出す。乗って面白いエンジンを作るのだが何故かあまり乗っていない。ロータリーエンジンのバイクも市販した。今乗っているDRベースのカスタム車両がスズキだがそれなりに面白く具合も良い。先日久々に乗ったGT750も気持ちが良かった。
でもスズキで憧れるのは隼だ。世界最速というその性能はマジで、アメリカのテストでは世界のスーパーカーを相手にあっさりノーマルで333km/hを記録。世界一とか最強という言葉は実際に使えなくてもそれを所有する愚かさ、扱えない力を自分の股の下に置くという所有欲を満足させる機械である。
ただどうも多くのスズキの作り出すものは本気になれてない気がするのはわたしだけ?松岡修造じゃないが「本気になれよ」というものがバイクでも車でも多すぎる。隼を手に入れたら300km出して死ぬ可能性が高すぎるのでハスラーの400がいいかもしれない。木の大きなハンマーで打つような「ストーン、ストーン」というアイドリングを聴くだけでも価値があると思う。またほしいなー(バカだまったく)

2010年12月27日月曜日

帰郷


地響きの様な雷
飽きる事無く砕けちる波の花
灰色の空とさらに重い色の海
私はここで生まれて育った。
環境は人を育てると言うが
同じところで育っても人は皆それぞれ違う

「あなたの息子は死んだと思ってください。」
私が長野に来る時、父に言った言葉
その実家のコタツでテレビを見ている
家内も横でその番組を見て
「すごいねAKBフォーティ>ナイン<」とか言っている。
「そうだね。」と何事もなく過ぎる平和な時間も主が与えてくれたもの。
育てるのは主であって、それに何も足す事はない

2010年12月25日土曜日

ヤマハ



山葉 寅楠(やまは とらくす)が創業し日本では珍しく泥臭くなくブルジョアの雰囲気を持っていると思う。
基本的に生活必需品以外の物を作っていて、オートバイ、楽器、ヨット、ベッド、高級キッチン最近は携帯のフォーマット対応サウンド制御や音楽ソフトなども手掛けるが
私はやっぱバイクメーカーとしてホンダとまた違ったつくりてとして評価している。トヨタとも関係が深く幻の名車と言われるトヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハへの生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで限定生産されたスポーツタイプの乗用車
TOYOTA2000GTはバイクの技術を使った車では初のDOHCエンジンやローズウッドのハンドルやインパネはピアノ製作技術を応用したと言われ
その後のカローラなどでもYAMAHAの刻印の入ったエンジンが混じっていて(DOHC車の中にだけだが)全く同じ2T-Gでもトヨタで組んだのよりそっちの方が良く回ったので金のエンゼルの様にマニアにはもてはやされた。
確かに今見ても美しい、ポルシェもそうなのだがドアのカーブやタイヤに対するホールカットのアーチ、全体の曲線など芸術品と言ってもいい。エンブレムは七宝焼きでボンドカーとして唯一イギリス車以外使われたのもこれ!あれっ車の話になってきた。

初めて自分のバイクがヤマハだったり後では当時ナナハンキラーと言われるほど速いRZ350というバイクに乗っていた。
当時1500万円したポルシェターボと同等の加速がわずか50万円で手に入るという夢の乗り物だった。速さや馬力は麻薬と似ていてもっと速くもっと先へ進みたかった時期だった。でもそんな事ばかり続けていると違う方向にも行きたくなりSRなども乗った。
SRは32年も基本設計・デザインを変更せず今でも売っている日本では超ロングセラーなバイクです。RZV500やV-Maxも力こそ全てって潔さやデザインがいいですね。オフではセローもヤマハらしい。
初めてモトクロス専用競技車両を買ったのもヤマハだった。6気筒CBX1000を買うか80のオフ車を選ぶかマジ迷った。結局でかいバイクは50才になっても乗れるだろう。でもモトクロスは今始めないと50では無理だろうと思ったからだ。
わずか80ccしかない小さいなマシンに初めて乗ってぶっとんだ。今まで乗ってきたバイクは一体なんだったのだのかと思える速さを感じた。ナナハンより速い感覚があり、そうかファントムなど戦闘する為のマシンはこういうものかと思った。
モトクロスは道で飛ばすより危険とは思わないがどちらにせよ体といのちが残っていてよかった。ありがとう神様。今日から能登に行ってくるので少し更新はないかもしれませんが元気です。

2010年12月24日金曜日

ロールケーキ


巷ではケーキを食べる家庭も多いかもしれない。
今年は今日でいつも店じまいする野菜屋さんがくれたイチゴがあったので
ロールケーキを作ってくれた。手作りであってもすべて本物をそろえたものは美味しい。

