2010年8月31日火曜日

食べ物

食べ物の中に不自然な添加物が入っていたり
生産効率を求めることで科学調味料などで食品の味付けをしていることを知り「買ってはいけない」を読んだり、(ちょっと誇張あり)知り合った方々が何年も前から衣食住に対して考えて生活しておられる事を知りここ3年間程の間に食べものに対する思いが変わりました。あとは生活用品なども便利と思って使っていたけど、簡単に汚れが取れたり泡だったり臭いを消したりするのだけれど長く見ると身体に良くないものを使っていたのだと驚きました。自然のものを使ってお掃除もできることが最近本でも紹介されているのでびっくりです。簡単にCMにのってしまいます。

神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
神のことばと祈りとによって、聖められるからです。

と聖書に書いてあり、最初はあんまり吟味せずとも、祈って感謝していただけば大丈夫と思いながらきキッチンの窓に置いて読んでは気にしすぎてはいけないそうそう感謝、感謝と思っていました。
でも、毎日その言葉を見ていていたら、神様の作られた物はみな良い物で・・・と目に止まっていって
神様の作られた物は窓から見える木々、くだもの、野菜、草、雑草でさえ食べられる。鳥や豚に牛、魚・・・
そう考えているうちに、人間が作りだした物、化学調味料や不自然な物はやっぱりよいものではないのだぁと自分の思いでこの「ことば」を見ていたと思いました。
今の時代一切それを取らないとは思わない、でも知らないより知った方が良いこともあるし使わなくてよい物や食べなくてすむ物もあるし選べるのだからと思い直し、感謝感謝と呪文のように使っていたことが間違っていた事を気付かせていただきました。
日本の粗食と言われている食事は、貧しく見えるけど身体には良いのだと
思わされます。レトルトは簡単で美味しく感じるけどけどちょっとした手間が
身体によいものになる。品物を選んだり、工夫したり、
自分で切ったり煮たり、味付けしたり、食事を作るって、大事なお仕事なんだとあらためて考えさせられました。
沢山の人が考え出した便利なものにも助けられているし上手く使っていきたいしありがたいですが
やっぱり神様の作られた物は素晴らしいと感じさせていただいたのでした、
日々の糧を与えていただいていることに感謝、
そして私たちの口に入る物が身体に良いものとなりますように

*写真の料理はマーボーナスにズキーニーも加えて作りました。
 中華にもあうズッキーニーです。

2010年8月30日月曜日

プレゼント

今月の家内の誕生日、
子供達はすっかり大きくなり結構忘れ気味
私は、取りあえず、ユニクロ行って見つからず、
本屋で好きそうな本を買ってみて、何だかしょぼいなーと、
帰る前に、ケーキ屋でショートケーキを6ヶ、うちではめったに買うことが無いのでとても喜んでくれた。よしよし!
遅くなってから娘の彼氏が来て誕生日だからと、マッサージクッションを渡しに来てくれた。これが以外や具合が良く家内は非常に喜んでいた。
なんだか、金額的にもボリューム的にも負けた気分だったが、やるな。

昨日、市内から帰ってきたら、腰と背中を揉んで欲しいとリクエストがあった。
インベーダーゲーム全盛の頃、ゲーム機の置いてある喫茶店に中学の時から入り浸りマッサージ10分100円のゲーム代を稼いでいた私であるので、機械に負けずと気合いを入れてしかも丁寧に女性を扱うようにもみほぐす。(注、家内は女性ですが、、、)
十分満足した頃、
「あなたへの最高で最大のプレゼントは、私なのだ。」
私が出来る、それ以上は無いと信じている。
これは、彼には出来んだろう。フー(汗)

2010年8月28日土曜日

花火

戸隠は地区ごとに花火をあげて祝うようで、
毎年3回くらいは家から花火を見させてもらう。
おそらく100戸以下でやっているのだろうが、
他に灯りのない場所で揚がる花火は結構華やかに感じる
夏の終わりを感じさせる寂しさも少し味わいながら見ていた。
春、冬の終わりは、寂しさを感じないのに夏の終わりや秋はどこかもの悲しいのは、パッと咲いてパッと散る花火のせいだけでもないだろう。

2010年8月27日金曜日

小川


風が涼しくなってきたのでバイクで小川村まで此処には三重の塔がある。
江戸時代、戸隠道と呼ばれたらしい街道の側にあります。
807年に坂上田村麻呂が弘法大師の観音像を設置した事が始まりらしいです。
最初の塔は源頼朝が1195年に建設だから800年以上立っているわけですか。近くの建物の中の天井には自然の草木の絵が描いてあり、それは素朴でいい感じです。金箔を張った天井より好きだ。

奈良、京都のものと比べると実にかわいいがそれでもよくまあ作ったものだと考えさせられる。
この決して物質的には豊では無かっただろう山村の税の事を考えると少し悲しくなる。
高さは17.1m、現在日本で一番高い塔が55mだから、やはり小さいし、軒のラインも少しずれていて、厳しく見るとまあ、そんなもの(十分だが)現存しないが過去には110m前後の7重の塔も有ったらしいので、人の意欲はすごいものだ。
それよりも、帰り寄った小川のお焼きはおいしいです。
スイカも買って帰りたかったが、既に重い家内を後ろに乗せているので止めました。
実に美味しそうでした。 

