2010年9月30日木曜日

凸凹道

昨日から新しい現場の仕事が始まった。始まるはずだった、始めるべきでもあったかもしれない
が、その家のオーナーご夫婦と林道に走りに行ってきた。だって空がこんなにも青いから、、
前日の雨で水たまりもあったりえぐれていてガレた場所もあったりしたが、そんなちょっと厳しいかなー的なセクションにトライしていく事が楽しいのだからおかしいんちゃうと自分でも思う。
ガキの様にドロドロになって家に帰り風呂につかって新しい現場をちゃんと出来るのだろうかという不安と葛藤する。それは凸凹道のチャレンジと似ている感覚でもある。そんな不安をくずして満足に変えるには今日を地道に怠けず焦らないで続ける事、過去の失敗や未来の不安より目の前にある事を見て取りあえず出来る事からやる。大人になっても子供の時の様な緊張感をもって新しい今日を楽しみたい。

2010年9月29日水曜日

朝帰り

Saltさんのご厚意で8年ぶりに語らせていただいた。
ノアが箱船をつくる所からの話だが
人は突然大きなことは出来ない、もし出来たするとそこには長い時間をかけた他の人には見えない準備やどこか無理やフェイクがあると思う。
マジシャンが観客の前で一瞬芸を見せるためにどれほどの地味な練習を繰り返してきたことだろう。
毎日、毎日少しずつの積み重ねが完成に近づいていくプロセスになる。
その時々には悩みや、苦労と言えるモノもあっただろうが、
後で振り返ったときにそれは満足のある働きとなっただろう。
saltさんは、100年のプロジェクトとしては救われたのが8人では失敗だろうと話された。
あえてこの世的な言い方をする彼には親近感を覚える。それが来るべき世の話に繋がっていくことになるのだ。
100年とか8人という数字だけにとらわれる人のパターンではなく
救われた者がいたという神のパターン。
神は少しずつそのパターンを変化させている。エノクはただ彼だけが救われた。ノアは家族も救われた、しかしアブラハムからはそれだけでなく世界の民族にまで救いが拡張している。
太陽が毎日昇って沈むように神にもパターンがある。
しかし神はワンパターンではない。

昨日、三重を出たのはAM1時だったそこから徹夜で土砂降りの高速を休憩をとりながら明るくなるまで走らせた。ワイパーを一番速くしても見えにくい大型トラックが巻き上げる水しぶきがとぐろを巻いている。フロントウインドゥにたたきつける雨がうるさくてCDの音もほとんど聞こえない。でも、私にその様な伴侶が共にいるとき、もはや困難は困難ではありません。(言葉お借りします)久々の彼女との朝帰りだった。長野に帰ってきたらアケビが開いていた。
そこには同じ方の地味な一日一日の働きが感じられる。ノアが彼の愛する方と共に大雨の後箱船から出てきたとき見た虹はどの様に見えただろうか。
あなたは最近いつ朝帰りしましたか。

2010年9月28日火曜日

思うこと

行ってきた事、見てきた事、話した事
出会った人、食べたモノ、聞いた事
悲しかったこと嬉しかったこと

私は観光自体にそれほど楽しみを覚えない。
どこに行ったかというより、誰と行ったかが楽しさのポイント

どれだけの時間を一緒に過ごせたかより
どれくらい共有出来る思いを、やりとり出来たかを大事に思う

沢山の事を語っても、何も語らない時の方が良いときもあり
古くからの知り合いでも、何も話せない関係も多い

私は何を書くつもりなのだろうか
「楽しかった」
「よかった。」それで十分。

カメラをステーキハウスに忘れたのでごめんなさい。
写真はありません。
でも失ったものが見つかる時は、嬉しい事です。
四日市警察署さんどうぞよろしくお願いします。

写真はこの前、能登で撮った海です。
この海の向こうでは子供でも幼稚と思える陣地争いが行われているらしい。
でも海は何も語らないしただそこにあるだけだ。

2010年9月25日土曜日

頂き物

頂いたマグロのカマのスモーク
どんだけでかかったの、
と思うサイズでガスレンジでは無理
アメリカのオーブンには入りそうですが、
魚の臭いが付くと困るということでバーべーキューで豪快に焼きました。
別に全焼の生け贄にするつもりは無いのですが、
完全にガスの火を消しても油がすごくてこんなに燃えてます。
この後マグロ自身の油の火でほとんど焼き上がった。
うちのBBQセットも普通の物より大きいのだが、ほとんど1切れで占領。
ひっくり返すのも重くて大変!
ウォーー俺も燃えるしかない、と巨大カマと格闘して
その後、みんなで美味しく頂きました。
付け合わせは母の作った黒豆、金時豆は妻作の煮豆と
タコをイモ蛸にズッキーニーを炒めてチーズをのせたもの。
見るとほとんどが頂いたものです、私達は創り出すということが出来ないのでそれはありがたい事です。
今日から奈良に行きまーす。