ホンダ


ご存じ本田宗一郎が一代で立ち上げた今では世界的企業。
上は海外のCMだがまだホンダがプライベートジェット販売前なのか?絶対出てくると思ったけど、よければ見てください。
彼は100万円稼いでみたくて頑張っているうちに一日の利益が100万円を超えていたのを知りタマゲタとTVで語っていた。
彼の逸話は数知れずあるが、オートバイのレースで勝って勝って勝ちまくりレースをつまんなくしてしまうと言われていたホンダがついにF1に参戦、勝利したあとすぐにホンダの技術の粋を集めたターボがF1で禁止された。社員はみんなで「もう無理だーこれでうちも撤退だ。」と彼の所に押しかけ「大事な話があります」と詰め寄った。全部の話を聞いて一言「で、なんだ。うちだけがターボ使えないのかな」と聞いて社員は「いえレギュレーションですからみんな使えません。」というと「あ、っそう。で、大事な話ってなんだ。」と聞き返したという。

このCMでも出てくる初期型モンキーは石川の時代持っていて結婚前、今の私の妻が乗っていた。現在の相場は60万円もする。もとは多摩テックの子供用の乗り物だった。
最近ではGL1100も乗ってみた。ホンダの軽4輪のエンジンを2つ積んだバイクは道具としてはいいのだが面白みが無くてすぐ手放してしまった。
どうも今のホンダは私には優等生すぎる。ただハンターカブはお気に入りシンプルでタフ信頼の高い作りは山に行くにも安心です。
発展途上国のアジア諸国ではクーデター時、家族を乗せてバイクで逃げたなかで
燃費が良く壊れないホンダだけが生き残ったことも神話化される要因となっている。ホンダは音楽用語をバイクや車につけている。ボーカルやクインテット、ビート、プレリュード、ジャズ、ハミングなど面白い。
軽のステップバンも好きでした。5速にしてツインキャブわずか360ccで!145km/hも出て鈴鹿の途中、友人の乗っていたライトエースをぶっちぎった事もあった。初代のワゴンRが出たときそのエポックメイキングなスタイルと発想が絶賛されGデザイン賞も取ったがステップバンが先であり実によくできていた。運転席助手席ともまっ平らな事務スペースで鉛筆立ても標準装備だったのも好き何故今の車に無いのか。
以前から思っていたがホンダはCMに有名人をあまり起用しない。その人のイメージで売るのではなく「初めにエンジンありき」的考えと有名人を起用して失敗したトラウマがあると言われている。
ホンダはプライドがありコピーや物まねは出来るだけしない姿勢を貫いている。それはいいなー。昨日から降り出した雪は今朝また新しい世界を見せてくれている。
スキー場関係者も喜んでいるだろう。皆さんにとっても素敵なホリディでありますように。

2010年12月23日木曜日

ラビット

1917年海軍大尉中島知久平の中島飛行機」(1945年に富士産業と改称)が、富士重工業のルーツである。1946年8月にGHQの製造許可を得て20台が製作されたのが始まり。
太平洋戦争後に余剰となった爆撃機銀河の尾輪を2号車まで流用して装着した。
当初ポニーという名もあったが先約がありラビットに統一。昭和天皇に献納された事もある(彼は乗らなかったと思うが、、)一枚目の3輪車は今ヤフオクで出品中で30万円から

1955年にはラビット初の2サイクルエンジン車。国産初のグリップチェンジを採用したモデルも出た。
出足も良く、当時公表された最高速が70km/hだったのに対し、実際は85km/h以上出たことから爆発的にヒットした。
ちなみに映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で三浦友和が演じる宅間先生が乗っているのはこのS-71-2型である。
愛らしいそのスタイルはラビットという名にふさわしいし。

先月2枚目写真のラビットがヤフオクで出されていて私も見ていた。
世に好きものはいるものでこのご時世に120万円で落札された。実際にラビットを私が買うことは無いと思うが実にノスタルジックを感じる一台である。
ホンダがカブを発売した事もあり1968年6月に生産を終了した。会社自体は富士重工(スバル)として現在もあるがトヨタ資本になってしまったがスバルのレガシィは好きで家内も今まで乗った車の中で一番だったと言っている。
初期のツインターボで世界最高速記録を成し遂げたものと同系のエンジンを積むツーリングワゴン燃費は悪かったが車のくせに本当に気持ちいいエンジンの鼓動があり速かったです。トラックを探しにパキスタン人の中古車屋に行ったら8万円!しかも綺麗!かっこいい!
でトラックと当時2台一緒に買ってしまったものだ。

