2013年12月31日火曜日

真夜中のパン屋さん(ちょっと違うけど)



ルカの11章には 友達の友達の為に パンを3つ貸してくれというたとえがあります。
旅の途中で夜訪れた友人おそらく

「さっき マクドナルドで食べてきたから何もいらないよ」

って事はなく お腹がすいた状態だったのだろう
しかし 訪れた友の家にも パンのストックもなく
その友達の家に 深夜にもかかわらず パンを貰いに行くという話です。

前後の話も見ると このパンが聖霊であることが わかります。
ルカ11-3では岩波では「必要なパン」となっていて
ここのことばは聖書中マタイの6章とあわせ2回だけしか使われてなく 
御偉い学者さんの見解では 解釈困難らしい

「必要」以外の解釈可能なことばは
「明日のパン」
「来たるべき日のパン」
「今日のパン」
「日々のパン」 らしいのですが、、

まあ生きていく為に必要なのが「パン」であり日本人でいう

「ご飯が出来たよ~」の 「ご飯」になると思って頂いています(麦も稲も同じ仲間だしね)。
この「パン」が「聖霊」って所には ほとんどのクリスチャンの方々は異論がないと思いますが、
問題はその使い方となります。
 
旅人の友が あそこに行けば、パンがある、あそこならストックしてあると 叩いたドア
その家はイエスの父の家 
そこから 貸してもらうパンは もちろん聖霊ですが
クリスチャン人生にとって イエスと言う友を持ち、聖霊なるパンを借りてから

「さあ、どうしますか?」と、いうわけです。
 借りたものは返さないとというわけで マタイの25章には天の王国のたとえがあります。
いわゆる「タラントのたとえ」ですが、
タラントには本来「才能」とか「賜物」という意味はないハズ(多分)。
タラントとは「はかり」の事で 重さの単位でもあります。
何の重さの単位かといえば 「金」ですが
英語訳の影響で「タラント」が「タレント」になったように 大体がスピンオフ的に派生した流れの意味だと思います。

本来の意味の「はかる」 そして 「はかり返される」で「タラントのたとえ」を見ていくと
ちょっと目には クリスチャンになっても 怠けていたら大変だな~的に読めるかもしれません。
ただ「タラントのたとえ」をよく読むと 「それを使って」とありますから
商売で何が儲かるかといえば その商品を独占して商いをする事で
このタラントが現代の金額に換算すると何千万だとか何億だのはどうでもいい話
真夜中に パンをストックしているなんて 他にないんですから
寒い時はおでんが 暑くなったら ビールが売れる以上に
飢饉の時に パンを持っているなら 絶対と言ってイイ程 売れるんですから(タダでだけどね)

いつだって、どこにだって、
それを使えば絶対 無駄になる事はない
だってそれ自体が生きているパンですから
そのパン自体が 導き、教え、働いてくれるのですから 

クリスチャンにとって大事なのは心配しないで 惜しげなく使えばいいんじゃないかな~
まかされてはいるんだけど 地の中に埋め込んだまま隠しておかないで 
今からでも掘り出して 使ってみる事
古いアダムの体は 地のチリから創られました。
それ自体は 少しは有益程度のものでしかありません。
しかも 古い創造までの 使用期限 正直賞味期限は切れていそう
イザヤだったと思いますが、

「私たちの義は ボロ雑巾のようだ」 (電気屋訳)

この肉は 破れた所を繕ってみたり シミや汚れた部分をどれほど注意深く丹念に揉んだり擦ったり 自宅で洗濯してみたり 世のクリーニング屋(さらし屋)に出して漂泊してみても

神様の前に立つには  ダメになり過ぎているので 
それは捨てて 神が貸し与えてくれる衣を着ればいい
ぜんぜんもったいなくない

まあ神が太っ腹なのは 使いもしない僕にも 聖霊を貸し与えるということなんだけど
その貸し与えられた 聖霊の 肉と言う金庫の中に入れたままで
実際に使ってみるという「わずかな事」でさえ しなかった者であっても
約束は約束だから 「永遠のいのち」はもらえるんだけど
せっかくだから 取っておかないで、