2010年9月24日金曜日

ドライフラワー

8月10日のブログで載せたうちの庭に咲く名も知らない花
ドライフラワーになるよと教えて下さったので、家内がそのようにしてみたら実にいい感じです。さわっても花びらが落ちず、綺麗でかわいい
以前の私だとこのような事に反応するタイプでは、ありません。
機能や効率優先で、車やバイク、道具、家具、家でも目的を達成するために創意工夫した形や仕上がりには、惚れ惚れしましたが、デザインの為のデザインや、必要ないので格好いいだけの形)には、良いと感じておりませんでした。
だから、もの凄い時間をかけて家内が作るパッチワーク(1作品2年ペース)
画像にもあるが既に出来上がっているものに、不必要とも思えるオイルペイント
その年で枯れてしまう、一年草、さらにはどうせ捨てることになるドライフラワーや人形などは、さほど意味はないと言った具合でした。
しかしある時、教えられたことは、それら一見、過剰な無駄とも思えるものは、ゆとりや豊かさなんだと。

レースでも、美しいマシンは速いと昔から言われてます。
徹夜で仕上げたという、荒削りむき出しのマシンの持つ雰囲気も好きですが、機能的に作り込み、仕上げ、さらに美しく装う時間や、金額、手間をかける気持ちのゆとりは、レースという言えば結果が全てともとれる世界においても、速さに直接関係なくとも、勝利を得るための大切なファクターだったのです。
横綱相撲という言葉がありますが、姑息な立ち合いや逃げることなく正面から受け止めさらに勝つ、そこには、神から与えられた才能と、ゆとりまで生み出すほどの練習や鍛錬、食べ物やさまざまな自分への管理などそれがあってこその連勝、もう常勝と言っても良いほどの立ち位置になれる訳です。
そう言えば生駒の友人が白鳳の結婚式を司式したのですが、友人の奥さんらによる式の中での賛美が素晴らしかったとのこと、横綱クラスの結婚式では、過剰とも言える装飾、建物、披露宴などスーパーカーが買えるほどの金額を1日で使い切り何も残らない。それでも、結婚には、意味がある。

神がアダムを造ったとき、そしてエバ(イブ)を造ったとき、骨や臓器、筋など機能的な物をあえて隠す様に傷つきやすい柔らかな肌でしかもつなぎ目が無いように、包み込み、くるまれました。たしかに機能的であっても自分の恋人が理科実験室の標本のような体なら嫌です。
野に咲く一輪の花もある意味必要以上に装ってあります。
ただ勝つだけでなく、勝利して余りある方は、いつも必要を備えてくださるだけでなく、時に私に相応しくない程に与えてくださいます。主のそのゆとりはすごいなと、思わされる毎日です。

2010年9月23日木曜日

辛味噌




辛みそ作り

いつもの野菜屋さんに教わり辛いコショウを使って辛みそを作りました。
辛いコショウをみじん切りにして油で炒めてから、味噌、砂糖にみりん、酒などを加えてて作ります。今年は野菜屋さんから北信濃ぼんたんこしょうも10個ほど一緒に辛味噌に「使いな、うまいよ」と持たせてくださったので使ってみました。

味見は辛い味噌が好きな主人と息子に聞きながら味を調節、いい感じの味に仕上がりました。作り終えた後ナスとズッキーニーを炒めて鍋についた辛い味噌であえてみたら
美味しくできました。なんでも辛みが欲しいときあうんですよ、
この味噌!!
辛いのが苦手だった私もアツアツご飯にちょっとつけて食べてみたら美味かったのでした。
だんだん私も味見したりして辛さにも強くなってきたかもしれません。
出来上がる頃には秋らしい夕日で、私のキッチンも照らされていました。
この辛いコショウをみじん切りにすると夕方あたりから指先が燃えるように熱くなります。
あちちぃε=( ̄。 ̄;A フゥ…

2010年9月22日水曜日

マイケル・ジャクソン スーダラ節


はちことぼぼるの日記 を読んでいらっしゃる方も多いかもしてませんが、張り付けておられたマイケル・ジャクソン スーダラ節 です。
編集のうまさもあるけど、2番目からのシンクロは笑えます。
人間の馬鹿馬鹿しくもこの様な才能を楽しみたい気持ちを入れるために肩の力を抜いて心に緩さをいつも持っていたいものです。

上からくるもの

クルミが落ちてくる事は少なくなったが、次は栗である。
まあ、頭に当たる事は、無いだろうと思っているのだが、
結構庭に見かけるようになってきた。
これからが本番だろう。
イガイガを庭から片づけるのはたいへんだが、
栗ご飯がたのしみである。

先日の健康診断で家内は鉄分が足りないとの指摘。
女性はそのような方も多いと聞くが、材料がないから
赤血球が小さいのだと、珍しく友人になれそうな飾らない先生が、
自分と私を指して「トラック」家内を指して「軽トラ」
一度に運べる分が少ないので忙しくなると
一生懸命やっているのだが追いつかなくてへばってしまうとのこと。
以前も鉄分不足を指摘されサプリメント飲んでみたのだが、身体が受け付けず止めてしまった。
ほとんど好き嫌いがない彼女だがレバーや牡蠣、赤身など鉄分の多い食べ物は苦手だ
「じゃあ、朝起きたらプルーンを食べて、あとオレンジジュースなどビタミンCと紅茶やコーヒーは一緒には飲まないことを言われて、これならいけると家内は喜んでいる。今の時期は長野はプルーンが沢山採れる。
特別に安くはしてもらったのだが、これで200円程、余り食べない私も少し食べてみている。
神の恵は上からくるなー、などと庭の怖ろしく高い栗の木を見上げてみる。
外側はイガイガで当たると痛いが、中には豊かさが詰まっている。