またスバルのロビン系の汎用エンジンは今でも世界中で活躍しています。決してどこがすごいとかでないが世に広く長く用いられた普通という高性能が面白い。
昨日は冬至と言う事で普通にカボチャを食べた。風がすごくて薪ストーブの煙突から逆流、煙感知機が鳴った。会社も人生に似てその時々で色々ありますが、人生にちょっとした彩を添えてくれるアイテムありがとう。

2010年12月22日水曜日

みなとみらい

昨日は横浜のランドマークタワーの脇でお昼を食べた。おいしかった。
基本都会はそんなに好きではないが、様々な人が各自の夢を持って暮らしていたりしてそんな出会いは楽しい。人生には楽より楽しいを取るべきな事もあると思う。
自分が楽しいと思える事やりたいことをやって生きていく事は決して楽ではない。頑張ってやり続けていても花が咲かない時も多い。ひたすら上に上にと手を伸ばしてきた自分にさえ現実を見て無力に感じたりがっかりするときもある。今年の音楽CDの売り上げベストはAKB48と嵐の2つだけで10位まで全てを分け合った。
テレビでは毎日の様に目にする彼らだが歌はあまり記憶にない。
特にAKB48のCDは発売日にバカみたいに売れたがその日にはヤフオクでただ同然に売りにでていた。それも20枚とか60枚とか同じCDのセットで
もちろん正規販売品だ。そうした人たちはCDに付いている投票券や初回限定のオマケが欲しくて大量に買い本体はいらないのだ。
実に今の日本を象徴した形になったと思う。
みなとみらいに聳える高さ172mのランドマークタワーが何か小さくむなしく空っぽな墓標の様に見えた。
東京に向かう新幹線の中で「納棺夫日記」を読んだその一節にこうあった。
 『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候』

文政11年12月8日マグニチュード7死者1602名、参事の渦中にあった山田杜皐さん宛て地震見舞いの良寛の手紙の一部です。
またト部文麿氏の話で
「阪神大震災で壊れた自宅の庭のイチジクは2倍実り、柿は例年の3倍生ったという。神戸では多くの方々が亡くなりましたが、そのほとんどの死者は、人間の浅はかな知恵で作った構造物の下敷きで亡くなったので、自然のままの草木や鳥たちは、生き生きとしていました。」
とも書かれていた。私もボランティアで震災後神戸に行ってきましたが、人の作ったゴミと瓦礫の山のイメージが残りました。
私は都会がいいとか田舎がいいとかそんなことを言いたいのではありません。
ただCDの売り上げと同じように都会にも不自然さを感じたのは事実です。

2010年12月21日火曜日

乗り物

初めて乗ったバイクは今は無き「ヤマグチ55」だった。
父に後ろを押してもらい自転車に乗れるようになった小学校3年の時だった。
私の父らしく説明もなく乗せられた。怖かったのだけが記憶にある。
その後納屋に置きっぱなしになっていたそれを近くの従弟と共にひっぱりだし、混合を作り
暇な一冬かけて交代でキックし続けた。何百回か目にかかったそれを雪解けを待って山道や農道を走り出した。
混合が無くなると作ってはまた走った。当時はローギヤしか知らなかったのでスピードも低く転んでも擦り傷くらいだった。
そのうち近所のお兄ちゃんからギヤチェンジというものを教えてもらい世の中には知らないことがあるものだと感心した。
16歳になり原付の免許を取った。ナンバーを付け町を走り出す。これならどこまででも行けると思った。
車、耕運機やトラクターも好きだがバイクは大好きです。
今では生活に必要ないものであることも私にとっては逆に割り切りがいい。
暑いときは暑く、寒い時は寒い、雨の日は濡れ、風が吹けば振られる。
支えがないと倒れ、バックすることも出来なく、車以上に技量が問われ、しかも危険である(もちろん保険も高い)。
おおよそ良いところを見つけにくいこの乗り物は、一つの理由で私のお気に入りである。
私にとって「自由」を感じさせてくれる乗り物からだ。
スカイダイビングはフリーだと語っていた人を見て、「何が自由じゃ、お前は落下しているだけでパラシュートの紐を引くか引かないかの自由しかない」と
思うが、気持ちはわかる。不自由の中にこそ自由があるのだ。機会があれば落ちてみたいものです。
自由には必然的に個性が生まれる。そんなバイクのメーカーを少しだけ書かせてもらう。興味のない方すみません。1週間ほどすっ飛ばして下さい。(1週間も書くんかい?)
何でもそうなのだがモノづくりは造り主の心を少し垣間見る様な楽しさがある。

