2010年5月31日月曜日

夕食



家内がコロッケを作っていたら

ハートのマークが 、、、。




幸せな一品が夕食に並 びました。

2010年5月30日日曜日

以前借家ですんだ7年間薪ストーブを使わない月は8月だけだった。
薪だけで暖をとってきた私にとって薪の有無は死活問題と言っても言いすぎではない。
9月から使い始めてクリスマスくらいには不安になってくることもしばしば。
今の家は暖かく夏もちゃんと暑い。借家時代、家内の半袖姿は記憶にない。だから住むところはちゃんと暑い所が良いねと言ってきた。
ずっと前に考えていたこと
夏のこの日差しや暑さを取って置いて冬に使える様に出来ないだろうか。
そうすれば夏涼しく冬暖かい。リサイクル可能でゴミの問題の無いモノ。
ある時、気付いた。
既にそれはあった。夏の日差しを受け止めそのエネルギーを蓄えておき、冬に放出する
ゴミも出ず、完全なるリサイクルにもなっている。それは木である。林であり、森だ。

薪で生活していると良く聞かれる事は「どれくらい薪いるの?」「10トンダンプ3から4台くらいあればいいんじゃないの?」と少し大げさに言う。必要量は材料で違うナラや桜は良いですね。石炭と比べられる程の熱を出します。「どんな木が薪には良いのですか」とも良く聞かれる。私の答えは「実のなる木です。油が少なくススも少ない。火持ちが良くじっくりと燃えてくれる」ナナカマドの木は一度に七つのカマドを炊けるほど良い薪だからの命名だ。ナナカマドも実は綺麗だ。ただ、葡萄は例外で長野では太さ40cmくらいにはなってますが薪としてはいまいちです。そういう私は入手しやすいので殆ど針葉樹だか、、。

秋から春までは大体消さない。外出時や寝る前には薪ストーブに薪を一杯にする。と次の日でも火がある。2から3日くらいは暖かさは残る。遠く離れていても、いま私の家の中ではユラユラと火が燃えているのだと思うと、不思議に暖かい気持ちになる。早くあの暖かい自分の家に帰りたくなる。薪を掘り出すことは、思い出を掘り起こす作業だ、あのときあの人からもらった杏の木だとか、あの日はめちゃくちゃ暑かったがこんな寒い日にこの薪、最高。

ただ、家具などを作っていると(家具と言うとおこがましいが)少しの半端でも捨てられなくなる。燃やすことがもったいなく感じる。これは色が綺麗、この木目はそうない、節が味がある、どこかに使えるはずだ、などペンダントや箸や、箸置きなど作れることを知っているからだ。結果木の半端の置き場に困る。さて今年は薪どれくらい集めること出来ますかね。


積まれた薪の山を見る時の私の持ち
それはなんともいえない豊かさである。

朝夕は薪を軽く燃やすと、この時期は気持ちがいい。
うちの猫もトマトの箱に入って寝ている。
寝ている姿はどの生き物も実に幸せを感じさせてくれる。

2010年5月29日土曜日

山ばと

裏庭に山鳩のつがいが草の種子を食べに来てました。
一般にキジバトとも言います。
三枚のガラス越しなので写真が霧かかったみたいになりました。
おしどりと同じく山鳩も、つがいは一年中いっしょに行動するそうです。

鳩も人間と長い関係を持つ動物でBC5000年シュメールでBC3000年エジプトで記録に登場するが最古の記述は聖書創世記八章八節ノアが箱船から飛ばしている。イギリスでは千人以上の人命を救い近年では湾岸戦争にも使ったらしい。
カワラバトを飼い慣らしたものを伝書鳩と言い
それが野生化したものをドバトと言う。(つまり皆同じ)
鳩と書く漢字に九があるのは「クックックックー」と鳴くから(結構単純ちなみに九官鳥は持ってきた中国の九官さんの名を喋っていたから九官鳥、それでいいの?)

1969年日本で第一次ハトブーム(ちなみに第2次は無い、、、)
私も10羽以上飼ってました。鳩を抱いたときの感触やその臭いも好きでした。自転車に籠を積んで隣町の鳩の交渉に行ったり、鳩小屋を作ったりした。何処で放しても必ずと言って良いほど帰って来た。この年の年間脚環登録羽数は400万羽、漫画「レース鳩0777(アラシ)」も登場!
しかし、1970年代を境に、鳩レースの平均帰還率は明らかな低下傾向を辿り、、現在数千羽単位のレースでゴール0羽も起こっているらしい。
ほとんどの鳩は迷子になってしまう。
そこで登場したのが「迷い鳩回収・配送サービス」である。
このサービスは日通のペリカン便で行われていて。ペリカンが鳩を運んでくるという、一見して有り得ない状況が今、日本で起きているという笑えない話。

平和の象徴でもある鳩は幼子イエスの捧げものとされたし
洗礼の時聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来たとある
後に鳩を売っている人たちに神殿でそんなことをしてはいけないと言った。

日本の鳩は迷走しているらしいが、政治は迷走する、というよりもほとんど何も考えていなかったゆえの結論とも思える普天間問題。鳩山さんのお陰でますます鳩人気出そうにありません。
福島さんへの「いっそ辞任されたら、」の言葉はいつか自分に帰ってくる事になる。

ヨセフが山ばとを捧げた事は彼が裕福でなかった事を知らせてくれる。
彼は本来自分の子でないイエスをどんな思いで見ていたのだろうか。
聖書にはそんなことは書かれていない。
自分がその時どうだったとかこんな気持ちだったなどはどうでも良いこと。大切なことは誰と共にいたかである。
その永遠である方が鳩のように一生涯共に行動して下さる。
そんな幸いを今日も味わいたい。

この写真を撮った後一羽が飛び立つと、もう一羽も後を追って飛び立った。

空を飛ぶその姿は、小さい頃どこから放されても飼い主の所に戻ってきて私の父の家の屋根の遙か高い空を仲間と楽しそうに旋回する姿を思い出させてくれた。
戻るべき方の所に戻ってくるそれだけで嬉しい。

2010年5月28日金曜日

天草

思いもかけずコメントを頂きましたので食べ物つながりで
煮ているのは、三浦半島の先っぽに住んでいる友人の持ってきてくれたテングサです。
彼女の家は浜まで3歩しかありません。
天草は、子どもの頃から知ってましたがあんなに簡単に寒天が作れるとは思ってませんでした。
海沿いで住んでいた頃は海そうめんや銀葉草、アオサや岩のりなどは生食でしたので、寒天作り経験なし。
テングサは赤くまた沢山あるので、すぐ見つける事が出来ます。
今度実家に戻ったら取ってくるつもり。
ただフグの産卵時期は卵を産み付けるときもあるので気を付けましょう。

煮豆、黒蜜、ミルクと合わせて美味しく頂きました。
きな粉も良いと思います。
もちろんトコロテンも出来ます。
遣唐使が伝えたという昔は高貴な方の食べ物で、放蕩三昧の日々を過ごしたと言われる土佐の容堂も大河ドラマで食べておりました。
海草は花も種も付けますが、テングサは海藻で花も咲かせないし種も無いです。
カビの様に胞子で増えます。
以前書いたスミレモと同じ仲間になります。
思い出したので載せますがスミレモは何故オレンジなのにスミレモと呼ぶかは潰すとスミレの香りがするからです。

私の家の駐車場にはハーブが植えてあります。
車で乗り込むときタイヤに潰されミントの香りが立ち上ります。
ドアをあけたときのその香りが好きなのですが、
私も踏まれたときにその様にありたいと願っています。