2010年9月21日火曜日

ことば

長女も健康診断へ行ってきたようで
家内と話している「目が良くてゴメンネ!」などと言っている。
これには理由がある。
娘が小学生の時、黒板の字が見えないと言い始めた。
病院で検査をするが何とも良くわからない。
アメリカでも見てもらうと乱視と遠視だが成長にしたがい改善するかも知れないとの事。
専用の眼鏡をスプリングフィールドで買い彼女はメガネで過ごしたが、理由はあったわけだ。

後で聞いたのだが実はメガネに憧れて初めは、嘘をついたのだそうだ。
でも、そう言っていたら本当に見えなくなってきたらしい。
親戚の誰もメガネなどかけてない両親からメガネの娘?と不思議に思っていたのだが。
今、視力は1.2と1.5だそうだ。
本人も言い続けていたら本当になったと言葉の力を身をもって体験した訳だ。
このブログを読まれる方は結構Saltさんのメッセージを聞いていると思いますがメッセージの中で夜回り先生という呼び名で親しまれている水谷修という方の話を言われていた。
一部をここに、コピペさせていただきます。

「ことばは恐ろしいものです。ことばはもうひとりの自分を作り上げます。本当の自分をもうひとりの自分に合わせてしまいます。寂しいと言えば、もっと苦しくなります。死にたいと言えば本当に死にたくなります。ことばは、それを語った人に責任を取らせるのです。語り続ければいつの間にか人生を支配します。どうか、ことばをいい加減に扱わないでください。」

言葉と行動は無関係ではない。
そして言葉と行動によっては人は自分の外側だけでなく内側も壊してしまう事もある。
嘘をつけばその人が嘘つきになるように、神に似せられて造られた人をあやめると、
加害者の中で何かが壊れてしまう。どこかが変わってしまって元には戻らなくなる。
やがて角砂糖が崩れていくように、良心も歪んでしまう。
取り返しのつかない重大な罪を犯すとき多くの者が、あのおぞましい「声」を聞いた事だろう。
一度手を染めてしまうと更に次がやって来る。
それを断ち切る事が出来るお方はイエスキリストただお一人なのだ。
神を知ってから23年ほど経つが、そのつき合いの中で一度も彼に声を荒げて叱責されたり、命令されたことがない。
いつも彼のことばを聞くとき聞いた後も何とも言えない幸せな気持ちになる。
いつも彼のことばを聞いていたいと心から思う。

2010年9月20日月曜日

大人の休日



JR東日本のCM「 大人の休日倶楽部」シリーズで 吉永小百合さんの戸隠古道編
何だか味気ないほどに参道が整備された理由もなるほどと言った具合ですが少し嬉しい。
最近はパワースポットブームで此処に訪れる人も更に増えつつあるのでちょっと複雑ですが、
CM自体はとても綺麗に撮ってあるなーと思った。
善光寺編もあって、スナップ写真の楽しさも感じる仕上がり、安曇野編、小海線編もあって制作者はかなり長野好き?
吉永小百合事務所の強気さは好きではないが一つの商品でありブランドと言えるだろう。
それにしても1945年東京大空襲の数日後に生まれたって、すごいですね。
戦前生まれなんだ、50歳からのどころではない。
それにしても日々衰えていく外側をここまで維持していく努力。
そしてそれより浮き沈みの激しい世界でそのイメージを壊すことなく守り続けて来たこともすごい。
温泉編なども、見とれてしまう程だ。

私も来年は50歳ですが、まだ大人になりたくない。だだっ子でいたいです。バイクの方が合ってるんじゃないかな。
でも、そのうち家内と列車での旅も楽しみにしています。
主がその時間も残して下さるように願う。
CMの最後の蕎麦のシーンは娘もバイトで行っていた「蕎麦の実」さんだと思います。
この土地独特のボッチ盛りの蕎麦が艶々と輝いている。
うずら屋さんの次に来るのが、此処かも知れないなどと考える。
いつかこの世界から旅立つ時がくる。楽しみだけど後悔も残して置きたくない。

2010年9月19日日曜日

農耕二輪

写真はホンダF600B農耕二輪になる。
Vベルト駆動でリコイルスタート
全世界で30万機以上売れた汎用エンジンG200空冷SV単気筒
オークションで千葉からの出品だった。
入札で競り合いになり、このままでは天井知らずになりそうだったので、競争相手を捜してメールを打った。