2010年12月19日日曜日

時間まとめ

何故、人は急ぐのか?
それを考えたくて書いてみた。
急ぐことは良い事それとも悪い事。
当たり前だが私なりの回答は動機次第だと言う事になった。

例えばある農夫が畑で年に100万円稼いでいたとする。
あるとき「そうだ畑を倍にすれば収入も倍になる」と考えてそうする。
彼は得る分もあるが失うものもある。良いとか悪いとかではない。

どちらかといえば「急ぐ」というイメージには良くない感じを持っていた。
確かに聖書には「急ぎ足の者はつまずく」ともある。
ただ聖書全体を見てみると急ぐことを神に従った人や御使いや神も使っていたり進めるシーンが結構ある。
なぜペテロの脇腹を突いて「急いで!」と天使は言ったのか。急がないと出来ない仕事があり、急いでは出来ない事もある。
バイクでのんびりと旅をしたいと思うなら急いで今の仕事をかたづける必要もあるかもしれない。
またそのような息も詰まる状態にいたからこそ、より解放感に浸れることも事実だ。

もし本当に大切な人と一緒にいるなら急ぎたくない。
休んでいる時に急いでいる事も出来ない。
病院のベッドから降りてはいけないと言われた6日間は急ぐ事に意味がない状態だった。
人はこの世では時間のリミットがある。
出来るなら人はその先が見たいと思う生き物だ。
週刊誌やドラマ、小さい孫の嫁入り姿、来年の桜など
人は与えられた時間をどうのように使うかは神から任されている。
ただその刈取りはある。私たちはその時間を増やすことは出来ないだから効率という考えも進んだ。
ただ、主にあって急ぎ、主にあってゆっくりしようと今は思う。

2010年12月18日土曜日

時間3

ある実験、番組スタッフがTV電話をかけます。

そして電話中にちょっと用事が出来たのでちょっと待っててといって電話から離れると、どのくらい彼らは待っているのか?という実験です。

日本人は2分で切った・・ドイツ人は3分で切った。

そのほかの国の人達はだいたい5~10分くらい、

ところが、イタリア人とスペイン人は30分近く怒りもせず、なーんもせんと待ってます・・笑いながら・・!

圧巻だったのが、オーストラリア人彼は電話を持ったまま・・TV電話ですから全部写ってます・・コーヒーを入れ飲み出し、
あるいてレストランに入り食事まで始めた・・ほっといたらいつまででもそうやってそうなので強制終了。

私もまた日本人だと思わされる話です。
待つことが苦手、または待たされることを楽しめない。
おおむね人はそうかもしれないが、新婚旅行でグァムでレンタカーを運転していて交差点で止まった。
少し話していて、気が付くと黄色から赤に変わった。振り向くと後ろには待っている車もいる。
クラクションを鳴らさず信号が青に変わっても待っていてくれたのだ。
アメリカ人が皆そうでもないが、すごいと思った。それは私には無いものだからだ。
入院してからゆっくり食事をすることを意識している。
テレビやパソコン、本などを見ながらでなくその具材と会話するように20分。
これが結構難しい、意識しないと10分ほどで食べ終えてしまう。
それの数倍の手間と時間をかけてつくってくれている食事をである。
命ある集合体である料理をである。
習慣と言えばそれまでだが、では何故そんな習慣が身についたのか。
人はなぜ急ぐのか、ほんとなかなか深い。

私の実家と家内の実家は10km程しか離れていない。それでも方言が違うという地方だ。
前に見たときはその町間でバスが運行しているが一日に1本しか運行しない。
それだと行ったら帰ってこれないと思うのだが、バス停に1時間待っていてくれるので、
自分の乗ってきたバスで帰ることが出来る。田舎は不便だがでも、いいなーと思う。

スペインで列車を待っていた日本人がその前から待っていた青年がガッカリして帰っていくのを見て。
ラテン系の国では1時間ほど待つのは当たり前なのにと思って確認したら、今日は乗る人が少ないから運行を止めたという。
もちろんアナウンスはない。次は明日なのだ。旅は人を育てる。

当たり前と思っている事がただの習慣だったと知ることはカルチャーを知る事である。
また結婚はカルチャーとカルチャーの出会いの場である。
「世の終わりまで共にいる」と言いながら天に昇っていく。
「見よ私はすぐに来る」と言いながら2000年ほど経ってしまった。
この世と天の国との時間の感覚の差は大きい。
カルチャーの本来の意味は「耕す」ということ人に踏まれてカチカチになった心を
農夫の子であるイエスに耕してもらう必要がある。