どうぞ 「必要な パン」を「来たるべき年に」 惜しげなく使って
新しい地 だけではなく 新しい天にも 入りたいですねー 
2014年も よろしく お願いします。



2013年12月29日日曜日

生まれたてのいのち

 この世界に出てきて 30分後の様子 当たり前だけど ひなに似ている
しかも眉毛は 俺にそっくりだー

午後電話があり、病院に行くからとの事で 
予定は1月入ってからだったけどだいぶお腹は大きくなってきていたから
いつでもおかしくないからと
午後からの温泉行をキャンセルする形で自宅待機
PM2時に私たちも病院に行って テニスボールで腰を押したりしながら

「暗くなるまでに産もうか」

などと 言っていたんですが 陣痛促進剤も使わず 自然分娩で無事 5時過ぎに 
女の子が生まれました。
 1時間後の様子
まるで会話をする様に アーアー ウーウー言っています。
目も見えないというけど キョロキョロしています。
ホンの少しの時間でもなんだか成長している様に見える 赤ちゃんスゲー

長女であった妻の 長女に 長女が生まれて これでゆっくり年越しと正月が過ごせそうです。
それにしても 家内の時より 生まれるって感じがしたなー
家族で回転寿司を食べて 後はゆっくりと 風呂入って寝る

これが 幸せでなくて 何が幸せだ
サンキュー 

2013年12月28日土曜日

スノースクート

アイスバーンなど出来るハズが無い 

だって、水分が全くないのですから、、、
そんな キーンと冷えていた一日 
息子に誘われて戸隠スキー場に 
戸隠に住みながら 戸隠スキー場彼は10年以上滑ってません。
ボードは先日乗って 

「まあ、いいや」

って感じ?みたいで 本日はバイク友から借りた
スノースクート初挑戦
 ヘルメット、ゴーグル、グローブ、ネックブレイス、ブレスプロテクター、ニーブレースと
モトクロスの装備 ほぼフルで身に着けています。
私もヘルメットは付けていたんですが、チンガードが無いからこれに乗るならあった方がいいかもね

意外と簡単だそうで すぐにかなりの斜面でもイケる感じでした
私もテレマークを履いていた時は先行出来ましたが
途中でボルトが緩んだ様で 久々のスノーボードに替えてからは

「どうぞ、先に行ってください」

状態で、ボードの滑り方を少しレクチャーされる始末
この前教えたばかりなのにね、、
でも、息子が自分を越えていくって 悔しいけどどこか嬉しい
 お昼はゲレンデのカレーより一度車で移動して 吉永さんも頂いたという
「蕎麦の実」さんで 蕎麦団子 これがカリカリで 実に美味しい
息子はこちらも多分10年ぶり 休日モトクロスし過ぎやっちゅーねん

「すごく 旨い」  との事で お金を出した父も満足
 息子は 天ぷら蕎麦 やっぱオイシイ蕎麦はザルが一番
 でも、私はお腹が少し冷えていたので 蕎麦がきにしました。
蕎麦のお雑煮という感じで 悪くないねー

今日は 久々に ほとんど一日滑りました。
今度 俺も スノースクートデビューだな~

2013年12月27日金曜日

そもそも 霊的って ドユコト?

 朝8時半に家を出て近くのゲレンデに 
高速リフトで登ってみるとまだ誰も跡をつけていない斜面が広がっている
明け方積もった雪は15cmほど これが30cmあれば最高なのだけど
それなりに降りて行けば 悪くない
幅広の板の恩恵で その程度の新雪でも浮力は十分だから ラインを選べば
まるで水の上か 風に乗っている様なフェザーな感覚が 実に気持ちいい

クリームな所だけを味わって10時過ぎには本日のスキーは終了
家に帰って来て 薪ストーブの上で ゆっくりと膨らんでくる 実家のお餅に海苔を巻いて頂く これまた外はカリカリで中はもっちり最高です。
 スキーは落下していく遊びだと まっちゃんが言っていた。
なるほど そうするとさしずめバイクは自らのエンジンと言う推進装置で重力を作りだす様なものかもしれない
120km/hくらいでクルージングしていて一番その感覚があったのは
ビューエルで 全く振動がない状態で自分が 地面の少しだけ上を飛んでいる様な気がする
もちろん フロント周りが一切見えない事も それを感じさせる要因になっているが
あれだけ鼓動感にあふれたエンジンが それを味あわせてくれる 意外性もある