「今回は、あなたに譲ります。でも東京では使えそうにない車両ですので、もし手放すときが来たらメールをお待ちしております。」

その後半年ほどしてメールがあり東京のど真ん中、首都高の真下まで取りに行った。
それからエンジン、プーリー、タンク、電装などを積み替し快適にショートツーリング程度は楽しめるようになった。
2年前ハスラー400を買いに来た若いペンションの方が欲しいと言ったのだが
「これを売るつもりは無いので。」とお断りした。
農耕用2輪というジャンルすら知らない方の為に少し説明を
ヘルメットをかぶらなくて良いことと小型特殊ではないので最高速度15km以下で無い所が気に入っている。牧歌的なサイドバルブの鼓動とただ走ることで楽しい乗り物。
ただ最近あまり乗ってないなーと、思っていたところにケータイが

「2年ぶりです。アレ売る気になられたかと思いまして、、。」

とタイムリーもいい所な話
景気の悪化で栂池のペンションを離れ実家の大阪に移り新しい仕事で、最近やっと一息つけるようになったので、電話したとのこと、家族を養いながら生活していく大変さと馬鹿な趣味への男の思いが重なってくる。
こんなに思われているならいいんじゃないとフッと思った。
今日彼が家族と共に大阪から引き取りに来た。蕎麦を食って帰るそうだ。
手放すと2度と手に入らない物であるが、所詮は物であってそれに対する執着はあまりない。私以上に大切にして下さるならそれで良いと思う。出来るだけ人生は単純シンプルで過ごせたらと、特に思うこの頃です。戸隠も稲が収穫が近い。

for you


8000円で買った1993年式温水器が故障したのでまたオークションで探した。
落札出来た物は、2005年製。幸い車で2時間程の方だったので車で取りに行く。
雷電の生まれた地方で彼を町おこしに利用してはいる感はあるが、それも仕方がない。
雷電は「政治力」で横綱になれなかった。白鳳が「政治力」でなく連勝を続けている。
実質ライバルがいない状態かもしれないが、地味な彼の態度は好ましく感じるし一連の不祥事のお陰もあり、一部以外では国民的熱狂とは言えない連勝へのレスポンスも本来そのような事であり好ましく思う。
様々な運もまた実力といえる。

家に戻って温水器を入れ替える。古い方にはまだ460リットルのお湯が入っている。
勿体ないので、家の風呂と外の風呂に満タンにして、洗濯も豪勢にお湯で。
その後、家で、湯のハシゴをした。
朝になって確認すると入れ替えた新しい温水器に「私達だけの為の」お湯が出来ていた。
それは当たり前かも知れないが、実に幸せな感覚だ。
ひねると水が出るだけではなくお湯も出る、素晴らしい!

2010年9月18日土曜日

帰郷2


稲刈りに行っての楽しみの一つに春に撮った花がどうなったか見ることだった。
アケビとムベはまだ青くあと2週間程先になるだろう。
前にも書かせて頂いてるが、アケビも好きだがムベも大好きです。
キーウィと銀杏はすごく実っていた。イチョウの枝がたわんでいた。
母が紫イモを植えてあると聞いて、姉も交えて掘り起こした。
いもづる式とゆう言葉はあるが、硬い赤土は掘るのが大変で骨が折れるが、イモも折れてしまう。稲刈りより大変ともいえる。
朝体調不良で病院に行った母が自分の子供も全員揃ったからか、
どんどん元気になって鍬を入れていた。
父に嫁いで57年だてに農家の嫁をやっていたわけではない。
正直感心した。つくづく結婚は不思議なものだ。
次の朝、お萩を作ってもらった。
家内があんこを付けながら、初めていくつあるのか数えた。
69個あった。大体いつもそれくらい作っていたのだろう。
相変わらず上手い。実家に2晩泊まるのは久しぶりだ。
私の生まれた家ではあるが、今は私の家ではないという不思議さを感じながら
今回も帰った。良い帰郷だった。本当に全てが感謝。

2010年9月17日金曜日

火入れ

実家から帰ってきてさすがに寒いので
少し早いが、燃す分もたまっていた薪ストーブに火を入れた。
久々に気持ちのいい雰囲気を味わった。
夜、ひと燃やしておけば朝がちょうどいい感じなので、
それも見込んでの行動パターンです。

朝は、カラッとした空気の中にほんのり暖かさが残ってます。
これからの時期がバイクで山を走るのに最高な時です。
特に落ち葉の中を走る時と霜が降りた頃が
汗をそんなにかかずに楽しめる贅沢な季節であります。

2010年9月16日木曜日

稲刈りと落ち穂拾い

         5月の初めに植えた稲が全て、刈り入れを迎えた。
         あの細くて弱々しい苗が沢山の実をつけて
         穂を垂れる姿は美しい。
         空は青く暑さも、さほどでもなく風が気持ちよい、
       
       農家は大変だが素晴らしい仕事だと思う。
       刈り取った後は運んで、はざに架ける。
       写真は親戚のはざだが、これで7段、
       私の子供の頃うちのはざは13段あった。
       そこを上り下りした事も今では楽しい思い出。
       子供の頃、はざの一番上に立つと
       理屈ではなく、ただ気持ちがよかった。
       そこから見える風景が好きだった。