2010年5月27日木曜日

食事の風景

今朝の食卓にはフルーツが並んでいる。
いつも、果物を食べるときに思うことは
食べる人の事を考えてあるな、ということ。
ゴミも出ないし、新鮮だ。
バナナ99円、ハネジューメロン100円
葡萄は79円、苺はジャム作った残りで
キューイは実家で実った。
そう考えてみると決して高くはない。


昨日の緑の小道の日の昼食
友人宅で家内らが集まっていたので
私も昼食だけ頂くことにした。
テーブルにととのえられた食べ物が並ぶ風景は綺麗だ。
手前の寒天、原料は、その家の彼女が海に行って取ってきたもの。
中央は豆乳とバナナのババロア
奧は家内の紫イモと小粒甘納豆のシフォンケーキ

なぜだか、自然志向の友人が多い。




その日の朝の私の朝食風景
ワッフルは結構好きですね。
これにカスピ海ヨーグルト(たぶん)を
かけて食べます。
朝はご飯じゃないことが多い。
お菓子みたいなのばかり食べているように見えますが
ちゃんと根菜や青物、肉も食べてます。

2010年5月26日水曜日

緑の小道


最近は野尻の仕事が多くなっている。
この地区は車が横付け出来なくて材料を運ぶ事はエライが、静かで好きだ。
木材を担いで、この道を登る。何度か運ぶと坂で息が切れてくる。
額に汗して働く苦しみと、言葉の通り、はたせる喜びがある。

舗装してない道が好きだ。
多少不便でもこんな道が日本のいたる所に残って欲しい。

効率だけを優先する所には、主はおられない。

信仰による歩みも似たところがあると思う。







朝、裏庭のブルーベリーが花を咲かせていた。
家内が「今年はすごく花が付いているよ」と喜んでいる。
私も、実を沢山つけてくれる事を期待し
そのすずらんに似た花を見て喜んでいる。

2010年5月25日火曜日

塗りこむ仕事

昨日は天井材の塗装をしていた。
日本では室内の白木はあまり塗らないが、本来樹液やヤニなどの油でプロテクトされているものなので塗りこんでやる ことは本来の状態に近づける行為だ。
今回は友人が用意したインウッドというアメリカの塗料を塗ってみたが、普通はオスモカラー、蜜ロウなどを塗 る。両方ともほとんど人畜無害でなおかつ耐久性も優れている。
オスモはヒマワリの種がほとんど主成分で蜜ロウは蜜蜂の巣をエゴマの種から採った油 で柔らかくしたものだ。ロウを漢字で書くと「蝋」と虫という字が入っている。
これは虫からロウをつくっていたからで、有名なモノはイボタ蝋があ る。
古くから桐のタンスや建具などに使われ摩擦熱を加えても融点が高いので現在私たちが見かけるロウよりも色んな意味で優れていると思っている。粘つかないから埃なども付 かなくてクリーンだ。何より大事な命をくるむ為のプロテクト機能は種と同じだ。
イボタの木などモクセイの仲間に良くついているので、そう言うが実は貝殻虫という白い貝殻に似た虫で公園などでも枝に見 かけることもある。
あのファーブルでさえ虫なのか疑ったほどの「世界で最も不思議な虫だ」と書いた程で私はやったことはないが彼は噛むと少しの苦みと 甘みがあると言っている。ノークレームの方のみお試しアレ。
只この虫から作られたドリンクは嫌いではない、代表は「ファイブミニ」小さくて高い。緋色を漂白させるとあのオレンジ色になる。
この虫 聖書の中でも活躍?していてある方はマナとよばれた白い甘みのある食べ物の正体は貝殻虫と言い切っておられるが、私はそれは無いと言う見解だ。理由は沢山 あるが長くなるので、話を変える。

イエスが派手な服を着せられる場面がある。
紫と緋色(赤)だ。紫は貝から色を取り。緋色は貝殻虫から取っ ている。
今でも自然志向の染める方はこれを使う方もいると思うが実に鮮やかな赤になる。しかもほとんど退色しない。

十字架に架かる前に着せられた服がどちらもすりつ ぶされた生き物から染められたものだった所が私は聖書の奥深さを感じさせられる。
キリスト者である私も目には見えないがイエスの血で染まった衣を 着せられている。
それは高貴な色であり、本来王様の着る服である。
誰よりも富んでいた方が貧しさを味あわれた代わりに、貧しいモノが、豊かな者とされる。
家内と二人静かな野 尻でペンキの仕事。着ている服はどんどんペンキだらけになっていく
これも礼拝なんだろうと考える。


その衣の色は
天国においてさえ色あせていないだろう。

2010年5月24日月曜日

足湯


屋根を付けたテラスは非常に良い。

常設の浴槽は普通は板をしてテーブルになる。

この時は足湯にしてみた。

この後次女とも3人でまったりした。

少しだけ熱めにすると、足だけでなく全身がじんわりと温かくなってくる。

すこし背中も汗ばんでくる。

雨の日も乾いていて使え、冬、雪をどかさなくともいい、日差しの強い日も快適だ。

聖書の中に一番大事なのは基礎だと書いてある。

次は書いてないのだが、ノアの洪水以後は屋根なのではないだろうか。

昨日ある人から「好きな女性のタイプは」と聞かれた。

「好きになった人がタイプになるのですが、しいていえば足の太い人でしょうか」

今は立派なおばはんになった私の姉は

アタック№1の影響でバレー部のキャプテンをしていた、今でも私の憧れの姉である。

すり込みとは色んな意味ですごい。

2010年5月23日日曜日

キャー!


煙とナントカは高いところに登りたがると言われるが、私は結構登った。
何と言っても高いところは気持ちがいい。景色が良い。そしてその危うさがちょっと快感。
電気屋と名うっているだけに電柱は登ったなー。コンクリートで出来ていてもかなり曲がる。15m柱なら1m位はしなるそれが真上からみたら今にも折れて地面にたたきつけられる事を想像すると恐くなる。子供の頃灯台に登った。灯台はかなり恐い、電線とか無く眼前には遙か水平線があるだけ波が押し寄せて来るのを見てると自分が吸い込まれそうな気がして縮上がる。鉄のはしごを使っているときも塩で錆びていてポロッとなりそうな思いが涌いてくると手のひらに汗がにじむ。

先日、子供部屋を作ったときその部屋で寝たいという息子さんが、
近頃前に比べて恐がりになったと話をお母さんから聞きました。
知恵や知識、体験がじゃまをするわけです。
子供の場合はかわいいものですが、これがいわゆる恐怖症ですね。
恐怖を感じる事は生き物が生きていくために必要な感覚で危険回避する大切な反応です。しかし、過敏に反応したり、どんどん恐怖が増幅してしまい。動けなくなる事などは本末転倒です。


様々な恐怖症は治せる。「大丈夫、恐くない」などと思うようにすることは逆効果。お化けなんかいないとか、幽霊は恐くないでは頭から恐い「モノ」が離れない。じゃーどれくらい恐いのだろう。と怖さに震える自分を味わう。恐れを怖がるのではなく怖さを十分に味わい静かにじっと待つ、するとなれてくる。恐怖は長い間続かないように出来ている。だからどんどん新しいジェットコースターやお化け屋敷が作られる。幽霊や高所恐怖症の人は、怖い体験をしたり、人から話を聞いたりして、間違った予測をしてしまう。ありもしない恐怖をどんどん予想し、事実とはかけ離れた結末を思い描く。つまり自分で自分を震え上がらせている訳です。まさに肉と魂の連携プレイで、恐いという思いが、体を固まらせ、手に汗、心臓ドキドキで、それが心にフィードバックしてやっぱりただの思いこみではない実際に恐いのだと、認識する。で、さらに体中脂汗、頭までバクバクそれが、心が受け取り「俺どうなっちゃうの~」、、、、をこれを「フィードフォワード」と言います。
正しい経験は少し役に立ちますが理性はこうなるとほとんど役に立ちません。

東京タワーのガラスの床は割ろうとしても割れないし、吊り橋の板のスキマは自分が通れないとわかっていても恐れは無くならない。
高いところは危険だから恐れを感じる様に造られている。
霊的なものにも同様な所もある。人だけでなく他の動物も同じだ。
ただ鳩などの実験では羽を持つ仲間は生まれつき高さに対する恐れがないらしい。
ルシファーが神に逆らった理由もその辺にあるのか?