2010年12月17日金曜日

時間2

2005年4月25日午前9時18分頃、JR福知山線のカーブで電車転覆脱線事故が発生し、
100人以上が亡くなった知らせは多くの国でもニュースになり世界を驚かせた。
事故の大きさよりわずか「1分」遅れた事が事故の原因だったからだ。

70年代は馬力にあこがれがあった。極端な話100km/hしか出ない乗り物だと2時間かかる所、
200km/h出せば1時間で行けるのだ。
スピードの出しすぎによる事故で命を落とす若者が多く社会現象ともいえる時代
マスコミの槍玉に上がった本田宗一郎が「スピードは人間の本能だ。飛ばしても安全な道を何故作ってやらん」と言ったという。
ただ馬力を競った時代も終わっている。その頂点であるF1では、もはや人がコントロールできないので
コンピューター制御のアクセルブレーキになっている。
それより燃費やエコ減税の数字に興味がある方の方が多いだろう。
A地点からB地点まで移動にかかる時間をどうとらえるかでその価値も変わる。
無駄と思うのか、益だと考えるのか。なんだか自己啓発的な話になってきたが、
好きな人との時間ならその道のりも無駄や苦しみではなくもっとゆっくり進みたいと思うものだ。
飛行機の景色と新幹線、車、バイク、自転車、徒歩などとは
風景も移動時間もまた途中のドラマ性も全く違う。
旅として味わい深いのは、ゆっくり進むものの方が多いと思っている。

写真は近くの飯綱湖だが、湖面の氷はゆっくりと厚くなっていく。
以前は学校で小学生らもここでスケートをしたそうだ。安全面でも授業も今よりゆっくりしていたのだろう。

2010年12月16日木曜日

時間

良く言われる話しだが、数カ国の人が集まるパーティーでは、集合時間にちょっとした工夫が必要なのだそうだ。
たとえば、7時集合、というと、ドイツ人は7時ちょうどに来るが、イギリス人は7時15分頃やってくるし、
スペイン人はパーティーが終わるころ、11時ごろにワインを下げて平気でやって来る。

時間どおりにパーティーを始めるためには、
ドイツ人には7時、イギリス人には6時45分、スペイン人には午後3時が集合時間だといえば、
全員が7時に集まる。

スペイン人にも言い分がある。
彼らに言わせると日本人こそ時間を守らないそうだ。
つまり「日本人は約束した時間の5分も前に平気でやって来る。」

お国柄も面白いが時間というものは不思議だ。
時を計ると書いて時計というが、日本はこのジャンルでも世界一の精度といっていい。
あっと言う間にアメリカの時計やカメラメーカーを倒産させた。
安くてしかも壊れず正確だったから。
だが精度を競っていた時代はすでに終わっている。
地球の自転そのものが時計より正確ではないのだ。
地球はアナログなのだ、海や風や地震で変化している。
地球の回転を修正できないから不服ではあろうが時計の針を動かす事になる。
この前SEIKO社がぜんまいによるクオーツ時計を作って宇宙でも使った(スプリングドライブ)。
一つの頂が征服されるとあえて困難なルートを使って事をなそうとするのもまた人だからか。

2010年12月15日水曜日

チョウゲンボウ

チョウゲンボウはハヤブサの仲間で体長がハトほどしかない。
英語名はKestrelというが、これはインディアンの言葉で「出来損ないのタカ」を意味する。
別名、馬糞鷹ともいわれるがそれも軽蔑の言葉になるらしい。鷹狩りにつかえないからだろう。
戸隠は山が厳しいのでチョウゲンボウの住んでいる岸壁もある。
隼との違いはホバリング出来ることで、鳥型の凧の様に空中で停止している。
またUVをとらえることが知られていて、小動物の跡を上空から確認できるという。
私は背中の色が何とも言えない綺麗さでヤマメや天然イワナを思い浮かべる様な模様が好きです。
主は実に美しく着飾ってくださる。
野鳥は写真に収めることが難しい。これも私が撮ったものではありませんが、
求愛行動中のランデブーです。
羽の先がピンとあがっていてかっこいいです。
これを飛行機の翼に採用してから旅客機は太平洋を無給油で飛べるようになりました。
自らを守るために超高い崖の中腹に巣を作る彼らは最近は都会のでも増えているらしいです。
ゴミを食い散らかし人間の生活圏を汚染させるカラス対策に、
チョウゲンボウを増やす運動が行われており、
チョウゲンボウが営巣出来る高層建築物をより多く建造することが推奨されているからだ。
本来彼らには人を寄せ付けない断崖絶壁がふさわしいのだが、街中でも美しい彼らを見ることも嫌ではない。