       実家では、全ての稲をかけ終えると落ち穂を拾う。
       聖書では落ち穂は旅人や貧しい人の為に拾わない。
       人が拾わなければ、それは鳥などのエサにもなる。
       確かに頭で考えるとそれを拾えばその分収穫は増える。
       すぐ家族の1日分くらいには、なるだろう。
       しかし、その分は
       「私がもっとあなたを祝福しよう」という主の恵である。
       それどころか、わざわざ束の間から抜き取って落としておく程
       主は気前がよいのだ。
       それを、私が見つけられるように
       落として置いてある恵を私は屈んで拾い上げるだけなのだ。
       

2010年9月14日火曜日

環境と私

はじめて人間ドック行ってきました。
本当は行かない人間ですが、私が8月の風邪で弱ったとき
家内が一緒に行く事にしたからとの有難きお話し。
結果は、異常なしですが、ピロリ菌がいました。駆除予定です。
小さいときからお腹が弱かったのでいるとは思ったがやはり
待合い時間が長く読み物は私の好きな系統のモノが全く置いてない。
ので普段は絶対見ないだろうという種類の漫画を読んだ
「風の大地」という実に無表情な主人公のゴルフ漫画笑顔や怒り焦りなどが無くいつも同じ顔これはこれで身体より心や駆け引きなど精神世界を淡々と描く。 でも娯楽としてプロゴルファー猿が好き。

もう一つは「ドラゴン桜」というモーニング連載の漫画
内容はずさんな経営で破産状態におちいった龍山高校。
ヤンキーあがりの弁護士がダメ高校生を東大に入れる「超進学校」に変える物語。
この漫画を生理的に拒否したくなるのは、まず絵。
青年誌なのに、女性の造形が壊滅的で、ここまで欲望を惹起しない描き方というのも、ある意味ですがすがしい。 
さらに拒絶反応を引き起こすのは、登場人物全ての不自然さ。反吐が出そうなのは何もバリウムを全部飲んだからではない。
しかし馬鹿馬鹿しい中にさえもちょろっと、なるほどと思うこともあったりする。
それにしても絵は不味くても漫画家になれる可能性と書き続ける環境で少しずつ絵も見れる様になっていく人の可能性は素晴らしい。(添付した最終巻は最も上手くなったモノと受け止めて頂いて構いません)
まあ、それでも今回読めたのは、家内の強制権執行のお陰か。
環境が人に与える影響も小さくはない。
普段出来ないことをさせていただき経験としても初めてな事をさせてもらった。
次読むときがあれば、牢獄でもし置いてあったら
「これ読みたかったんだ。神よその機会を与えてくださり感謝。」と賛美したい。
この後、能登で奥手の稲刈りである。それは病院の待合いより更に、楽しいと思う。

2010年9月13日月曜日

木の実

夏前から思っていたのだが、今年は木の実が良く出来ている。
果物は正直熱すぎて、ダメになったものもあるが、
条件さえ揃ったモノは糖度は半端でない甘さだと思う。
もう、一ヶ月ほど前から家の脇の沢ぐるみが、
タイマー仕掛けの様に実を落とし続けていて、高いところから落ちてきて屋根に当たる。
「ボンッ!」というその音は結構びっくりする。
写真は今朝雨の中を撮ったので汚い感じだが屋根の上は色んな物が
落ちてきているが恵も落ちている。
家族はその爆発音に似た音は、
なれてきたが、お客さんには説明がいる。
いつもは葉が落ちてから見かける
リスも忙しいのだろう。
栗もすごいと思う。人が育ててない山の栗は剥くことは大変だが、
商品としての大栗と違って味わい深い。
世界には4週類の栗しかない、そのうちの一種類が日本の和栗だ。
これからはまさにフルーツの秋を堪能する忙しい時期となる。
マタタビもずいぶん実が庭脇になっている。
出来ればワインもまた作りたい。
暑い夏は必ずや上等の葡萄酒をもたらすと思う。

2010年9月12日日曜日

無題


以前、アップした黒姫の蕎麦畑です。
風がさわやかになって花も気持ちよさそうです。
後ろの森に”トトロ”風の木を見つけました。
あちこちに多分沢山あるかと思いますが、ちょっと得した気分。
何気ない日常生活の中で気づくこと、
変わっていくもの、かわらないもの
自分の事、人の事、神様のこと
仕事のこと、遊びのこと、家族のこと
やりたいこと、やりたくないこと
なんか、今日の”家内”が書いたみたいに
なってきた。
似てきたのかなー。
いいだけど、なんだかなぁ

2010年9月11日土曜日

ピーチパイ


竹下まりやのピーチパイという曲がCMソングで流れていた頃
   
  かくしきれない気分はピーチパイ
  良いことありそうな気分はピーチパイ
  光ゆれる気分はピーチパイ
  恋が始まる予感はピーチパイ


はピーチパイがどんなものか全く知らずにいました。
パイ自体しらないし食べたことのないもの
27歳に長野にきてから手作りのアップルパイを食べさせてもらい
パイに感動さらに手作りできるとは・・・
驚き
そしてそれから桃の季節に初めて手作りピーチパイを頂きさらに感動