2010年8月26日木曜日

わからない

10年ちょっと前に建てさせていただいた友人から「テレビが映らなくなったんですよ。新しいバイクも買ったからついでに見に来て。」と電話があり次の朝、行くとガレージにイタリアの真っ赤なバイクがあった。脇にはうちで生まれたラブラドールのベーちゃんも嬉しそうに吠えている。
テレビはブースター部を手で触れただけで直ったので「接触不良だと思います。増し締めしたので大丈夫と思いますが、様子見てください。」と、べーちゃんの頭を撫でバイクで一回り「これ、面白い。」とバカ話して帰った。

昼に彼から私の携帯に連絡「今、動物病院からの帰りですが、、、べー死んじゃった。朝あんなに元気だったのに、、、あなたが来ると誰より喜んでいたから最後に会いたくてそれでテレビ映らなくなったのかも知れない、、、。」と声を詰まらせていた。11年目の夏だった。寄ろうかとも思ったが悲しみは家族だけで受け止めるのが良いような気もした。

3日してまたテレビが映らなくなった。行くと、いつもの場所がガランと寂しく見えた。玄関には桐の箱が置いてあった。テレビはまたすぐ映ったが「2度目なので接触部品だけ変えました。これで良いと思いますが。」と帰る。と2日してまた映らないとのこと、原因はわからないが行くと直る。が、その日の午後また映らなくなったと電話が。
私は「すみません。何度も、原因は判らないのですが、今回ブースター一式交換させてもらえませんか。3万円程かかりますが」彼は「今回だけもう一度見てくださってそれでだめなら、、」と修理方法もわからないまま向かう途中、頭の中でご家族には慰めの言葉をかけてきたが、桐の箱に入ったべーの遺骨には声をかえてないなーと思った。
私は犬の霊など有るとも思っていないし、死んでしまった犬が私を呼ぶなんてどう考えても有り得ないと考えている。
しかし私の頭で理解できないから、絶対無いとは言えないなーと、頭を空っぽにして「じゃぁ、今日行ったらいつものようにヨーシ、ヨシと撫でてやろう。」と、そうしてみた。自分でも馬鹿馬鹿しいと考えると可笑しくなる様だったので余り深く考えない様にして生きていたときと同じく撫で揺すってきた。
箱を振ると中からカラカラと乾いた音がした。
箱の頭をポンといつものように叩いて「じゃぁ、いつかまたな。」と帰った。

あれから電話は無い。どうゆう事かわからない。ただ犬にも魂はあるだろう。その気持ちを造り主が受け取ってどうこうとか、わからない。本当に、私にはわからない。
でもまた会えたらいいね。

2010年8月25日水曜日

幸せ


家内の心が病んでいたとき
本人は普通なら自分の身体の変化に気がつくのだが、
体重を計る気力もなくなっていて、その頃10kg以上は痩せたのではないだろうか。、
私の母が家内を見るなり
「どうしたの、ずいぶん痩せたんじゃないの。」
「そうですか」と家内
母は、「えらい太っとったもんなー。」と一言
ガクッと来た家内が笑った。鬱になると泣かないし笑えない。

笑えるって幸せなことだ。、家内の心も癒された後、
幸せ太りになったことは書くまでも無い。
今は母の話を思い出し笑う、家内はあのころ体重計っておけばよかったなぁー、
と、エジプトの時代を振り返るように、当時のボディを想像しているようだ。
裏庭ではムクゲの花が満開だ。この後霜が降りるまで咲き続けてくれるだろう。

2010年8月24日火曜日

烏骨鶏

私の心が不健康な時
主人は鬼無里の奥深いところでケーブルテレビの配線のお仕事をしていて
規定により一人作業は禁止だったので
家にいて考え込むより体動かそうと仕事に連れて行ってくれました。
もちろん仕事はあり、電柱に登っている主人のサポートやら
家の中の工事でもインパクトと言うと渡し、ペンチとって、コンセント、
専門のネジ準備等、歯科助手のように渡していく・・・
もう一つの仕事は、田舎のお婆ちゃんは休憩やお昼に
必ず漬け物を出してくれる。主人は漬け物は食べれるようになった程度で
うれしそうに食べてくれる人がいると
助かると漬け物を食べる仕事・・・

そのころの私は、何も食べる気がしなくて、
食べたいと思う気持ちも無くなっていたのでした。
そのお昼にお弁当を出して
食べなきゃなぁと思っていたら
お婆ちゃんは卵一つ入ったみそ汁を
主人と私に出してくれて話してくれました。
実は、昨日家で飼っている烏骨鶏が全部、
獣にやられてしまって
これ最後の卵2こなんだよ。
いとも簡単に言っていましたが、近くにお店がないし
この鬼無里は交通が不便な為
買い物が大変、移動スーパーだってたまにしか来ない。
卵や豆腐は貴重なのです。鬼無里を回って老人が大変なのことを
知っていましたから,烏骨鶏の卵はさらに貴重で栄養価もある卵なのです。
私は話を聞きながら涙が出そうになりました。
見ず知らずの私に最後の卵を喜んでみそ汁にして出してくれるお婆ちゃん
貴重な烏骨鶏の卵を頂くのは初めて、
そのみそ汁の美味しかったこと
このお婆ちゃんの好意をわすれられないのです。
人間関係で悩んでいた私にはお婆ちゃんの一杯のみそ汁は
心と体の栄養となりました。
良いものを良いときに用意してくださる方は弱っている者に力与えてくださいました。