2010年12月14日火曜日

ケーキ



うちでは年に4回ケーキを作ってくれる。
5人家族だからだ。
もう何年になるだろうか。
能登にいた時代からだからわからない。
でも家族はみんなこのケーキが好きだ。
長女などは「ははの、イチゴのケーキが一番おいしい。」と言ってくれている。
これからも、出来るだけこのケーキを食べたいと思う。
必ず私の誕生日に母が作ってくれたお萩も今では好きになったが、
うちの家族はみんなこのケーキが好きだ。

2010年12月13日月曜日

冬の準備

6日間入院しての帰り道一番の変化を感じたのは
木々がすっかり葉を落として冬の準備が出来ていた事だ。
真冬に能登に帰ってもこんな風景は無い。
厳しいからこそ存在する美しさがある。
ドイツのことわざに
「ミネルバのふくろうは黄昏を待って飛び立つ」
というものがある。
冬の森に冬の使者がやってくるタイミングもまさにそれで
その夜から降った雪はまだ消えずねゆきになるのかなと思うほど冬らしい。
造り主の時を静かに待つ木々の様に
私も主の時の準備が出来ているのか森を見ながら再確認。

2010年12月12日日曜日

蜂の巣2

以前、母の実家ではミツバチが天井裏に巣を作ってその重さに天井が耐え切れず夜中に落ちてしまった。
100kg以上の蜜があったと思うが畳も何も大変だったと聞いた。
蜂蜜ショップの前などで色々の種類の蜂蜜を味見出来ます。
長野ではりんご、アカシヤ、そば、クローバ、レンゲ、トチなどが多いです。
これって少し不思議に思うのですが、何故シロツメクサが咲く頃はカラシナやノゲシも咲いているのになんでって思いませんか。
実は西洋ミツバチは効率よく蜜を集めるために特化した家畜?で、ある種類の花畑を見つけるとそこの蜜が枯れるまで他の花に行かないそうです。
結果として色んな所をフラフラするより利得率は優れているからです。
それに比べて古来から日本に住んでいる日本蜜蜂は野生でそこまでの統制もなく途中に花があれば”モッタイナイ”のか、集めて来てしまう。
だから多くの日本蜜蜂の蜂蜜は色んな種類の花の蜜が混じった百花になる。また割と気ままに巣を捨てて逃亡します。
西洋ミツバチが殆ど逃亡しないのに対して日本蜜蜂が逃亡するのは逃亡しても日本蜜蜂には生きていける環境がどこにでもあるからだと言われています。世界のあちらこちらで野生化しているセイヨウ蜜蜂が日本でそうならないのは日本にはスズメバチがいるからと言われています。
セイヨウ蜜蜂もスズメバチも46度までしか耐えられないのですが
日本蜜蜂は48度まで大丈夫なので大スズメバチであっても包んで体温でやっつける事が出来る日本蜜蜂は野生で生きていけるのですが、セイヨウ蜜蜂は人に守られてこそ生きていける種だから逃亡しにくいと言われます。

蜂蜜で色の濃いのと薄いのとありますが、私は濃いのが好きですが、薄いほうが大体ローヤルゼリーは多いらしいです。
ローヤルゼリーは若い働き蜂の上アゴと下アゴで違った分泌物を出すらしいですが両方とも混ざって蜜と作り上げるらしいです。
小さな蜜蜂ひとつとっても実に奥深いと思います。
それでもまだまだ知らないことのほうが多いのですから、これを考えお造りになった方はほむべきかな。