ピーチパイがどんなものか知らなかったけど
こんなおいしものだったとは・・・
ピーチパイに恋する気分なのかぁ
かくしきれない気分はピーチパイなるほど

アメリカンパイだから
パイの皮も手間がかからず
果物は生をつかって作るのでフレッシュな果物の味が楽しめます。
長野の果物がまた美味しいのです。

2010年9月10日金曜日

「トイ・ストーリー3」



家族と将来家族になるかもしれない、メンバーでレイトショー。
子供達がそれぞれ大人になってくるとみんなが集まる時間は親にとってそれだけで至福の時間。
でも、せっかく見にいってハズレならちょっと残念だが、トイ・ストーリーは今まではずれたことがない。
正直最初のトイ・ストーリーではCGだけの映画ってっ意味ある?と、大いに疑問視していたが、お気に入りだ。
「3」もかなり練って作りあげた感じがある。
10年という時間をおいて作り上げ直したその物語は、あいかわらずよかった。

1.2.3.ともそうなのだが、どれをみても永遠である方と時間でボロボロになっていく自分を重ねてみてしまう。人の人生から見たら一時的な儚さの中にみるおもちゃ達。自分の相棒であり、あるじ。自分の立ち位置、居場所、自分の造られた目的、思い。
どうも、歳を取ると涙もろくなる。

2010年9月9日木曜日

塩の道

台風が過ぎ去った後らしい静かな朝です。
長野は雨以外感じませんでしたが、神奈川の方からは暴風雨がすごかったと今朝メールが来ていた。

「塩は良いものだ」と聖書にあるからではないが、家にはけっこうな量の塩がある。
事の発端は、リサイクルショップで、「マグマ塩」という84円の入浴用の塩の小袋を買った事。
それを家の風呂で使ってみたら具合がいいので、その後健康食品店に行ったとき、同じような1kg3000円の「ヒマラヤの塩」を買った。人により好き嫌いはあるが、これは食べてもおいしい。
それを使い切る頃ネットで調べていたら同じようなヒマラヤの「ピンクソルト」が、25kg7000円で売っていたので買ってみたのだが、前の塩の硫黄臭さがほとんど無かったので、更に調べたら「ヒマラヤのブラックソルト」が以前のと同じと判明、小分けすると高いので25kg13000円で購入、家にはアイスを作る媒体(材料ではない)用の「食塩」10kgと南米の「ローズソルト」宮古島の「雪塩」能登の「能登塩」もあったので一体何kgの塩の在庫を持つことになったのだろうか。まあ腐るものでもないので、楽しんで使っていくことにする。

塩の付く地名は長野が1位で長野県北部に多い〔塩沢・四王子(シオウジ)・塩田・塩野・塩尻・四方田(シオ)・入之波(シオノハ)・志雄・塩原・潮・子浦(シオ)〕等、塩の道と呼ばれる街道もある。
対して私が育ったような海沿いでは〔塩浜・塩屋・塩釜・潮ノ岬・汐留川・潮見坂〕となる。

子供の頃、海で取った貝やタコを煮るときは海の水だった。
トウモロコシを採ってきたからとバケツを渡され、一番水の綺麗そうな岩場の先から汲んでいた。夏の暑い日にバケツに入った塩水を運んだ後、茹でたトウモロコシはうまかった。
今回初めてアイスにも「ピンク塩」を入れてみた。これは岩塩なのでミキサーで粉にして使っている。
私の中の仮説ではノアの洪水以前の海の塩かも知れないその塩は、よりアイスを美味くしてくれた。やはり「塩は良いものだ」

2010年9月7日火曜日

DVD2

娘、お勧めワンちゃんがでてくるからと「カールじーさん」
ばあさんとの夢をかなえるための冒険話でほんわかさせてもらいました。

「偏見とプライド」は自然が綺麗で家も素敵でした。
ラブストーリーは情熱的なシーンが多いものですが
この映画は最後まで濃厚な場面も無く
自然の風景がきれいだったし内容もよかったからもう一回みたいかなぁ
http://www.youtube.com/watch?v=4PynL_xtCR8

前から見たかった「バッテリー」は日本の自然が綺麗だったし古い家を古さも残してリホームしてあって良かった。
家族であったり、友達であったり兄弟であったり、
夫婦であったりバッテリーは大事だと思わされました。
私を一番ささえてくださる方がバッテリーくんでくださっているので
私が信仰をもって信頼していれば安心ですね。


「引き出しの中のラブレター」も見ましたが主人が自分の引き出しの淡い思いを思い出したようで私の誕生日の日のブログが淡い思い出って、
私じゃないし、それってなんだかね~と言ったら笑ってました。
私といえば軟式テニスを小、中、高とやっていたので、
顔の色は日に焼けて黒く、
おしゃれでもない、言われるまで気づかなかったけど足も太かったらしい・・・
そんな私が結婚をしてしばらくしてから主人方の親戚のおばちゃんが
「あ~ら、この家の水があったぁもんでぇ~、えらい白~ぉなったねぇ~」と言われるくらい色黒の花嫁・・・とほほ