まあ、そんな馬鹿な想像は置いて、
小さいとき夜、恐い夢を見て親の布団に入らせてもらったことがある。
必ずぐっすり眠れた。
大人になり親から離れてくらす私だが魂の親の所で安心して休むことが出来る。

2010年5月22日土曜日

日本晴れ

天気予報は朝昼夜とも長野北部中部南部すべて降水確率0%
荒れ気味の今年一番と言っても差し支えない日だった。
そんな日に午前11時の開店を待ち、カラオケルームで歌っていた。
私の仕事は天気に左右されることも多い。
今、仕事も十分やることはある、そして働いた分しか稼ぎは入らない。
だが朝から雲一つない青空の日の選択はカラオケにした。

フッと胸にわき上がってくる思いがある。
「何、無駄なことをしているのだ」「今、お前のやっていることは良くない」「外はこんなにも晴れているのに窓もない部屋で何やっているのだ」「建設的な事ではなく浪費だ」「明日も晴れる保証はないぞ」「働けばお金になったのに」「他の人とはどれだけ今苦労して働いていることか」が、即座に糾弾した。

「私に与えられた自由なのだ」「晴れの日はまたある。だが上の娘と歌える日はそんなに無い」「私にとってこのことは非常に有意義な事」「ゆとりを味あわせていただき感謝」
中国ではありがとうを「謝謝」という日本でも感謝には謝るという時が入っている。
今の自分は誰かの犠牲があって祝福を頂いているからだ。
謝りたいような気持ちはわかる。私は貴方のためにこんなにも犠牲を払った(事実ですが)のだと言う恨み節はなさらない。
豊かさを下さった方は共に喜んでくださる。

日本人の3大義務は「勤労」「納税」「教育を受けさせること」。
税金は納めているが「勤労」は、好きではない。
私の国籍は天にある。
長野は日本晴れの青い空が広がっていたが、私はその上にある天のさらに蒼い空に憧れている。
楽しい時間を過ごせて実にありがたいことだ。

2010年5月21日金曜日

種 の法則


長野市ではもう紅葉の花が終わり綺麗な種を付けていた。
紅葉や楓の種にはタケコプターのようなプロペラが付いている。
ホウセンカは袋をはじけさせ、
タンポポは風に乗せて飛ばし椰子は海を渡る。

種は大切なもの、あるリンゴ農家からリンゴをいただき食べていた。
「このリンゴ本当に美味しいですね」と言うと
「あんたが食べている所はカスみたいなものだ、一番栄養が有るのは種、次は皮」
確かにそうだ。リンゴが時間がたち腐ったとしても種は一緒に腐らない。
そうならないようにプロテクトしてあるからだ。
防腐、防カビ、防虫、UVカット、抗酸化能力、調湿、耐寒、対衝撃性、ロングライフは当たり前である。種はそれほどに大切なもの。

種に様々な工夫が施されているのは出来るだけ広く遠くに種を散らす為だ。
親の木の枝の下ではその種は大きく生長出来ない。
種には信じられない程の命の力がある。ピラミッドから見つかった米の種もちゃんと発芽した。
セコイヤは5000トンにもなる。驚くのは大きさではなく、そうなるように種に書かれてあるそのプログラムだ。野芝は鹿が食べて一度外の殻を溶かさないと発芽しない。
冬の寒さを越さないと発芽しないもの山火事に遭わないと発芽しない種もある。、檜の種は土に落ちても100年以上発芽のタイミングをじっと待っている。そんな驚異の命の種だが、弱点もある。

今三浦半島で暮らす友人が言った「そこにずっと住んでいると頑固になる」ちょっと極端ないい方だが、そこの地域の常識や考え方に染まってしまう事はあるだろう。
生きていく場所は、沢山ある。神の造られた世界は狭くない。

キリストは「予言者は郷里では尊ばれない」と言った。
別に尊ばれなくとも良いかもしれないが、「一粒の麦」「朽ちない種」と自らを言ったイエスは父の所から下って来られた。
それは最も遠くまで旅した種でもある。
S氏の言われた通りさすが「種の主である」

2010年5月20日木曜日

リフォーム

去年からお願いされていた子供部屋のリフォームが完了した。
頭であれこれ考えることは楽しいが、考えすぎると苦しくなる。
いつでも大切な事は、目の前の人の事を話し、目の前の仕事をみてやること。
いない人の話は噂話にもなりやすく、先まで考えると仕事の手が重くなる。

古いモノを綺麗にする事は基本的に楽しい事だ。
完成に近づいていく自分の喜びと、オーナーの喜びも共にある。
時には上手くいかないときや、失敗も有るがその時その時で誠実に対応するならほとんどは問題とはならない。どうしようもない時は神様にまかせている。
それ以上の誠実さは無いと私は信じている。








私のスタイルは、古いならその良さを出来るだけ生かしたい。
素材は市場では安くても良いが本物を使いたい。
今の日本のものは全てが消耗品 の様な考え方だ。
作った時が一番良く、その後は悪くなるだけ。
本物は古くなっても良い年の取り方をするものだ。
壁紙などの良さも 知っているつもりだが、ペンキ風、塗り壁風、果ては木目風タイル風それではクロスの良いところは出ない。
床材でも合板に0.1mm程の木を仕上げ に張ってあるだけでさも高級に見せかけ、引き渡し時のクレーム対策には良いが20年程経つと見れたものではなくなる。無垢材はネコが爪を研いでも削れても どこまでもその材なのだ。

「見よ、全てが新しくなりました」と語る方も
リフォームがお好きなのではないかと思う。
全てを 打ち壊して新築にしするほうが楽で効率も良くコストさえ安いと思うのに、
わざわざ癖のあるひねくれた私という素材を生かし、全く新しく造り変えよ うとなさっている。
ただ、ほとんど骨組みだけにしてからでないと、取りかかれないが、、、
新築はそれはそれで嫌いでもない仕事だが、去年 施工された住宅保証制度もあり、これからは新築をすることは自分の家以外はないだろう。今はリフォームが楽しい。