ショベルもイイ感じだったけど どこかそのうちぶっ壊れそうな不安感が付きまとっている感じ
F6Cも実にシルキーだけど爆圧を6個に分けてあるだけで 意外と一発一発は小さく残っている
ただビューエルの蹴飛ばされる様な加速と違って 
金管楽器の様なマフラーから 音階を上げながら加速を続ける感じは素晴らしい
他が全部悪くても あの音とフィールだけで そばに置いておきたくなる

スキーが 重力で落下する遊びで
バイクが エンジンで前に推進する遊びなら
クリスチャンライフは 霊の羽根で浮遊する様な楽しさかもしれない
 詩編42:11
「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」

地(体)に伏した魂は、重く泥が纏わりつくようなもの
足元ばかり見ないで 頭をもたげ 高みに目をむける
神は霊を用いて 上から引き揚げてくださる


ところで、ある人が霊で歩いているとしても 実際 みえているのは その人の行動
では、何をもってそれをうかがい知る事が出来るのかというと
やはり、霊は 霊によって知るというシンプルさ

ただし霊特有の傾向というか流れと言うか絶対と言えませんがパターンはあるような ない様な やっぱりある
ある人はそれをみて神を賛美し、またある人はそれをみて何とも思わない何とも不思議なモノ
 基本 魂は寂しがりなモノで 人から嫌われたり悪く思われる事を良しとしないと思います。
また自分のアイデンティティを保守しようとし、
それまで自分が尊敬しないような自分になる事を嫌う傾向があろうかと、、
だってそれしかないんだからね

それに対して神の霊から降りてくるモノは何と言ってイイかとにかく自分じゃない
自分がその様な自分の行動に対して

「アレッ」とか

「俺ってそうだったっけ?」

って、
その自分の行動の後になって いぶかしく思うほど
 こうしてブログを書いていても以前は 自分の書いたブログの内容に対して
少しでも大勢の人が読んでくれることを願っているし、
読んだ人がそれを読んでどう思ったかのレスポンスをまるでプレゼントを送った相手のリアクションを見たいかの様に期待

実際にコメントがあると(特に自分を許容する様な持ち上げてくれるコメント)ワクワクする自分
暇が出来ればチェックしたり、ある程度定期的に書かないとアクセスが下がるんじゃないかとか 
イイ事を書こうと何処かで思う自分

前に書いたブログよりイイ事を書きたい、書こうと何処かしら必死
以前の自分そのものが 恐ろしく 低い話で
それを越える事などそもそも大した事もないのにである

様々な聖書の箇所を無理くり引っ張ってきての釈明 
こんなのは大体において魂的だと思う
また、誤解であっても自分が嫌われたくない様に先手を打つ様な行動や
自分には説明責任はあるというイイ訳を繰り返すこれまた魂的

情けない自分やみっともない自分を出来るだけ人に知られたくない見られたくないそんな自分になりたくない
それも生まれたままの人であり、また魂的
ここまで書いて、私が書くところの”魂的”って 

「一体何なのさ」

「霊的って 自分の嫌な事をする事?」

「そんな事をするってなにかに 操られているの?」

とか思うかもしれないけど、それでもやっぱり自分の選択だから不思議
自分がどうだとか、勝ったとか負けたとか、正しいとか間違っているとか、
永遠や天上の事、自分に神がしてくれた事を思う時、

「そんな小さな事どうでもいいさー」

的な気分になってくる、それをすることや、そんな自分であることもそれほど嫌じゃなくなっている
じゃあ逆に考えて私が書いている所の魂的って


「何なんですか?」

「それが何か悪いですか?」

「それに何の問題がある?」

って思うかもしれませんが、
なんも悪くないです。むしろ イイことも沢山ある
ただ、神の選別は それが「善か悪か」ではなく 
それが「魂からか霊から」かだから 永遠には繋がらないよーってそれだけ
イイとか悪いとかではなく”霊的”か”魂的”の説明をしているだけですので、、誤解の無い様お願いします。