この親族は、誉めてるのか、けなしてるのか
漫才みたいにぽんぽん痛いところをついて笑いをとるのですよ(^^:)
そんな色黒で歯しか白いところがないといわれてた
私をもらってくれたのだからありがたいことです。
私は主人からラブレターを山のようにわんさか送ってもらってました。
主人から、封が開いていない物もあるし読んでくれてないラブレターがあると
今だに言われます。

2010年9月6日月曜日

モトクロス観戦

昨日は新潟で息子のモトクロスのレースがあったので家内と観戦。
走ったクラスは、今回の中では一番上の国際B級になる。
結果は、いまいちだったがケガ無く終えることが出来てよかった。

家内は久々の観戦で正直スタートとスピードにビビリ気味だったみたいだが、最後までホコリかぶりながら見守っていた。
私より年上の名前の知っている人も出場していて少し走ってみたくなったが、今はそれも厳しい立場もある。
正直危険すぎるとはおもっている。お金もかかる。
物質的には得るものはほとんど無い、不毛な、まあ野蛮な競争で、ある宣教師からはグレードの低いスポーツというお褒めの言葉も頂いた。
でもルールで安全にしてしまうとこのスポーツは成り立たない。
モトクロスの魅力は何だろう。楽しいからやっているのだが、わざわざ不整地に障害を作り雨には泥を浴び、晴れにはホコリで前も見えない中をただ前に前に進む事だろうか。
親から見たメリットはリスクを自分で負う、つまり自立だろうか。
彼は交通事故とか交通違反などする気配もない。
一般道で飛ばすとか無理な運転がどれほどリスクがあるか知っているからだ。
エコやCO2削減、自然保護の対局にあるようなこの競技の先にあるものはなんだろうか。
より速く、より安全に、より快適に、より経済的にという人が生み出す先にあるものは。

近くで観戦していたおじいちゃん方が
「日本はホント平和だよなー。若いもんがこんなことやってられるんだから。島だからいいんだなー。」とか話していた。
トップを快走していた中学生くらいの子がゴール前で大転倒した。

「何やってんだあのバカは」とお父さんが、汗と泥だらけになって走っていった。泥臭い人間が此処には集まっているなーと思った。

2010年9月5日日曜日

バーベキュー

お客さんがきたのでちょっと久々バーベキュー。
これが、本当にうまい。
レシピも大事だが、焼き方が美味しさに差をつけると思う。
肉をじっくりと焼くこと、それで肉汁が落ちて下で燃える。
香しい煙りが立ち上り、それでスモークされていっそう美味しい肉となる。

これは霊的にも同じような仕組みで、
この私という肉を火でゆっくりとやいていく。
すると肉の中に閉じ込められているあぶらが流れ出して滴り落ちる。
それは火で焼かれ、煙となって天に昇っていく。
神の前に本当にかぐわしい香りは、私の願いや祈りでなく、
肉の中に閉じこめられているあぶらの燃えるかおり。
イエスの名によってとりなしてくださる聖霊の祈りです。
ただ、そのあぶらは、この肉が火にさらされた時に流れ出す。

難しいことを書いたが、ようはうまければいいのだ。
かぐわしければ、それは、なおいいだろう。

生後2ヶ月の赤ちゃんが来てくれた。
赤ちゃんは、見てるだけで楽しい。
赤ちゃんは主役だ。
赤ちゃんだからこそ出来ることもある。

2010年9月4日土曜日

DVD

最近面白いテレビもなく、主人とDVDをレンタルしてみてます。
500円貯金がいい感じでたまり、ちょうど変え時、
主人がインターネットで探し買った大画面液晶
紹介してもらったタイムドメインのスピーカーをつけて、
夜、暗くしてみるとミニ映画館・・・
最高です。
「沈まぬ太陽」3時間みても家なのでリラックスし主人に質問しながら見れました。社会のしくみがみえ、繁栄するために多くの犠牲があり、
世界も同じように進んでいるのだと思いました。

フランスの映画「未来の食卓・日ごとの糧」
オーガニック有機農産物、また有機農産物を加工して作られた食品を学校の給食に取れ入れて地域を変えていく話でした。すごい綺麗な山間の風景なのですが、その地方では,農家の人が消毒で病気になっていること、その子供や周りに住む子どもたちも白血病になるケースが多いこと・・・消毒や加工食品の入っている科学調味料で食べ物が影響して世界の人に癌が増えていて
鬱や子供の障害も増えているといってました。ほんとかもなぁ~
これは消費者の方も質ではなくて常に見栄えの良くて安いものを求めているからと考えさせられる内容。何も知らずにいた頃は安さを求めていたからなぁ醤油やみりんも~風味だったとわかったとき手作りしてたのに、
使っていた物がそれっぽい味を出しただけの物だとは・・・

さらに”いのちの食べ方”と言う映画、映像だけでナレーションもなし
家畜が土の上で育てられていなくて、人工的に機械化でどんどん回して
育ててコンビネーション化でお肉にまでなってしまうシーンが流されてるだけ
広い土地に機械化で手作業は白いアスパラを掘っている所とハウスに植わったそれも土でないような所で育ったピーマンらしきものを収穫してました。