床をオスモで仕 上げる前の写真ですが綺麗になりました。

Mファミリーの皆さん遅くなってどうもです。
そして、ありがとうございます。

2010年5月19日水曜日

キジも鳴かずば

キッチンの窓から裏山が見える。
新緑が光をライムグリーンにかえて綺麗だ。
家内はその窓越しの景色を見てこの美しい自然を造られた方を礼拝しているとも言える。
朝「キジがきてるよ」と教えてくれた。去年と同じキジだろうか。
今回も目立つ雄がまず庭に侵入し安全だとわかると時間差で雌が後を付いてきた。
繁殖期の雄はトサカが大きくなっていて少し恐い、でもそれでいいのだ。それは雌にとっても雄同士でも大切なサインだから。
キジの尾は長いすごく目立つ、生きていく上で正直じゃまだ。
「頭隠して尻隠さず」はキジは本当にそのように隠れる。
雌は長い尾をもつ雄ほど惚れるらしい。それは目立ってくれるから
結果、卵を産んで子孫を残す自分を守ってくれるからだと考える学者もいる。
長いしっぽは役に立つのだ。それにカッコつける時も必要だろう。

キジは自分が気付かず近くに人がいたりすると隠れる。50cm程に近づいてもじっと息を潜めて隠れているそんなキジも自分をちょっと通り過ぎると一気に逃げる、まさに「けんもほろろ」とは上手く言ったものだと思う。本当にケーンと鳴きホロロと羽ばたく。
、飛ぶことは苦手な鳥だ。300mくらいしか飛べないだから北海道にはキジがいなかった。後で高麗のキジを放したので今は首に白いわっかがあるキジが北海道にはいるし、四国、九州も本州とはデザインが少しずつ違う。自分の領分をちゃんと守って暮らしているとも言える。
爺ちゃんの話だと飛んでいる間は息が出来ないらしい。それで追いかけ回すと飛行距離がどんどん短くなって最後は疲れて飛ばなくなる。ただ走るのは結構早い、スピードガンでは時速32kmを叩き出している。ボルト並だ。
日本の国鳥でもあるキジは平和な鳥だ。
ただ友人はキジが蛇と戦って食べるところを目撃している。やるときはやります。

防衛庁のモチーフもキジだ桃太郎に大事な情報提供したからだ。
世界で自らの国鳥を食べる国は日本だけだという、なんだか日本らしい話だ。
鳴くことは自分を危険に貶める時もあるしかし、鳴かないではいられない時もあるだろう。

そんな甲斐甲斐しいキジ、夏には雛を連れて歩き回ってくれることをねがう。



2010年5月18日火曜日

名前

土曜日の朝は霜で屋根も白くなっていた。
長野では霜の付く名前がある、霜村、霜田、霜山など地域性が見えて面白く思っている。
あと沢(澤)付く名前は非常に多い、柳澤、中澤、北澤、滝澤、藤澤等切りがない。
聖書の日本語訳は不味いモノがあるが、日本の名前は綺麗だなと、多くの名前を呼ばせていただく事が楽しい。
私は海沿いで育ったので学校は松波小、中と出た、波の付く地名も多い、
能登町鵜川から宇出津(うしつと読みます。津は港の意味で日本中の海岸に名があります)にかけての海岸には、「矢波」「波並(はなみ)」「藤波」と波の付く地名が続き、三つの波を合わせて昔は"三波村と呼んだ。波平さんももとは磯の近くのご出身だろうか。
能登鉄道が有った頃は海沿いをその線になぞって列車が走っていて浪飛沫がかかるほどだった。
写真に見附島がみえるだろうか。島の付く名前も多い。
友人に財部(たからべ)さんがいますが、お金を管理する職業が名前になった形で他には語部(かたりべ)物部(もののべ)さんなどがある。

短命の羽田孜元総理などは元は秦と書き先祖は秦の始皇帝。
私は名前を美しいと思って呼ばせてもらう。日本人の名前は自然からとったものや美しい響きがある。
聖書の中では名前は単なる呼びかけや敬称ではなくその人の人格そのものでもある。
私の姓には萩がある。割と画数が多いので、この日本では生まれてから死ぬまでに何度この名を書くのか思い知らされてきた私には一つの決心があった。
生まれてくる子には出来るだけ少ない字数で画数で、
で3人の子供に恵まれたが皆一文字です。長男は一画だし、長女もアメリカでは一画になる。
それでも適当に決めたわけでもない。一人一人生まれた顔を見て決めた。
読みにくい名や発音し難い名はもちろん駄目。
占いには頼らない、必ずしも当たらないとは思わないが、過去の偉業を成した人のデータなどと語呂合わせがほとんどだから、それくらいは私にも出来る。
一度名前占い師と席が隣になった。
私は「実は娘が生まれたら◎◎と言う名にしようと思っているがいかがなものか」と家内の名を書いた。彼は「この名は水偏(さんずい)が両方になっているすなわち流れる。離婚する事になる名だからせめて◎子にしなさい。」と言われた。ちなみにたまたまだが◎子さんは家内の母の名で彼女は離婚している。
国に名前を付けるのは王、子に名前を付けるのは親、私の魂の親である方も私に相応しい新しい名前を付けてくださる。楽しみだ。

大切なことはまわりに振り回されず、
愛をもって名前もことばも、使わせて頂くことだと思う。

2010年5月17日月曜日

都のぼりの歌

私の住んでいる横に猿丸という地所がある。
空き家になった縁側で一人お爺さんが座っていた。
車をとめて声をかけてみた時お爺さんが話してくれた

「なあ、あんた猿丸大夫という方知っているか。
万葉集にあるわな。その人ここに住んどったんや。都からここまで流されたんだとさ。
ほらあの高い所に住んでいて今でも行くと基礎の後や畑の形があるわ。
村ん衆は、えらい方が来たってんで、京の話や、相談事、病気になったら聞いたりしていた。
なんで、こんなとこまで来たかは知らないけんど、なんでもその人の足は鹿の足だったんだと。その人の名前をとってここが猿丸になったんや。」

本当か知らない。聖徳太子の孫とも噂されるが、事実なら高貴な家柄であったのだろう。
そんな家に足の悪い子が産まれた。当時の習慣はよくは知らないが忌み嫌う事だっただろう。何とか命だけは、と遠いこの地に送られたのかも知れない。村の中でも住み難そうな彼のすまいから眺める先は奈良の方向だ。でもいくら目を凝らしても見えることは無い。それでも都に憧れていたかったのかも知れない。

奥山丹黄葉踏別鳴鹿之音聆時曾秋者金敷
おく山に もみぢふみわけ なく鹿の こゑきく時ぞ 秋はかなしき
小倉百人一首 五番(かなしきも掛詞になっている事今回初めて気付いた、、)

続けて話してくれた。
「この家は俺が建てたんだ。息子も嫁をもらい孫も出来た。良かったなあん時。ある日その下のトンネル車にひかれ嫁は死んでしまった。息子はここに住みたくないと町に行った。今日は宮の神様の用で来たけど。この世には、全く神も仏もいないな。」と深いため息をついた。

なんでそんな話を通りすがりの私にしたのか、わからない。
でも、神はいる。昔からおられ、今もいまし、のちに来られる方

猿丸さん、あなたも都に憧れたのですか。この世には悲しみや苦しみは絶えることがない
だからこそ、私も憧れます。きたるべき世に その都に


ルカ19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
ヘブル13:14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。
詩87:3 神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている。

猿丸が住んだと言われた小山

2010年5月16日日曜日

贈り物


能登には田の神祭りなるものがある。
収穫後、紋付き袴で、田に提灯持って迎えに行き、家にお連れし、風呂にいれ背中を流し、御膳で酌をし、お送りする一人芝居か劇団一人みたいな祭りだ。