また、いつもこれは魂的か又は霊的かなどと 考えている事自体がそもそもウザい
結局は自分でやるんじゃなく 神が私の体を使ってそれをさせてくださるのだから 私は当事者な様で傍観者の様
奥さんが旦那の帰りを待つように 微笑みながら家の事に勤しむ
それが降りてくる時まで 自分のやりたい事や楽しい事(それが静かに休みたいならそれ)を素直に
まるで子供の様に 味わっていればいいんじゃないかな

知識や(聖書の知識も含む)人の意欲は(神を喜ばせたいとか 従いたいとか、、所詮無理なんだけど、、)
自分の内側から湧いてくる 魂の善と 似ていて なまじ悪くないものだから実に対処がしにくい

「いつか使えるだろう」

「こんな時には必要になるんじゃないか」

「もったいない」

的な感じでとっておいた部屋の隅や物置の荷物の様に本当に始末が悪い
それだからこそ、上から降りてきた神の意志をはっきり聞くとか知るクリスチャンライフは
何ともお気楽なんです だって請求先又は全ての責任は神にお願いします状態ですから
自分で工夫して取り繕わなくてもいいんです。
クリスチャンは天国からの大使であって フルタイムの公務
倒産する事も失業する事も日毎のパンにあり付けない事もない 

「クリスチャンは完全なる公務員であって 親方は 義の太陽なるお方」

こりゃあ、やめられませんね。

詩編の岩波訳もいい

「なぜ、お前はくずおれるのか、わが魂よ、
 なぜ、うめくのか、わたしに対し。
 神を待て、私はなお かれを讃えたいのだ、
 わが顔の救いを、わが神を。」

2013年12月26日木曜日

立ち上がる力

 ちょっと前に 息子とゲレンデに行った。
今年はボードもやってみたいとの事
彼はスキーは学生の頃まではやっていたけど そんなに好きじゃない感じで一人で行くほどではなかったけど、、
とりあえずリフトで登って

「じゃあ、行ってみたら」って言うと

「止まり方と、曲がり方 教えて」って言うから

「谷に対して90度にエッジを立てると止まるし、曲がるのは前の足に体重をかけると谷に向かっていくからそこからググって曲げていく感じ?
エッジでパラレルみたいに曲がるのと初心者は体重移動が間に合わないからゆっくりとやるといいよ、的な感じで」

「言葉で説明されてわかんないよ」

そりゃそうだ、言葉で説明して完全に理解できるなら イエスはわざわざ地上に降りてくる必要もなかったかもしれない(贖いは別として)
自転車に乗るにも、歩くにしても それを言葉で説明するより 実際にやってみる又は見せてあげる事
転ぶことや上手くいかないこともある もちろん 説明の上手な人とそうでない人もいる
だから世の中には インストラクターという オムツを替えてくれる仕事も成り立つ(失礼な言い方ですみません)
何より 一緒にいてくれる 人がいるって事が ことば以上の様な励みになるし安心も頂ける

体や魂の交わりや、鍛錬が役に立たない訳ではありませんが、
それが霊から降りてきての神の意志でないならば この地上だけの事
天上の事や永遠に関係してくる事柄は、
ただ神の霊にアクセスできる器官である私に与えられた私の霊で
 
では、霊によって立つ、とか、霊によって歩むという事はどの様な事、
どうすれば出来るのですか?って聞かれても
赤ちゃんはどうやって歩くようになるのか?とか
人はどの様にして親から自立するのか?などと同じような質問になる気がする