日本のテレビでは土があり牛や豚、鶏を飼う家の人が
エサをあげたりしてるところが映し出されてるからありがたいという気持ちがわきます。
このDVDでは
緑もなければ木々も土もない冷たい鉄ばかりものをみて
なんか空しくなってしまった。

もう少し自分の家で野菜を作りたくなりました。
家の畑は住んでから化学肥料や消毒は一切使っていないので、
ミミズがたくさんいます。会いたくはないけどいてくれると
土が健康なんだなーとホットします。

2010年9月3日金曜日

レビ記

レビ記や民数記は、細かな規定が繰り返される様な話が多く歴史のドラマ等が無いので結構読み進めるのに大変な時もある。
今朝読んでいてこんな箇所に目が留まった。

「民が主に引き渡したものは全て聖なるものとなる。
彼らは決してそれを取り替えてはならない。
すなわち良いものを悪いものにであれ、悪いものを良いものにであれ、かれは決して交換してはならない。」

聖となるとは、別で取っておくということだ。
一度捧げたら交換できないということが、書かれてある。
まあ勿体ながって悪いものに変えることは、いけないのはわかるが、
後でみたらもっと神に相応しいものが見つかったからといって更に良いものに変えることも、ダメという規定が書かれてある。
まあ見るからに最初から悪いものは受け入れられないから論外だが、このことは実に有難いことだと感じた。

自分の気が変わって神に捧げた自分を、自分ではチェンジ出来ないという事実は、時々こんな俺でいいんかい。という不安を消してくれる。
もちろん捧げ物は傷のないもので無ければならない。
それはイエスキリスト以外ない。幕屋の時代家畜の頭に手を置いて自分を移した様に、ただその言葉に書かれてある通り、信仰で私も十字架に打ち付ける。
もし後で、こっちにしたいからどうしても交換してとなっても、変えたものも、元のものも両方とも聖なるものとされると続けられている。つまりどちらにせよ、私は一度捧げたら別にとっておいてある事には変わりは無いわけだ。

「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、
イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行ない、あなたがたがみこころを行なうことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように」

ここには神の主権だけがあり、自分のする事は任せる事以外ない。
空気が少し冷えてきてテラスから見た夕日が綺麗になってきた。
見える景色は同じように見えて万華鏡の様に一つとして同じ夕日も無い。

2010年9月2日木曜日

おはぎ

義母は義父の誕生日にはかならず、おはぎを作っています。
主人が子供の頃も誕生日はおはぎだったそうで、
それで生クリームのケーキが食べたかったようでおはぎは嫌だったとか
私は小豆の甘いのも生クリームの甘いのもどちらも大好きでしたから~
が、どちらも私が子供の頃はなかなか食べられないものでしたので
この誕生日のおはぎは楽しみでしたぁ
それで、このおはぎ作りを手伝うことになって
餅米を焚いてそれを、はんごろしにするのだと米の形を少し残した状態にして塩を加えるのですが、その塩加減をすごく丁重に味見していくのです。
まず自分でそして私に味見させてくれて、最終的に義父がちょうど良い頃がよいという言葉で塩の味付け終了そして小豆の味付けも、
ことこと大鍋で大量にに砂糖を入れて煮込み、最終段階でやはり塩で調節、そしてもち米と同じよう自分でそして私に味見させてくれて、最終的に義父に確認そして餅米の丸めるのは義母で小豆をつけるのは私の役目でおはぎが大量に作られていくのです。多分大きめで甘めのおはぎが50個以上!
ほら小豆がついた手でおはぎ食べていいようと言ってくれて
食べるのですが美味しいこと。
最近では主人は歳を重ね急におはぎが食べたくなったから作ってというのですよ。歳ってすごいですが私の影響も多分に受けています。
餅米も頂いてあるし、あずきは最近は義父が大量に煮込み、冷凍保存してあってそれを頂いてあるのですぐおはぎが出来るのです。
本当にありがたいことです。

2010年9月1日水曜日

友人からの連絡でニコルさんの家具を修理をお願いされた。
「まあ、私でも良いですが、十分なお金が出せるなら家具職人紹介します。」と取りあえず見に行った。
扉が湿度と経年変化で全く閉まらない。
彼とも話して、どうやら私の仕事でいいいそうなので、
それなりに注意しつつ私なりの荒療治となった。
楢材をグラインダーの鉄用で削り上げるという仕事は、普通無いだろう。
邪道だが、私の考えはちゃんと使えて見た目がマッチしていればオッケー
細かい細工の合わせ等は日本の職人にはかなわないが、ヒンジのガタが全くない骨太の仕事は素晴らしい。
200年前にこれを作ったオランダの職人を考えながら家具と会話をしていく。
一度も修理の後もない。片側はちゃんと閉まるようになったが、もう片方はもっとひどいので、この家具近々今の半地下から引っ越しするらしいので、そちらに移してから半年待って直すことを提案して帰ってきた。さあ、どういった解答が出てくるだろうか。

世の中には、今するべき事もある。
すぐにやった方もいいものもある。
ただ、ほとんどはゆっくりやったほうがいい結果になる事の方が多いと思う。
彼の家の横では2度目の蕎麦の花が満開だ。あとひとつきで新蕎麦の時期が来る。