まだ能登にいた頃、「そんな神はいない。迷信みたいなものだよ」
と言うと母が「そんなことない。こんな話を、聞いたことがある。」と
夜道を歩いていたら、田んぼから声がした。
「今年はずいぶんご馳走でもてなしてくれ、実に愉快だ。お前はどうだった。」と、
すると自分の田んぼから「俺の所は何にもしてくれん。それで頭にきたから、赤子を火に入れてやったわ。」と、恐くなって急いで家に帰ってみると赤ちゃんが囲炉裏に落ちて泣いていたと、話してくれた。

私は母に「そんなのは神じゃない。もてなさないくらいで怒り、子供を酷いことをするのは、悪魔か鬼で。神様ってのは、見返りも求めず、ただ良くして下さる方」と言ったことを思い出した。

半島という所は字のごとく半分島なので古き良きものも残っているが、古き悪しきものも沢山残っている。出ていく人は多いが入ってくる人はほとんどいない。
小学校の時、転校生が来たSoraという名も少しミステリアスだったが理由がこうだった。
彼は少し前、神隠しにあっていなくなっていたらしい。ある日戻ってきて「どこで何をしていた」と聞くと「神様と会っていた」と言う。占い師に見てもらったら。「この子は神の子だから、松の付く学校に転校させなさい」と言われたらしい。ちなみに私は松波小でした。そんな理由で転校が認められるのか分からないがまあ神の子とは思えない行動だった。

結局、田の神も人も土から出てきたもので、土に帰る。
下からわき上がってきたものに何の価値があろうか。
上からそそがれたものはすばらしい。人が尊いのはその命でありその息である。
命は天に憧れる。手を伸ばし上を見上げて今日も過ごしたい。

1:16 愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。
1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。

2010年5月15日土曜日

落とし物

自転車やバイクが捨てられてボロボロになっていくさまを見るのは何だか悲しい気持ちになる。
それが、錆び一つ無く、新車だったときがあったのだ。
親にか、バイトして買ったか、とにかくそれが届いて、喜んだ日があったはず。

ある日、長野駅の駐輪場に長いこと置いたままのバイクがあった。
状態を見ると盗難車ではないかと思った。
気になる、ある日ついに駅の交番に行ってみた。
「あのー、あそこのバイク盗難車じゃないかと思うのですが、調べていただけませんでしょうか」
一番偉そうな太った警官は見るからに面倒そうな顔で机から。ゆっくりと立ち上がった。
そして一言「どうして、お前にそれがわかる」
「いえ、私は分かりませんので、調べて欲しいと。知る限り半年程置き去りで動かして無いけれど今ならまだ直せますし、持ち主も探しているかも知れません」
警官は
「アレは、ただのゴミだ調べる必要はない」と言った。
「ゴミではないですよ。価値があるんです。何か訳があるんですよ」
警官は呆れた顔で「いいか、あれにはシートがなかっただろう。イスの無い自転車はゴミだ、だからあれもゴミ。そんな事に、構ってられないのだ」
「では、チャックの壊れた財布を私が拾ってお金が入っていてもそれはゴミですか」
「いや、それはゴミではない」
「では、あのバイクもゴミではない調べてください」とこんな話が30分ほど続いた
「では、ゴミを私がひらった事にします。私は取得物として届けますのでその手続きをお願いします」
すると「ゴミだから落とし物として手続き出来ない」という。

「電話を貸してください。本部に確認します」と、担当に聞くとゴミの様な物でも一応届け出は出来るという。
「では、お願いします」と言うと苦々しい表情で「持ってきてもらわないと手続きが出来ない」という。
「では、持ってくるので」と言うと「此処にはあんな大きな物は置けない」という。「じゃあ、どこならいいんだ」と聞くと「中央警察署には置くところがある」という「じゃあ、そちらに運ぼう」というと。「重いし、私たちはパトカーしかないから運べないし、時間もない」と言う。頭にきたので「じゃあ俺が今運ぶ」とユニックをレンタルして運んだ。
一月が過ぎた頃バイク屋から電話があった。
「あなたの拾ったバイクの持ち主が見つかりましてうちで修理中です。では。」という事だった。
なぜ、警察からではないのかとも思ったがそんなことはどうでもいい、あのバイクは本来の持ち主の所に戻ったのだ。
乗り物は持ち主に乗ってもらってこそ価値がある。
私も本来の持ち主の所にある事が、私としての一番の価値であり喜びです。

俺はお節介だな。ただ神様も結構お節介かもしれないと考えている。

2010年5月14日金曜日

スキマ産業

今年は寒いですね。朝の気温は3度ほど
そんななか薪のスキマで、
がんばってます。 セキレイ!

最近スキマ産業分野が熱い。
学校の宿題を代行してくれるネットビジネスを考えた方が
「新しいスキマを見つけたと言っていた」

バクテリアの中でもプラスチックを食べるモノが見つかっているらしい。
まあ、美味くは無いと思うのだが、競争相手もいないし、
河口などではゴミも豊富ですので、
がんばってます。 細菌!

2~3年前から、気になっていたわたくし事、
コンクリートの壁にオレンジのペンキをぶちまけた様なもの
ついに、車を止めて調べてみたら苔の様なカビの様な生き物だった。
本来コンクリートは強アルカリ性で生き物が繁殖しづらい。
でもそんな所は日当たりも良く競争相手がいないので増えてきました。
能登でも見たので全国展開中だと思われます。
藻は普通は水中なのですが、
がんばってます。 スミレモ!

写真は黒姫の道沿いでここはすごいですね。
普通は水の流れやすい所にサーっと流した様についてます。
地衣類を構成する藻類にもスミレモの仲間が多いようです。
藻類は動物、植物の分類を超えた種々雑多な生き物の集合体。
なぜオレンジ色なのにスミレなのかは実際に探して見て確かめてください。
意外な理由がありました。しかし、何でもあるなー
やり出すとやりすぎる私はがんばってろくな事がありませんでした。
多分、努力家とかがんばってるねと言われる方は周りの評価がそうであるだけであって、本人はその状態が一番いいからやっているだけなのでは無いでしょうか。
ですから、がんばりません。 電気屋!

やっぱ内側の方にがんばってもらわんと

追記です。セキレイの画像は見づらいのでクリックして見るとよく見えます。目が可愛いです。

2010年5月13日木曜日

セキレイ、お前もか!

長野には廃村になった村がいくつかある。
開拓時代の村がそのままなので、トレッキングがてらのちょっとした観光スポットのようになっているところもある。

気がつく事は、そののどかな、いえなみに命の気配が無い寂しさ。
家があるのに住む人が、いない。
ツバメの巣はあるのに、ツバメは飛んでない。

スズメやツバメは人がいないところにはすまないという。
私も戸隠のここに家をたてたとき、スズメやツバメがいなくて野鳥ばかりだった。
何年かたってからスズメが来るようになった。
ツバメがガレージに来たときもある。
写真は寝室から見えた(寝室を見ている)スズメです。

町のスズメとは違い、チュンチュンとは鳴かない。
子ネズミのようにチューともチィーとも鳴く種類だ。名前は忘れてたが、んなことはどうでも良い。
来てくれてありがとう。田舎モノの私にはスズメが似合うと思う。

昨日アップしたセキレイは地面からわずか50cm程の所でつまれた薪の中ほどで蛇やネズミがすぐ来そうな所になぜ、産んだのだろうと思っていたのですが、玄関のからも50cm程で駐車場に面した人の出入りの多いところだからこそかも知れない。