画像は以前の家のニワちゃんです。キリリ☆、。・:*:・゜`★.。・:*:・♪

2010年8月23日月曜日

心の健康

今から5~7年前私は、心が健康ではなくなっていました。
キリストと私の間に人をおいていたことが一番大きかったのですが、

ある時一人の鬱の人が私達の家にきて自分の鬱の症状を話されて
食べたくない、お風呂も入りたくない、無気力、眠れない・・・
ガーン、私も鬱の症状だと気付かされました。

この頃、はちこさんが境界線を翻訳されていて
その本を読んで
教会活動との境界線や人との境界線が無かったこと
それは、相手が自分の領域の中に入るのを許していまっていたから
人間関係に甘えて依存していたこと
依存のことでもはちこさんのブログで紹介されていた丸山真也さんの心のオアシス・女性の自立も読み、人間の中にある心理を自分の今の状態を見つけてあてはめていくと、なぜ心が不健康になるのかかがわかってきました。
専門の人が調べてくれた心理学を読むことで人は色んなことに影響を受けてしまうこと
そして心のもろさを知る事ができました。

主人がBook・Offで見つけてくれた「心の健康診断」古川第一郎
この中に

私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。
私は貴方の期待に答えるために、
この世にいるのではない。
あなたも、私の期待にこたえるために、
この世にいるのではない。
あなたはあなた。私は私。
もしも我々が、たまたまふれあうことがあれば、
そりゃあ、すばらしいことだ。
しかし、もしも心が通わなかったら、
それも、しかたないことさ。
             フリッツ・バールズ

これを最初に読んだときは、なんかつめたいなぁと思いました。
私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。
人に自分が何かを押しつけたり、人が私に何かを押しつけたりは
無理が出てくるし答えられないのだから・・・
「それも、しかたない。」とのことばに「これでいいのだぁ」的な要素があり
それを
全てゆだねていて良い方にお任せすることで私の心は回復して
心が健康になってきて平安が戻ってきたのでした。
今では、元気づいて主人に、悪態まで付けるようになったかも。とほほ、、。

2010年8月22日日曜日

フォークダンス


夏の暑さの終わり頃は何故かフォークダンスを思い出す。
肝試しと並んで運動会やキャンプ、お泊まりのイベントに欠かせないものでした。
中学くらいまでは照れもあり、態度や言葉が心と逆でした。
オクラホマミキサーはパートナーが変わるので好きな子が近づいてくるドキドキ感を悟られない様にしたり直前で「タッタラララーラン、、」となった時がっかりしながらも「あー、良かった。」などと言ってみたり変ですね。
かたや、横の相手が変わらないマイムマイムもそれなりに楽しく輪を作ってグーっと近づく時など好きでしたね。歌詞もありイザヤ書第12章第3節です。

マイムはヘブル語で「水」で荒野で水が無くてフラフラした足取りや水がわき出たときの表現は当時は知りませんでしたが結構いいなと思い出します。
社会人になってから、一度だけフォークダンスした時、
オクラホマミキサーでは相手の耳が僕の口の横に並びます。
「あの時はごめんね。俺、素直になれなかったんだ」


レットキス (Letkiss) その曲に合わせて踊るジェンカも懐かしい思い出です。
そんな事を思い出して書くのも、この前、家内と
「引き出しの中のラブレター」見たからかなー。
あなたは、引き出しにしまったままの思いありませんか。

*画像はネット上からになります。

2010年8月21日土曜日

クッキー

今CAJに行ってしまったKさんから教えてもらっていた
ココアオートミールクッキーのレシピですが
作らずにもうかれこれ16年以上の月日が流れていました。
材料だけで作り方はいつも書き写していません
英語は読めないから・・・だいたい作り方は同じで適当な私ですから・・・と

ただこのレシピはココア、オートミール、シナモン、レーズンのコンビ
さらにお湯1/4カップと書かれていて、いつも何クッキー作ろうかな~と
思うときレシピは見ていましたがどうしてもこの
お湯を入れるタイミングにひっかり、
パスしてきました。

が今回、ついにチョコクッキーが食べたいいう思いから
色がチョコっぽそうなこのクッキーを作る決心をしました。適当でよし!!
バターにきび砂糖、卵ここでお湯、
小麦粉にシナモン、ベーキングソーダー、塩、
オートミールそしてレーズンにくるみ
とレシピには入っていなかったのですが食べたかったチョコを入れて
そして焼き上がって食べたらソフトなシナモンがほんのりきいた
チョコとレーズンがたまらい
美味しいクッキーに
仕上がったのでした。
適当な私であるのに16年以上お湯にこだわり続けていた
もっと早く挑戦してみれば
良かったぁ~
枚数にして50枚近く・・・
半分は冷凍しておいて
ソフトクッキーは凍っていても
そのまま食れてまた美味しいので後で楽しみます。

2010年8月20日金曜日

やっちまったなー


畑でなく土手に植えていたズッキーニ
家内がい気付いたときには
巨大ヘチマサイズに
皮は固くなってましたが、
さすがカボチャの仲間
中は美味しいから、
ズッキーニブレッドを作ってもらいました。
夕食のみそ汁もズッキーニだったことは
言うまでもありません。
炒め物にしたら見た目もブロッコリーの芯みたいな感じで悪くありませんでしたが、、。

一日の成長が怖ろしく早くヨナのとうゴマかカラシだね程に(これは大きくなるだけか?)早いので以後注意したいと思います。

クールポコ最近見ないなーちょっと寂しい。
って最近テレビ見てないし!