2010年12月11日土曜日

蜂の巣

雪景色の中テレビのリモコンを届けに竹細工屋まで行くと
居間のテーブルの上には蜂の巣がヤマズミになっていた。
家の床下に作っていた巣を取ってきたのだと少し自慢げ
「刺されませんでしたか」と聞くと「ミツバチはわりと刺さないよね。
前に熊ん蜂の時は8か所刺されたけど」と自然体なご主人
でも刺される場所によっては一日朦朧とした時もあるそうです。
私も結構刺されてますが、まあ年取ると体質も変わるし気を付けよう。
「ちょっと、持ってく?」という奥さんの声に「頂いていいんですか。」と2kg程もらってきた。(画像は頂いた分です)
戸隠でも1300m程の標高の所に咲く花から集めてくれた蜜は味も香りも濃くて素晴らしいです。
ちなみに蜂蜜は只の花の蜜とは違います。普通の蜜はほとんどがショ糖で水分もあるのでカビたり腐敗するときもありますが
、蜂蜜はミツバチの唾液の酵素で変化します。
またみんなで羽ばたき風を送って水分を完全に蒸発させます。
だから天然の蜂蜜は基本殺菌、加熱、加工しなくても保存できる状態にミツバチがしてくれています。
また蜂蜜に細菌が触れると浸透圧と酸により菌は死んでしまうのでほぼ完全な抗菌力を持ち続けます。
強い酸性なのに十二指腸潰瘍にも良いらしいので少しずつ楽しんでいただきます。
本当に黄金色で綺麗です。
残っていた蜂を調べると数少なくなったといわれる日本蜜蜂でした。
この蜂蜜は高級な蜂蜜のさらに5倍ほどの値段がするそうです。普通は市販されてないです。セイヨウミツバチの蜜とは比べ物にならないくらいコク、うまみがあります。養蜂に向いてないので、個人的に飼育?されています。
香りも甘いだけでなく大自然の香りがあります。
今朝はそのままイングリッシュマフィンにつけて食べました。
ほんとにうまいと食べていたら息子もかなりの量を割ってきて食べきった。うーん恐るべし。

2010年12月10日金曜日

今朝の風景

家に帰ってきて降り始めた雪が、
朝には世界を白く染めていた。
除雪車の音が少し懐かしい感じだ。
これからは、耳にすることも多くなるだろう。
国際的な日本の立ち位置や政治、軍事、経済などのの動向をみると
実に情けない事も否めないが、
こうして当たり前に家の前の雪をどかしてくれたり
仕事とはいえ病院で働く人々の態度などを見るにつけ
日本って素晴らしい国だなーと思った。
多少の馬鹿馬鹿しさも感じながら日本という国に生まれた私は日本が好きなんだな。

3分がゆ

土曜の朝食べて家を出てから
次食べたのは水曜日
病院食は旨くないと言われたりするが
出された3分がゆは本当に美味かった。
25分程かけてゆっくりと味わう。
元気な時はつい掻き込むような食べ方をしたり
時間に追われるようになんでもエネルギーになるならと思ったりするが
頂けるという事の感謝を忘れないようにしようと本当に思った。

2010年12月9日木曜日

入院

いつもと変わりない週末の朝
全てが順風満帆に思えた。
一つの事を除いては、、。
朝のお通じが普通では無かったのだ。
綺麗な話ではないが初めて見た。
真っ黒だったのだ。
「普通では無い」と午前の用事を終えサンプルを持って
病院に、土曜の午後だったので全くの以上も感じてないのに
最初行った病院と消防署から緊急病院へと案内され
レントゲン、超音波検診、など
文字通り痛くもない腹を探られた。
ただ医師に採取したものを見せると流石に「これは普通ではありません。」
と胃カメラをのむ事になった。
人生初体験である。モニターを見ながらの医師の声
「あるな、動脈も出ている。今にも破れそうだ。」
その声にさすがに不安になる。「動かないで、破れたら腹を切るしかありませんよ。」と胃カメラ越しの手術で緊急入院となった。
食べ物はおろか水さえも飲んではいけないいわゆる「絶食」で車いすでなく台車で緊急病棟に薄皮一枚でとどまっているだけだから今夜破れるかもしれないといわれ寝返りさえはばかる環境になる。
今回最も気になった事は自覚症状が全くなかったことだ。
医師も吐き気や食欲不振、めまいなどあれだけ出血していて、無かったのかと聞いてきたが、
全くどころかお昼の弁当も食べる気で持っていたし、次の日からのスケジュールも自分で詰め込んでいた。
私にとっては急な予定変更で初めての入院、それも緊急病棟でだ。
家内に夜パジャマだけ持ってきてもらい乗ってきた車を持って帰ってもらった。
なぜこのタイミングでこんな事がとも思ったが
実は主からの回答は頂いていた。
私には自覚症状のない問題があり、
それがはっきりされたという事だ。
歯医者に行くのは虫歯が出来たからというよりは直接的には痛みを感じるからだ。
もし痛みや不調が世の中に無かったなら病院という名のつくところはこれほど繁盛せず、日本人の平均寿命も短くなると思う。
本来人は1本の葦の様にたやすく折れ、誕生日のキャンドルを吹き消すほどはかないものだが、健康が続くと「病気の方が俺から逃げていく」などと豪語したりする。
今回の入院に関するすべての事は、神の憐みが半強制的に、私に示されたという
恩寵ともいえるあつかいだった。
思ったより回復が早く腹を開くことが無かったとか、退院できた事が神の憐みだったのではなくそれを示してくださったことが恵みだった。
正直、私は健康や仕事や様々な事に対して「自信」みたいなものを持っていた。
キリスト者の生活の中で失敗も含めた多くの経験が謙遜ではなく自慢にも似た扱いを自分の中に置いていた。
あの時はこのような経験をしたとか、この前は
兄弟姉妹や神とどのような交わりをしたとか、この場合、神の御心がこうであると思っていたりする。神があるときは直接自分に語られたとか、どこそこに行くように命じたなど様々なことを知っているというつもりで過ごしながら自覚症状のないまま問題は進行していた。
そのような私は本当に神の憐みを必要とする状態だった。
旧約で割礼という儀式があるがそれは肉的なものを取り除く事。
肉にある者は神を喜ばせることができません。と聖書にあります。
神は今生きている神であって、過去にこんな働きをしたとか
どこかヒゼキヤの様に神に従ったなどで神に貸しがあるようにどこかで振る舞う傲慢さが気が付かないうちに育っていた。
今日、神に対して自分はどうであるか。
今、私は主を喜ばせているのか。今を神と共に生きるキリスト者にとって、真の命の選択は今であり今日私は神の前にどうなのだろうか、という事。
自分が何をささげたかより、どれ程、悔いて聞き従いへりくだる心で今を生きているかだろう。
神は漢字の通り神は私に示しまた申す神なのだ。感謝な事である。
点滴の跡はまだ残っているが、得たものはあっても失ったものは何もないのだ。