先日の薬師寺や大きな教会堂を見るとき、建物のすごさや、それを作った事、守ってきた人たちの事も思うが、どこか、山奥の廃村と共通する寂しさを感じる。
そこには、本当のあるじが、いないからだ。
どんなに、狭く、みすぼらしくても、主がいる所に私も共にいたい。

3月に風のささやきのtakakoさんに「住む方、使う方がいない家は、生まれたままの私を見るようです。
今は心に聖霊という住んでくださる方がいるので、ホッとしています。
ボロ ボロだったのに良くしていただき良い方に住んでもらって嬉しいです。」
このように書いたことがあったのですが、セキレイも同じなのかもしれない。

不安要素は沢山あるが、あなたを見守っている方はいる。

2010年5月12日水曜日

セキレイ


昨日から始まった子ども部屋のリフォームしている横で友人のJさんが見つけたセキレイの卵です。
いろんなものから守るために地味な色を施された宝石です。

今回、諏訪で事故があり亡くなった方もいて命について考えさせられた。
柱をたてるときに何故人が上に乗っていないといけないのか、
なぜ急坂をおろす時に人が乗っていないといけないのか。

日本は工事の安全に対して世界一厳しい基準があると思う。
ヘルメット、足場、ネット、安全帯など落下しないようにと言うより落下できないようにしてある。
そこまですると、工事をする上でその足場が邪魔で仕事が進まないことも多い。安全に対しての意識がなくなってくる。自分で自分を守る必要は無くなって来るからだ。
足場の代金も半端ではない。結果、建設費が高くつく。最後は、家を建てる人が苦しむことになる。

この前新聞を見せてもらって自動車の窓の事故について書かれてあった。
窓に挟まっての事故に対してこうあった。
「安全を人に任せるやり方には問題がある。システムの中で安全を確立すること
が大切、早急に改善を」と言ったないようだった。
確かに事故はあった。しかしそれは30年前からあったことで、アメリカでは50年
近くたつ事。
今の技術では出来ないことでもない。そしてその仕組みがあること自体は悪いことでもない。
大きな人の叫び声で停止する窓、でも声の出ない人向けに、人の柔らかさを感
知、停止する窓、でも骨太のゴツゴツ君は、、、
システムは必ず穴があり、時間で故障もするだろう。
事故の時にはメーカーが保障するのか。すると保証の無い車は危険だから乗って
はいけない事になるかもしれない。そうなると使える多くの車が廃棄でメーカー
には朗報となる。
その話をしたら助手席の家内がいった「これでいいじゃない」
うちの車は手でくるくる回して開閉する窓だ。確かにこれなら自分の首や手を切る事は無いだろう。

死は生を覚醒させてくれる。自分の命がほんの些細な事で消える様な状態に置いて「俺は今、生きている。俺は死にたくない」と声にしていた。スポーツは闘争本能をオブラートで包んだ物と言われるが、きまりや安全システムが全て保障してくれるわけではない。

命を守るのは人の務め、子の命を守るためには親である自分の命も守らないといけない。
しかし、子供の為には親は命を捨てる覚悟もあるだろう。
矛盾した世の中で何が善で何が悪かわからない。しかし真実はある。

たまごを心配そうに見守るセキレイの親に今日も教えてもらいに行く。

2010年5月11日火曜日

奈良

日曜日は、7年ぶりの日曜礼拝という集いにいかせていただきました。
形や流れって面白いものだなーっと思わせていただきました。
そんなことより、人そして神が何よりおもしろいですね。
お会いできた皆様、親切に接していただきありがとうございました。
当方らは未だリハビリ中ですが、トンネルの先には光が見えてきております。末永くよろしくお願いいたします。

宿泊はB&Bにしみねさんで泊まらせていただき、月曜日は薬師寺を見てきました。というより、故西岡さんの仕事がみたかったので行ってきました。
10月から東塔は改修に入るので比べて見れないので1300年祭等はほっておいて薬師寺で唯一当時のまま残っている1300年の時間経過も味あわせてもらいました。

 西塔は昭和56年(1981)に復興。鮮やかな色ですね。奈良の色です。塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に使われている色を「丹[に]」色と呼び、万葉集に

あ おによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり

「青丹良し」って良いですね。西塔は建築当時を思わされ、東は風雪に耐えた趣があります。

屋根のソリの違いわかりますでしょうか。高さも一尺くらい西が高いそうです(私のレーザーアイでもわかりませんでしたが)。1000年経つと同じ高さになるそうですが、槍鉋やちょうなの削り後が今も昔も変わらない美しさでした。

私にとって海外などの大きなキリスト系教会も薬師寺も只の歴史的建築物としてみるので同じ気持ち同じような雰囲気を感じさせてくれます。良いも悪いも霊的なモノは残りますね。平城京などはまわり野っぱらだそうであれだけ残ってますから。東大寺の鹿もかわいいですね。奈良は宗教のるつぼ的な所でもありますね。

西岡さんが「地震などで東が倒れ西が残ったらええけど、逆やったら腹切らなあきませんわな」と書いていらっしゃいましたが、さて数多くの中で最後まで残るもの立ちおおせるもの非常に興味があります。



2010年5月8日土曜日

恋路


明日の朝は少し早く家を出るので寝る前にアップします。
夕食は庭のたらの芽と能登のタケノコでした。どちらも旬はいい。

日本海はコバルトブルーのイメージがあるが、それは冬の空を写しているだけで、今も綺麗でした。
ラジオ体操のとき鯨がいたことや、鰯の大群で波が銀色にうねっていた事。
小学校の帰り50ぱいのタコを捕ったこともあったし、夏の夜釣りで、ボートでこぎ出した時の夜光虫のライムグリーンの色は夜空に自分が浮かんでいる様にも感じるひとときだった。

嫌な事も、出来るなら消しゴムで消してしまいたい事もあったが、思い出はいつも美しい。
私の生まれた所は恋路という。幸福駅の切符が流行った頃、恋路行きの切符もずいぶんと売れたことがあった。
数年前、
能登鉄道は廃線となったが、まだ駅は残っていて、様々な人の恋の思いが書きつづられた何冊ものノートを見ることが出来る。
「大阪から彼の助手席に乗って来ました。ずっとそこ指定席でありますように」
「3年前一緒に来た彼女と結婚しました。もうすぐパパです」
「友人と来ました28歳彼氏いません。贅沢いわないのでよろしくお願いします」

巡りあうべき方と、出会い、いつも、いつまでも共に普通の生活がすごせるといいですね。

追伸、コメントにアクセスしやすく設定を変えてみました。
もしよろしければ挑戦してみてください。

ムベ



個人的な思いをつづることがブログなら今日はそんな話です。

私はアケビが好きです。

図鑑には三つ葉アケビと5つ葉アケビがあるが、私の中では沢山のタイプに分けられていて、その紫色の高貴な色と味は私を虜にする。
もし、これが食べてはいけない実だと言われてもかなりの誘惑になるだろう。

今回田植えに行った時アケビの花が満開だった。
雌しべに粘りけのあるその花は鼻にくっつけてよく遊んだ。
種類によって花も違う、今回は”おんび”と呼ぶ一般では”ムベ”とも”トキワアケビ”とも呼ばれているアケビ科ムベ属の花も見た。葉は7枚のタイプです。
”ムベ”はお気軽に道ばたなどで見ない。
成長しないと実をつけないからか神社の大木や深い森や断崖に多いので実は食べるが、花を見た覚えはなかった。
味も少し違うし、真ん中から裂ける事もしない”ムベ”だが、これも絶品である。
色も何とも言えない赤褐色の宝石の様に私には見える”ムベ”はやはり私のお気に入りです。
アケビと同じく雄花と雌花があり形が多様でしかも可憐ですね。