2010年8月19日木曜日

歯ブラシ

いつもお世話になっている歯医者さん
治療ではなく、1本100円で使いやすい歯ブラシを買いに立ち寄りました。
すみません、歯ブラシ20本ください。
と横にいた、良く言うと平井堅似、違う形で言うと小島よしお似でもある若い先生
「暑いですね~」
「はい、暑いですよね~」と私
事務のお姉さん
「はい、色は適当に4種類用意しますね。」
と並べて見せてくれたのは10本だけ・・・・
「あの20本お願いします。」
「あっ20本でしたね。」
と横にいた、若い先生
「こいつは、こんな事が多くてね~」
「暑いですから~」と私、そしてみんなで笑う
「暑いから笑うといいですよね・・・。」ととぼけたことを言う私
先生「領収書出しますから・・・えーと20×10???アレ・・・」
すかさず事務のお姉さん
「先生、100×20です。」
「先生も暑いですね~」と笑って歯医者さんからでたのでした。
この歯医者さん、治療中も先生と歯科助手の方の会話も笑えるのです。
ただし口が開いているので笑いをこらえるのは大変です。

野いちご摘み

昨日は家内を誘って野いちご摘みに出かけた。
五味池の近くには沢山群生しているのだが、
時期を少し過ぎてしまったようだ。
それでも、ジャムにするくらい採れたので、
まあ、どちらかと言えば楽しみとしてのトレールランだと思っている。
いちごは思った以上に種類があるようだ。
大きく分けて木イチゴと野いちご、しかしそれは総称であって、
クサイチゴ、モミジイチゴ、フユイチゴ、ナワシロイチゴ等のキイチゴ類から、
ノウゴイチゴ、ヘビイチゴ、シロバナヘビイチゴ、エゾヘビイチゴ等々
昨日のはネットでも見つからなかったが、もう何年も食べているし、知る限りでは食べられない苺、毒苺はない、私の中では神に祝福されたくくりに生えている仲間です。
葉はフユイチゴが一番近いのだが時期が全く違うし、
良く見ると葉も付き方も違う。石川では見たことはないが、
ここ戸隠では時期に行くと見渡す限り森の中全てがこの苺だった時もある。
靴で踏み入れることがはばかるほどそれは綺麗な景色です。

追記です。今朝パンに塗って食べてみたら酸っぱくてすごくうまいんですけど種プチプチすぎ。

2010年8月18日水曜日

ギボウシ

キッチンから見える場所は、
山野草で大きなシダ、二人静、水引草、葉っぱの小さいぎぼうしが咲いてくれていました。
半日陰で湿地の場所でしたが
そこにもう少し増やしたいと考えていました。
近くの知り合いがら頂いた二輪草を増やし、ガーデニング店で見切り品10円のゆきのしたを植え、葉っぱに白っぽい色のと黄色が混ざったぎぼおしを手ごろな価格で買い植えてみました。
大きな葉っぱのぎぼうしは、田植えの手伝いにいったとき、田植えは機械で周りの稲は義母が植えてくれていたので私と言えば、ワラビ採りをしてうろうろし
土手にこの大きな葉っぱのぎぼうしが咲いているのを見つけ、
義父にこれを戸隠にもって帰って良いか聞いてみました。
義父は「これ昔、食べたやつ、これ植える??」反応
これはれっきとしたガーデニングでは半日陰に育つ、花
としか認識していない私でした。
ので主人にこれ「昔食べたらしいよ」と話しましたが「・・・」反応無し。

ある日、秘密のケンミンSHOWでぎぼうしを
食べる地域があると紹介していました。。
主人はそれを見て「昔食べたらしいよ」と言ったときには
反応なしだったのに何故か
ぎぼうし一回たべてみたいなぁ~とつぶやいています。
ぎぼうしは私が今ひとつ気乗りしていませんの~(^^;
気が向いたらということで・・・
自然の中というか雑草と呼ばれるものが
食べれて調理方が載った本をお友達に見せてもらいましたが
結構食べれる雑草があるようなので、
家の周りには食料がわんさかあるということがわかりました。
ゆたかにしてもらっています。

2010年8月17日火曜日

梅干し

暑さが戻ってきています、
お陰で、梅干しが上手くいきそうです。
梅干しの色って美しいです。
そしてあたりに漂う梅の香りも好きです。

先日遊びに来てくれたMさんが帰ってからブログを始められました。
以前からもやっていたのですが、実名入りで立場もあって逆に書きたい事が有るときには書けない状態だったらしいです。だからこれは裏ブログみたいな感じでしょうか。
旦那も「僕もこそっとブログするかも。裏の仕事人です。」とメールでありましたので彼も時に始めるといいね。
興味のあるかたは以下のアドレスです。優しく見守ってあげてください。

http://amagaerunoblog.blogspot.com/

で、隠してこそ良いこともあるのでしょう。

まさにキリストにあるものはサタンの支配する世にあって斥候、スパイ、必殺仕事人、金さん(?)的な者、イスラエルがエリコに送ったように、あるべし。

2010年8月16日月曜日

浴衣


長野では成人式は夏が多い(冬は寒すぎだから?)
それで着物より浴衣になる訳で親としては助かります。
下の娘も友達を連れて2次会の前の衣装直しに

今回は髪形が風俗系みたいだなーと思ったが
まあ時代なのだろう。
父としてはこの前の清純系が好きだが、、、。

イエスは当時のキャバ嬢とも親しくしていただろうから
やるもんだな、と思う。酒の席にも招かれると出向き「いえ、私は水で、、」とは言わなかっただろう。イエスカッコイー(見たわけではないののだが、、)
その様な事は、あえて突っ込み所を、祭司や聖書関係者に与えている様なものだ。
誰でも人から悪く言われたくない。
批判を恐れ問題に落ちる事は使徒ペテロでも例外ではなかった。
神を畏れることそれに優る事はない。
それにしても年を取るわけだ、、。