退院

今朝退院、家に帰れるって素敵な事だ。
昨日寝る前、これで明日は自分のベッドで眠るのだと思いながら寝る。
今朝、朝食の時、これを食べたら今度は自分の家で食べるのだと思って寝る。
薬を飲み歯磨きを終えるといつもと違ってバッグに片づける。
あと10分ほどしたら家内が私を迎えに来るのだ。
家に帰ったら帰ったでそこには日常生活があり現実もある。
でも家に帰るってそれだけでウレシイ。
たとえ若くて綺麗な看護婦さんが手を握り甲斐甲斐しく私の尿瓶まで笑顔で片づけてくれても、パートナーのいてくれる我が家は最高です。
天国に行く時もこんな感じかな。

2010年12月4日土曜日

無風

昨日は台風の様な風が吹いたが、
今朝は一転して風の全くない朝
5センチ程だが積もった雪が昨日とはまた違った世界だ。
結構暖かく感じる。
空気も雪も乾いているせいだろうか。
寒くなってくると鍋物が食べたくなるように
そろそろスキーで滑ってみたい気持ちがわいてくる。
長野の冬はとても好きです。

2010年12月3日金曜日

沼田場

今朝は久しぶりの雨、しかもとても暖かい、
長野市の昼の最高気温は17度の予報だ。
志賀などのオープンしたスキー場でもこれは厳しいだろう。
昨日は非常にいいコンディションの中、バイクで様々なルートを楽しんだ。
スキルが同じほどの2台だったので、割と思いっきり走る。落ち葉が舞い上がり、枯れた木々が流れて見える。
ヒルクライムもどきや藪漕ぎ道がないような道を進むおそらく私が6年ほど前に通ってから野生動物ばかりで車両は通ってないだろう。途中いくつかヌタバや熊だながあった。
イノシシが泥浴を行う場所は「沼田場(ヌタバ)」と呼ばれ、横になり転がりながら全身に泥を塗る。ダニを落としたり特にウリ坊には保護色にもなるそうだ。
人生泥にまみれる時もあるが、
泥だらけになってしまえばそれも楽しく思えるから不思議です。

2010年12月2日木曜日

かじめの煮物

結婚してからはじめて義姉が海からとってきた
かじめなる海藻を食べました。
昆布のようで昆布でないペロンとした感じの海藻、
お椀に熱い味噌汁を入れ千切りにしたかじめをいれるとろみがでて
おいしいのです。
のりも一度手作りでいただいたのですが市販のものとちがい
濃厚なのりで忘れられない味。

能登に帰った時
スーパーにお土産ように
乾燥かじめとのりがあり、これはすごいと買って帰り
お椀に熱い味噌汁の中にこののりをいれると,
ま~!のりの香りがして
とってもおいしいのでした。
かじめは乾燥なのでにんじんと油揚げとを油でいため砂糖みりん醤油で
煮込み、えだまめをくわえて出来上がり。
これまたおいしい一品
貴重な海の幸が乾燥してお土産になっているのは
お山にて海の味を楽しめてとってもありがたいものです。