私はいつも”ムベ”の実を見てきただけだが、神は種の時から、花を付ける前でも、ツルを延ばし葉を茂らせる時も、一羽の雀や、野の一輪の花と同様に、いつも心にかけている。

私は今度、稲刈りに行く時にまた”ムベ”を見ることになるだろう、
それまでは私が知らないだけで、神は休まれることなくずっと働いてこられ、これからも働かれる。
いつか私が、実った”ムベ”やアケビを見上げて喜ぶ姿を見て神も喜ばれるだろう。
私が長野にいるので、その日々の成長を味わうという楽しみは目で確認出来ないが、
主はいつもあの木のこずえで美しい花を咲かせている”ムベ”と共にいてくださり、必ず宝石の様な実を付けさせてくださる。

私は”ムベ”も大好きです。
実りの頃また見れる日が楽しみです。

2010年5月7日金曜日

赤土


実家で田植えの手伝いに行ってきた。農家の朝は早い、朝食を終え、田んぼに立って時計を見ると6時10分だった。
まあ、私の父が早すぎるのだが、、、
帰郷して、いつも感じる事は、実家はもう 私の家ではないのだということ。
父は「お前の家」と言うが、私の帰るべき家は今、戸隠の家なのだ。

実に家はいいです。旅行も好きですが、最後の頃になると自分のベッドで寝る事が何より楽しみになってくる。
どんなに高級なホテルに泊まっても、我が家が一番なのだ。

それでも自分の生まれた所は実に味わい深い懐かしさがある。
塩を乗せた風や、強い日差し、夏を感じる草の萌える勢い、そして何より土の香りである。
日に焼かれた赤土から立ち上るにおいには蜘蛛の巣でとる蝉やクワガタをつかまえるために登ったケヤキの木、青緑色の海で魚やタコを捕った思い出と共にある。

戸隠は黒土で木も落葉するので腐葉土も多い。
能登は大体、赤土である。(一部は珪藻土とサンドもある)
アダムの語源になったアダマとは赤土の事で、私の生まれ育った地方の畑を見ていたらいくつか思い当たる所があった。

母などは戸隠の土をみて「くろぼこ」と呼んでうらやましがるが、決して黒土が優れている訳ではない。
ただ赤土の習性で水を含んでいると岩のように硬くなり、雨上がりなどに耕してしまうと、その年は最後までごろごろの扱いにくい土となる。
黒土は固まる事がないのでいつも耕しやすく 踏まれても収穫時簡単に引き抜けるお手軽さはある。
赤土自体は栄養分が無く肥料を与え続け無いと植えたものは良いものになりにくいのに対し黒土は有機物分と肥料分に富んでいます。
と、ここまでなら母の言葉も分かるのですが。まず、新しい命を育てる時、特に挿し木などは赤土でないと栄養価の高い他の土は雑菌も多くうまく育たない。
また赤土は簡単に固まるので珠洲焼きなどにも使えますし、適度に玉にすることで通気性が良くなるメリットも併せ持ちます。
神様が人を造るときたまたま赤土を、で無く、選んでその土から造られたはず。
形にしやすく霊を入れる器にもなること、命を始めるに良いが、その命が成長するには土からでなく誰かが常に命の養分をもらい続ける必要があること。固まりすぎると手に負えなくなるが、サツマイモや葡萄はそんな痩せた土地の方が葉を茂らせることよりまず根を張のばす事で、結果最後には良い味になる事など。赤土ばかりの能登は2重の意味でも私のふるさとなわけです。

2010年5月5日水曜日

つづき

家内と私は他人だ。
家内と私は考え方が違う。
家内と私は性格も違う。
ただ、家内と一緒にいて何故か飽きない。

結婚とはカルチャーとの出会いだ。
例えば私の実家では、全て畑で取れる物はおかずだった。
苺、スイカ、リンゴ、メロン、バナナ(これは買うが)は全て一口サイズで醤油をかけてご飯と食べていた。19で嫁に来た家内は「あり得ない」とか「あなたの家おかしくない?」とも言わず、私の母の味を今でも全て忠実に再現してくれる。
ありがたいことだ。

結婚が与えてくれるものは沢山ある。
私は駐車場はスーパーだと出来るだけ入り口に近いところにとめたがるが、家内はむしろ遠くにとめて歩いて行くことを望む。
前に30kmで走っている車がいると悪態をつく私に「前の人は私と同じ人なのそう思うとイライラしないでしょ」と言われ渋々とそれを受け入れる。誠にぃぃありがたいことだ。

学校でいじめにあってどうしても辛いなら行かなければいい。
職場で合わない人がいるなら、仕事を変えればいい。
友達関係でうまくいかないなら連絡もしないでいればいい。
でも、夫婦は「合わないのでじゃあ」とはいかない。
だからこそ、価値があると思う。

それで心の狭いこんな私も家内といる事で、仕方が無く家内までくらいは受け入れるしかなくなる。家内と過ごすことは毎日が心のストレッチかリハビリである。
結果、ほとんどの方々を「人はそんなものだ」と受け入れる事が出来るかなり心の広い人間に思われる事もある。実にありがたいことだ。

1000人以上の花嫁を見てきた、お世辞ではなくどの方も綺麗だ。
ただ一目見た時に吹き出した花嫁姿は家内だけで、今でもそのことでいじめられるて困るのだが、それも決して嫌いではない。
結婚とは不思議なものだ。
非常にありがたいことである。

2010年5月4日火曜日

結婚記念日

人生にはさまざまな祝いの日がある。
誕生、命名、100ヶ日、七五三、入学、卒業、成人、長寿、信仰者には葬式も誕生に優る祝いの日。
沢山の人生の節目となる日の中でも
結婚の祝い以上の日は無いと思う。
それは、当人だけではなく、周りの関係する人たちにとっても実に喜ばしい日だ。

式を挙げるか又はどんな形で執り行うかは関係ない。
結婚をするということが、素晴らしいことだと思う。
ある時、「あなた方は結婚して何年になりますか」と聞かれた20年になりますと答えると
「では、あなた達はまだ、本当の素晴らしいところは味わっていないわけですね」とおっしゃられた。
昨日で式をあげてから27年たった。確かにそう思う。
結婚した頃は本当にまだ”ガキ”でただ一緒にいたかっただけ、恋愛の続きのようだった。
すぐ長女がうまれ子育てが始まる。当たり前だが子供のおかげで親にさせてもらった。
子供が成長し大人になって気がついたことは、子育てに一生懸命であまりお互いを見る余裕がなかった事。

友人にあずけて2人だけの時間を持ったこともしたが、子供が小さいうちは、落ち着かない感じでそうそうに戻ってきてしまう。子育てはそれくらい大きな仕事だと思う。

旧態然とした能登では結婚は家と家の式となる。
私の母が「お宅の娘さんを頂けなければ、家の息子は死んでしまいます。」と言ったことを後で聞いて恥ずかしくも懐かしく思う。
あれだけ好きだったのに、あのころは何にも知らないでいたんだなと振り返る。
今でも、「この人、こんな所あるんだ」新しい発見があり新鮮だ。
相手を知ることで、より広く深く相手のことが好きになる。