2010年8月15日日曜日

釜友

お米は玄米のまま保存しておき食べるときに精米して頂くと美味しいのは良く知られています。
玄米の成分は防カビや抗酸化物により守られているからです。
それで精米器を自宅で使っている方も多いかも知れませんが、
精米の方法は大きくわけて2種類ありカッターなど高速回転する(ジューサーみたいな)刃物で精米するのと、ネジネジに通しながら米をもって米を削る方法があります。
前者はコンパクトで速いです。最近の市販品はほとんどこれになりました。
私もヤフオクなどで探していたのですが、近くのリサイクルショップで昭和レトロな物を格安で見つけたので急遽これになりました。実家でも発動機で動かしていたタイプの電気式、ずいぶん便利になりました。
でも、まだでかくて重い。

このタイプのメリットは消耗が少ないことです。
刃はやはり切れなくなってきます。するとお米がミクロで見るとボロボロ状になって炊きあがり時美味しくないと友人から聞いています。
その点、旧式のは米をもって米を削るので基本的に減らない構造、もちろん世の精米屋さんもこのタイプです。
短時間で削らないのでお米の温度が上がりにくいです。ただ時間効率上精米時間が速い物ほど温度は上がりやすいです
終わった後手を入れてみるとほんのり人肌程度でしょうか。
ご飯の味は、田んぼからの収穫後の乾燥に天日干しでやるか乾燥機でやるかとも関係します。
米は生鮮食料品です。適温で保つ程新鮮長持ち。
乾燥機は速く天候に左右されなく便利ですが、石油を使い熱風で乾燥するので、天日より味は落ちると言われてます。

父はハザを作り架け、干して天気と相談しながら脱穀をする。
効率を優先して置き去りにしてきたものが私たちの周りにはあまりにも、多いような気がする。
まあ私はケチな上にコイン精米所行くことが、面倒だから自分で持っている訳でしてお金があればこんな手間な事はしていないかもしれません。
イスラエルでのパンは日本ではご飯でしょうね。
天の父は時間や手間は惜しまず実った麦を天日に干して完全に乾かせます。
それも良いご飯(パン)となるひとつの通過点だと思います。
その後殻を割り風で吹き散らし、米を米で時間をかけて削っていきます。
水に入れられ何度も研がれ、沢山の米粒は一つの釜で 火にかけられて食卓に整えられて並べられます。

2010年8月14日土曜日

雨上がりの夕暮れに

14年のつき合いになる神戸のご夫婦と2日間交わりをさせていただいた。
離れた所にあって年2回程会うだけなのだが、
だからこそお互いの内側にいる方の働きが見て取れる、
今回はいつにも増して話が「イエスキリスト」にピッタリと一致したことが何て主は素晴らしいのだろうと、思わされた。

違う生活の中でいろんな所を通り、何年もかけて主が同じベクトルにたどりつかせて
いたのだと思い出を振り返りながらお互いに理解した。
さらにこの後も主がなさることを見せていただくことになるだろう。
歩く事も好きなお二人なので最後の昼は近くの善光寺から戸隠奧社までの古道の一部を歩いた。
唐松が積み重なり絨毯の様な道は本当に美しい。
それだけで終わるなら良かったのだが、ほんの小さな出来事が、冷や水を打ったようにチーンとさせた。出来事があった。実に恥ずかしい。
彼らと別れた後だが、そのことを通しても、キリストは、
どんだけ素晴らしいねんと再認識する機会になった。

事前の天気予報と違って降り出した雨があがった夕暮れ時
思い通りにならない事は、しょうがないでは無く、
だからこそ造りかえて頂く、そんな当たり前の事が唯一の希望であって人の努力ではない。
それをやっぱり見たいなーと楽しみにさせていただきました。

2010年8月13日金曜日

今回の事で自分が自分の体を以外と大切にしてないという事に気づいた。
決して、リストカットしたりあえて七難八苦を与えたまえと願ってはいないが、
俺の体だからとか、まあこんな風邪くらい的な甘さが有ったことは事実です。

まだ学生の頃、一緒に走っていた仲間が入院して見舞いに行った。
「大変だったな、でもバイクはお釈迦になったけどお前が無事で良かったじゃないか」
あちこち包帯を巻いていた彼は「こんな体なんか赤チン付けておけば直るけど、バイクは勝手になおらんげぞ。」と文句を言っていたが、幸い軽傷で済んだがアレで首でも折ってたら
「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。」
になった事だろう。
イブ(エバ)がアダムの脇腹の骨からとられて出来たように
教会はイエスの骨からの骨である。
キリストは何があってもその花嫁である教会をまもるから、旧約聖書の中から「彼の骨は折られない」と預言されていた。
初代教会と呼ばれる時代サウロが、キリストを信じる人々を捕らえ投獄していたとき
神は『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』
と語られました。教会はイエスの体ですから、教会を蹴る事はイエスを蹴ることだったわけです。しかもトゲ付きで2重の守りが読みとれます。
現在も茨やアザミに代表される草や木や虫や動物や等には棘や針のあるものもいて中には毒針を飛ばすものまでいます。罪の影響ですが、神の守りでもあります。
橋本さんという方がバラに毎日「僕が守ってあげるから」と声をかけ続けて棘のないバラに品種改良した話もありましたが、

夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。 だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです

とあるように、夫と妻そしてキリストと教会が、頭と体に置き換えられて説明してあります。なるほど自分の体であっても、いや自分の体だからこそ養い育てる必要があるのかと思わされる夏風邪でございました。キリストの体は教会のものの様に私の体は家内のもので、キリストのもので、神のものなのだから。

私が寝込んでいる間看病するように付きまとっていた猫が久々にリビングで寝ていた。
介護疲れ?
皆さん、体を大切に

2010年8月12日木曜日

サイン無視

いやー、かなり辛かったです。夏風邪
のどがいがらっぽかったのはだいぶ前から気づいてましたが、そこからの対処やケアが全くだめで自分の体に対する思いやりが欠けておりました。

多くの病原菌が喉を通り体内に入ります。
喉が痛い、カラカラ、腫れているなどはここの守りが弱くなっている無理してるサインだったのですが、
しかし、食べやすいからと夏野菜や果物を良く食べる。(体を冷やす食物、ただし火を通したモノや生でも30回噛むと◎)
腫れた喉に気持ちが良いからと、氷水を流し込む。
すると体の当然の反応として冷えてしまった部分を一生懸命暖めようとする。
その繰り返しの中でついに、、と言った具合でしょうか。
現場の声を全く聞いていない政治家みたいなものでお恥ずかしい限りです。

彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。
ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。

とあるように神の造られた基本と秩序を聞きにもっと主の前に行く必要があります。
「大丈夫、大丈夫。」がやっぱ一番危ないかな。

写真はいえの石垣に生える日本ハッカですが、うちにあるいろんなハーブの中で和ハッカが一番ヒソプに似てるなー。

せきこえのどにも良いメントールはハッカなどの植物に含まれる揮発性の精油成分で
頂いたトローチの成分でもあります。なんか石垣までありがたくなってきた。

夏風邪

今朝起きたら、力が戻ってきていた。
それにしても、よく寝た。昨日、一昨日と大半は寝ていた。
元気が感じられるので、午前中来るように言われている病院に行きたくない考えが浮かんでくるが、
家内の手前行くことになるのだろう。メンテしないとなー。

ポテトチップスの袋で切れる程の肌にすぐ疲れ眠らないではいられない体。
金や宝石などからも造る事も出来ただろうにあえて、チリから造られた。
”息”が取られるならばすぐにその形は失われてしまう。

この度沢山のコメントで励ましを頂き感謝です。
このネット上の交わりが許されるその期間であちらこちらに散らされた宝の欠片を、
許されるなら、直接会ってその輝きを楽しみたいです。
一見面倒臭く、無駄なような中に、主の計画があると信じています。
写真は、バイクで山に行ったときわだちにあった草を
ここではそのうち踏みつぶされるだろうと思い、持ってきて庭に植えたのが花を咲かせています。
名も知らないその花でさえ栄光がある。
私もここに今、置かれているのだから
あせらず、あわてず、あきらめないで
主の時を待ちたいと思います。

2010年8月10日火曜日

夏風邪???

ずっとのどが、いがらぽっかた主人
ついに昨日の夜は眠れず朝をむかえたらしい、
朝食を済ませて、家にあった薬を飲みベットに入り休んでいました。
ところが急に呼吸困難になりヒーヒー
私もあせりまくり役に立たなくても
背中、胸をなでていたが、死んでしまうと思った。(;;)
しばらくして何とか落ち着いたので、そく病院に
これだという病名はないみたいだけど、
朝飲んだ薬もよくなかったらしい
ここ2,3年夏になると
何かと体調をくずしています。
今年は検診に一緒にいこうね。
生きてて良かったよぉ

Mrs Saltさん

Mrs Saltさん が我が家に来て下さった。
奈良から高速にのって伊那までの用をすませ
我が家に向かってきてくださるとのこと
え~一人で運転して高速のって戸隠まで来るのですか????
我が家は、田舎なのでナビがあっても見つけられない人もいるのです。
ナビはなし、簡単な地図だけで、戸隠にきてしまうMrs Saltさん!!!
私には考えられない・・・行動力
尊敬してしまう。
いろいろ話をして、食事をし、
一緒にいろんな所を見て歩き、
飯縄高原で畑のおじさんに畑に植わってるあれは何かと
気軽に声をかけるMrs Saltさん、
綺麗な女性に声をかけられいい気分になったおじさん、
ジャガイモ2種類にいんげん、トマト、丸なすに長なす、ししとう
野菜をたっぷり持たせてくださって
旬の食材を使った最高においしい夕飯になりました。
ありがとうございました。

全く違う生活、性格、そのよう中で共通点もたくさんあり、
お互い旦那様の全く違う生活、性格、そのよう中で共通点も見つけ、
フムフム(^^)v
聞きたかったことも聞けたし、
励ましも沢山頂きました
とっても素敵な楽しい時間でした。
MrSaltさんはお料理も出来るのですね。
Mr電気屋は私がいない時、食事は卵かけご飯を食べてると言ってます(^^;)
奥様のいない間、御苦労様でした。
Mrs Saltさん本当にありがとう~
娘さんのRちゃんもありがとね(^^)