人生には3つの大きな出来事があるといわれる。
生まれること、死ぬこと、そして結婚をするということ。
3つの中で自分で選ぶことの出来る事は結婚だけです。
もし、そんな巡りあわせに出会えたなら結婚するということもお勧めする。
結婚は独身の頃より複雑ですが、それ以上の価値があります。

2010年5月3日月曜日

香り2

植物が殺すと言うと何だか不思議な気もしますが、それは事実です。

ィキペディアでは

1930年ごろロシアのボリス・トーキンが、植物を傷つけるとその周囲にいる細菌などが死ぬ現象を発見した。とある。
まあ、ニュートンが万有引力を発見したのと同じでそれ以前から知られその後も変わっちゃいない。
彼らの見習う所は神の造った事に目をとめたって事でしょうか。

日本人も古来からこの作用を使ってきた民族で、ワサビ、ガリやサワラの弁当箱やさくら、笹に巻くと細菌の繁殖を押さえ、食べ物が長持ちすることを知っていたと日本人の私は思いたい。

ヒバの家には何年も蚊も入らないと言われ、桐のタンス、クスノキ(しょうのうの材料)で作ったモノは着物を守る事など先人達はすごいです。
動けない植物にとって香りは自分を守る方法の一つで攻撃性もある。
葉をある程度食べられると摂食障害を起こす物質を出す。タラの芽も1番芽は美味いが2番、3番になると不味くなるしもう食べたくなくなるでしょ。
古くから「忌地(いやち)」と読んできた作用も植物の殺す作用で、コーヒーの木やニセアカシアの周りには雑草がほとんど生えないカラマツやヒノキの林に苗木を植えるとその育ちが悪い、どうぞ今度、檜や杉の林行ってみてください下草がほとんど無く虫もほぼいないそこにはその木の香りが広がっていてその香りが森を守っている。

これはその植物が作り出す香りの成分が空中だけではなく、地面に落ちて最後には土にも染みこませてしまうから。
木は毛虫などに襲われると、毛虫が嫌がる成分を葉に蓄えて食べられないようにするが隣の木にも教える。このおしゃべりは『アレロパシー(他感作用)』と呼ばれています。
アロマとか和漢の薬も同じ作用で人に役に立ちます。最近はこの作用を利用した農薬も開発中らしいです。
理屈はわかるが初め「植物が殺す」(原語はギリシャ語とラテン語の造語でフィトンチッド)と聞いた時、良い気持ちがしなかった。
確かに神様が木を守る術を与えたのだが、殺すって、何だか違和感を感じた。
あの清々しく、良い香りが、、殺す。

セイタカアワダチソウ一時すごく増えて問題になりましたが、最近そんなでもないですよね。
私が小学校の時、理科の先生に「帰化植物のこれは今まで日本の草類の頂点に君臨してきたススキも勝てない」そう教わった事を今でも覚えている。修学旅行で関西行ったとき「これがあれか」と一面黄色くなったその背の高い草を覚えている。
だから最近の劣勢は少し疑問に思っていたのだが、自分を守る成分が強すぎて自らが中毒をおこしてしまうから、3年ほどでへってしまう。金沢の千里浜海岸にすごく繁殖していたニセアカシアがある時一気に枯れてしまった事を父が不思議がっていたがなるほどそういう事で連作の駄目な野菜等も同じですね。

私は自分の吐き出す言葉や思いやりの無い態度で自分が嫌になってしまうときがある。自分で自分を変えようとしたときもあったけどうまくいかなかった。
自分の中に実にいやらしい自分がある事は知っていたが、自分はそんな自分は自分が尊敬出来ない。
自分は自己中という中毒症状になっていた。

私の希望は、かつてエデンに1本だけあり、天では川の両岸に群生している「命の木」その香りが私の臭いを消して、古い私を殺してくれる事。
私の中に植えられたその種から伸びた芽が葉や枝を伸ばす。
その木からふりまかれる香りは風に乗ってまわりにも流れていく。
地に落ちた香りはその土に染みこんで食い荒らすものや雑草もはえない。
私はその香りに包まれているとうっとりして穏やかな気持ちになる。
 

2010年5月2日日曜日

香り

父は鼻が良い。部屋の中にチーズやヨーグルトを置いておくと
「なにか、腐ったものがある」と言う。
DNAは父→私→次女と受け継がれているようで、香りの強いものが苦手だ。
小学校の時、臭い付き消しゴムが流行った頃、その臭いに気持ちが悪くなった記憶がある。
香りの強い食品も苦手で、サンショウ、ミョウガ、セロリなど3代そろって駄目だ。
しかし、少しずつ改善されてワサビ、カラシ、最近ではショウガもいけるようになったが、まだ人生で克服したい食べ物が多い。

生きているものには、何かしらの香りがあるものが多い、木が製材されて板になっているとかなり木に詳しい人でも分からない時がある。
だから、世では代替え品という事が承認されている。
例えは桜の無垢材フローリングを買ったとする90%くらいは桜ではなくカバの木だ。
板にしてしまったら分からないし、この世界ではそう定義されているのだ。
黒檀、花梨、ケヤキ、檜、杉、等も原木ならその材だが、製品になると偽物が本物として流通している。
ニセケヤキ、ヒイラギモドキ、イヌツゲ、アスナロなどは、まだ親戚みたいな人が「実は私は皇族なのだ」と言うようなもので許せるが、全く違った種類の外来品をそれを明記もしないで商品として流す、業界のいい加減さには、もう、怒る気(木)にもならない。

木の種類を見分ける一番のポイントはあたりまえだが実を見ることです。
リンゴがなっていれば、リンゴの木だし、葡萄がなっているなら葡萄の木ですから。
ただ世の中の製品として流通している木材に関して、特に塗装などされているときは、かなり難しい。
新品を古く見せたり、白い木をローズウッドの様にみせているものもある。
そんな時、参考になるのは値段や、持ってみて重さ、触ってみて質感でしょうか。

ただ、それはあくまで参考にしかならない。
出来るならノコギリで少しでも切らせてもらうなら、かなりの確率でわかる。
その木には特有の臭いがあるから近い種類の木であっても少し訓練すると見分けることが出来る。

臭いに敏感なこともいいこともある。
ミカンを、箱買いしたとき車の後ろに積んで発進しようとしたら、
娘が「ミカンくさってるよ」と言うのでまた店に行って見せたら交換してくれた。
見えないものを探るとき臭いは役に立つなー。

2010年5月1日土曜日

やか


裏の梅が満開です。
周りはまだ、冬みたいに葉もないですが
梅の後ろには山葵が花を咲かせていて
これも満開です。

連休はいつも家に居ます。たまに友人が来ることはあってもこちらから連休に移動したことはありません。

今朝3階のロフトから撮った写真です。
戸隠連峰も綺麗に見えてました。
少しだけ春霞が感じられます。
人混みのお嫌いな方は、お茶でも飲みにきてください。
(家は散らかってますが、、、)

今朝は空気が停まっているみたいに穏やかです。

1ペテロに
3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

穏やかという言葉は結構聖書に出てくるイエスの性格の大切なところ
~やかという、言葉は、日本語の私の好きないい方だ。
人を貶める、引き下げる、汚い、駄目にする様な表現がない

晴れやか、淑やか、緩やか、涼やか、にぎやか、など考えれば50以上の~やかがある
葬儀でもしめやかに、おこなわれました。など綺麗ですね。

私もまことしやかにいいますが、まずは“つつましやか”にいきたいです。
これを使うようにすれば、人とのトラブルも減るんだろうとひそやかに忍びやかで無い私はささやかに思っている(ムリあるな)