2010年8月8日日曜日

井戸

キッチンの窓から見る風景が好きです。
そこには井戸小屋が見えます。
井戸のことは主人がブログにて書いていますが私も忘れられない出来事、
家に水がないと生活できないので必要なものでした。
主人が井戸の場所を決めるのに、いとも簡単に「ここ」だと言うので
「何でなの」と私はよく聞く、
「ここが家に水を繋ぐのに一番良いから」なるほど納得した。
そんな簡単な決め方だったのだけれど、
掘った苦労も忘れるほどに
水はあふれ出ていた。
そんな中、協力してくれた方があんまり感激が表されている様子のない私に
「あなた方はこのことが、どれだけすごいことかわかっていない。」
と言っていた。
その時はなんだかさらっと流し、意味がわからなかったが
私の心にずっと残っていた。
本当にその時は、水が出て良かったぁ~という
感じだけだったかも知れない。
けれど何年もかけてその時わからなかった、その喜びを味わっている。
私はキッチンに立つとその井戸小屋をみることができ、
流れる綺麗な水を使うことが出来る。



日々キッチンに立ち主を思うとき、
主がして下さったことの一つ一つを思い起こさせてくださる。
この後ももっと深く味わって行くのだろうと思う。

あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。
神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、
彼らの穀物を作ってくださいます。
地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、
夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。

3月14日井戸
http://dennkiya.blogspot.com/2010/03/blog-post_14.html

2010年8月7日土曜日

朝の戸隠の写真を載せさせていただきます。
北アルプスの残雪はここから見たら小さいのですが、実際は大きな雪渓のはずです。
今もアイゼンを付けて登っている人がいるかも知れない。
今週は良い登山日和だったことだろう。

もう一枚は家の裏の井戸小屋の奧の写真です。
朝靄に光が透けてきて綺麗です。
井戸と呼んでいるのですが、実際は泉です。
井戸は誰かが、がんばって汲み揚げないといけませんが、泉は水位が地面より高いので、勝手に溢れてきます。
井戸は地面の下から水を汲み揚げるのですが、泉は地面より上に水があります。
井戸は必要な分だけを汲み揚げるのに対して、泉はある意味、無駄に流れ続けます。

神が与えてくださるものは、使うと無くなる水ガメではありません。
必要なとき自力で汲み上げないといけない井戸でもありません。
その水源は私たちより遙かに上にあり強固な蓋さえしなければ
常に必要以上に溢れ続けるものです。

私たちは今流れている水しか見えてませんが、その水は天から落ちてきて枯れ葉や岩などを流れ、ある時は分けられ、また集められ地の深いところを通り見えず静かに気の遠くなる年月を経て私ののどを潤す、夏冷たく冬暖かい、神のなさることはいつもそんな感じです。

2010年8月6日金曜日

豊かさ

豊かさを、頂いております。
贅沢とは自分で過分な生活を試みることであり
豊かさとは神が過分に整えてくださること。

手前は2度目のチャイニーズチェリー収穫しました。
後ろは3種類のトウモロコシです。白いのはホワイトコーンで初めてですが、モチモチ感もありしかも柔らかい甘みも十分でした。真ん中はゴールドラッシュさすが甘みは生でもいけるおいしさです。そして混じりの色のピーターコーンもの凄くタイミング良く採れば悪くないですが、硬くなりやすく今では古い感じもありますがやはりこれが今でもコーン界のベンチマークであることに変わりはありません。

奧は桃が余ったのでジャムに、といってもコンポート程度です。
パンに付けるよりヨーグルトに入れます。
リボンさんのお陰で何だかうちで無い様な薫り高い仕上がりのマフィンが出来ました。
副産物のシロップも氷を浮かべた牛乳に混ぜて飲むとおいしかったー。
家内はこういうの作るのが好きで、私は家内がこうゆうのを作っている風景が好きです。

2010年8月5日木曜日

白いアジサイ

4年前の母の日に長女が
「お母さん何がいい」と聞いてくれた
庭に白いアジサイがあったらいいなぁとおもっていたので甘えて
「白いアジサイ」とお願いした。
花屋さんにいって写メを送ってきて確認、白いアジサイをプレゼントしてもらった。
ただ枯らしてしまったら申し訳ないなぁと思いつつ毎年のぞき込みながら、
花はつかなかったがちゃんと枯れずに育っていた。
本当に草取りと大丈夫か確認するくらいなのに、

庭に植えてから4年、
静かにゆっくりそれは育っていた。
そして今年やっと沢山の白い花がウエディングドレスのように綺麗に咲いてくれた。
娘のウエディングドレスはいつんなんでろう~そうこうしてるうちだろうな~
それも静かにゆっくりと待ちましょう。

2010年8月4日水曜日

チャイニーズチェリー

主人がだいぶ前になりますが仕事をしたところから、処分したかったらしい
プランターに入ったお花を沢山もらってきた。
私に植えてといっていたが
私は、あれこれ考えていて植えずにいたら、
たまりかねた主人は、適当に庭にプランターをひっくり返して植えてくれた。
なのでその花がその季節になると芽がでて花が咲いて、
チャイニーズチェリー、クリスマスローズ、ジキタリス、モントブレチア、シャクヤク、まだ名前がわからないものも今も庭を彩っています。

その中のチャイニーズチェリーは、2度の植え替えにより見事に花を付け
毎年赤い小さなチェリーと名のごとく実をつけてくれます。
味は、日本のサクランボより味が薄いサクランボの味
今年は、また見事に実が付き、なんだかもったいなくなりジャムにしました。
小さな実から種をとる地味な作業をしながら
人と同じようになられたとは、と主がして下さったことの偉大な御業を思ったのでした。

*補足です。
チャイニーズチェリーと呼んでいるけど本当の名かわかりません。前オーナーがそう呼んでいただけです。
背が高くなりにくい低木で6月頃「大変良くできました」の桜のマークそのままの小さな可憐な白地にピンクの花を咲かせます。いつもは生食でしたが、今年はジャムも、家内がチャレンジ実に癖のない味で朝食を彩ってくれます。 今日は暑くなりそうですね。

2010年8月3日火曜日

もう既に日は短くなり草の延びは遅くなってきていて毎週でもないが、
自分の庭の草を刈ったりする事は楽しい。
どんどん庭が綺麗になっていくのを見ることは気持ちがいい。
そして刈り終わった庭を見下ろして休むのが好き。(ある人から見たら雑草だらけで荒れ地と仰るだろうが、私は私、人は人)

何でだろう、以前は大嫌いだった。草が伸びてくるのを恨めしく思った時もあるし、人目も気にしていた。
シアーズから買った芝刈り機はよく壊れたし(私が悪いのだが)、また出費だ等々。

芝を刈っていて
”ことば”からの思いなのか連想か、とにかくそれを 私の深い所で受け取り私を喜ばせながら身体が動くのを感じた。
少しずつ、汗が出てくる。それも気持ちいい。頭の中が空っぽになっていくが草刈りは進んでいく、でもまた色んな思いが涌いては消えていく。

庭を管理する仕事は人が神から与えられた素晴らしい仕事だ。
庭と言っても様々有る。家庭や教えの庭、それは学びの庭でもある。
庭の字のまだれ偏は家の屋根らしくてそれ自体が自分の置かれた場所全てと言っても良いと思う。この辺は「私の庭だから」という表現もある。バプテスマのヨハネは荒野を庭として住んだ時もあればパウロは異邦人の庭を自分の庭として移り住んだ。ある時は牢獄が庭であり、ある者はパトモス島を生涯最後の庭とした。
私はいつか天の庭を管理する楽しさを思いながら、地上の庭を管理する楽しさを今、味わえる。
幸い近いお隣は、ないのだが、人の庭が気になる時もあるだろう。
でも、私の置かれたここが2010年のエデン。
イエスは園の管理人だから私も今、自分が置かれたこの園の管理人なのだ。

管理人はいつ主人が迎えに来ても良いようにしていればそれでいい。
私にとってガーデナーという仕事は、電気屋や大工と同じくらいやってみたい仕事のひとつです。
いつか天にある神の庭の手入れをさせてもらう時がくるだろう。
それは今以上に楽しい仕事だと思う。
今の庭は一時的ないつか過ぎ去る借り物みたいなものだ 。税金を払わなければボッシュートになるそれでもこれだけ満足があるなら、天の庭はどれほど私に喜びを与えてくれるだろうか。
それは永遠の私の庭でもあるのだから。

2010年8月2日月曜日

友人のガレージに新しく買ったという古いGT750を見に行って蜂に刺される。
アシナガバチだからとバカにしていたが、
帰ってきて少し夏風邪になったような感じで風邪なのかショックなのかどっち?
おでこはほんのり赤くなっていたがまあ、これくらいですんでよかった。

今年は薪の集まりが良い、既に春までの分は有るだろうと思ってる。
借家時代からすれば考えられない豊かさ、あの時、薪ほしかったな~。
薪を燃やし続けていても風呂を沸かし頭を洗うときシャンプーが凍っていたくらいの寒さだった。。
もう少し持ってこないといけない木もお願いされてあるが、置き場所がもう一杯だ。
聖書にある様に、蔵を建て直してまで魂を太らせたくない。正直気分的にはそろそろ燃やし始めたいくらいたまってきている。
ただこの薪の要らない時期は短いのでそれも出来るだけ味わいたい。
私の肉から見て良いときも悪いときも普通の当たり前の生活の中で”救い”を味わいたい

2010年8月1日日曜日

ピクルス?

マクドナルドに入っているのと売っているピクルスはごめんなさい。
なのだが家内がつくったのは大好きです。
キュウリを頂いたのでありがたく酢漬けに
これがシャリシャリと美味くてポテトサラダに混ぜたり、
野菜サラダには汁?の部分も気に入っていてドレッシングとして使い切ります。

酢漬けって・・・ピクルスです(;ーー)
お店に売っているのはスパイスが強すぎて家族は苦手なのです 。
お友達から教わった
1995・夏「私のカントリー」に載っている
ジョアン・タップリンさんのブレッド&バターピクルスこのピクルスは
甘酸っぱくてスパイスも優しい感じだし、酢漬けというくらいね(^^)
ポテトサラダに入れたり野菜サラダのドレッシングにしても美味しいので、キュウリの時期に作ります。
主人が 「家でつくったのは大好きです。」と言っているのですが、、、
実は良く買い物をしてくれる主人、先日買い物をしてくれてそれを整理していると
小瓶に入ったピクルス発見!!!
「ななんで、沢山美味しいピクルス作ったのに、ねぇ・・・」

「えーっとそれは、ピクルスの瓶が可愛かったから食べた後でまたその瓶で
酢漬けを作ってもらえば良いかなと、、年を重ねて食も変わり市販の物でもいけるのではないかという期待のもとでの行動です、はい。」

私の感覚では、沢山の手作りピクルスがあることが優先するのだけど
瓶がカワイイと市販のピクルスを食べれると思い買ってくる主人に当惑する。
もっと言いたいけど、笑ってすましておこう。

どうぞ笑ってすましておいてください。
「私は手作りのキュウリの酢漬けが大好きです。」

「あの瓶に入ったピクルス、誰が食べるのかなぁ~」 (^。^;)