私たちは 自分の意志や努力ではなく ただ神を褒め称える
それは神が与えて下さった 復活した私たちの霊が 自ら立ち、歩むというパッションを一緒に与えて下さっているからなのです。

http://dennkiya.blogspot.jp/2010/04/blog-post_05.html#comment-form


2013年12月25日水曜日

好天

 今日は 雲一つない天気が一日続いていて 長野に住めて良かったという朝の写真です。


先日能登に行った折 久々に会った3人がいたのですが
皆10年ぶりくらいで、同級生の彼とは25年以上会っていなかった。

一人は私のいとこで 生まれて間もなく小児麻痺になり 不自由でないのは脳だけ
学生の頃までは、彼と将棋、花札、マージャンを徹夜でやったもの
私より3つほど年上で症状も進み ただでさえ不自由だった両手も 使い物には
ならなくなっていた。
以前、彼には 神とイエスの事を話した事があったけど
話せないから手振りと表情で

「神がいるなら何故、私はこのような状態なのだ」

と、訴えて、

「わからないけど神の深い計画がある」

と、力なく答えたもの 


二人目は 私の親戚でまた従兄弟になる
私と学校は違えど学年は同じで高校の時は一緒にバイクにも乗っていた。
私が父の家を出て長野に向かったその年
彼は転勤先の寮で倒れていてそのまま25年目になる
叔母さんによると時々起きては、テレビを見たりこちらの話している事がわかる
のだと言うけど
そんなフィールは、全く今まで感じた事はなかった

ただ10年以上前だけど病院に彼がいた時 面会に行って
彼のお母さんもいなかったけど ヨハネの福音書を声を出して読んだ
病院だからそんな大きな声でもなかったけど 彼の耳に聞こえる程度の声でゆっ
くりと呼んだ。
驚いた事は 彼も含めて 同様な症状の4人とも 声を揚げて泣き出した事が印
象的だった

「ひょっとしたら、わかるのかも知れない」

そう言いながら帰り道家内と話して帰った。



最後の一人は、小学校の6年間同じクラスだった 同級生のK君
工事をしていた家の主である従兄弟が

「Kちゃんも可哀いしきないげったわいなー」

って、言って何かあったと尋ねたら脳内出血で半身麻痺だという
すぐに彼の家に行くと以前彼女としては会ったことがある奥さんが

「久しぶりですね」

彼も足を引きずりながら玄関まで出てきてしばらく話した。
夜起き時計の針は3時を示していたという、もう一度寝ようと思ったら
頭の中で何かが「シュ~」って抜けたらしい
これは普通では無いとすぐに奥さんに声をかけて救急車で運ばれたという
出血の量はわずか14ccたったそれだけで 体のほぼ半分の機能を失った。

どちらかといえばお互いに落ち着きのない問題児で
私の名前を先生が大声で呼ぶと 似た名字の彼もいっしょに直立していた その
頃が懐かしい


今回不思議だった事は 自分のこころの状態で
全く彼らといて 気の毒だとか可哀そうだとも思わなかった
何か励ます言葉や ましてや聖書のことばを語ろうという 意欲も沸いてこなかった
ただ 彼らと一緒にいて頭をさすったり、手を握ったり、話を聞いたりしただけ
一見希望がほとんどない様に見えて 3人と会えた事がとても良かったという思
いが残っている。
それは、お見舞いに行けて良かったとか 何か良い事の一つもしたからでもなく
彼らの魂は今日も生きていて 機能している、それが感じられたから
私と比べて優れているとか劣っているとか そんなこともなく
神の目には 同じ様なものだから 同じような可能性が 彼らの目の前にはある

神は何と偉大で イエスの名はなんと素晴らしいことだろうか

2013年12月23日月曜日

抱負

 写真家ミヒャエル・マーティンとエルケ・ワルナーさんという方が世界中の砂漠をBMW1150GSで撮影したビデオや写真を以前、白馬のミーティングで見せてもらった事がある。
R1150GSと900日で10万キロという記録よりあえてバイクでしかも二人乗り確か9.11が起きた頃にアフガンを通過しているからとっても大変な事もあっただろうが、好きってそんなもの
あのバイクとしてはトールなGSがシャコタンに見える程の幅で荷物を満載して砂漠の向こうから近づいてくる絵はそれだけでスゲーって思える。
タンクを見ると以前私のGSについていたのと同じメーカーの41㍑が付いていて親近感も無いでもない

その時彼らは日本に来ていたらしいけど
鳥取砂丘を走って来たかは 聞き逃しました。
その後、アメリカに向かわれたそうです。

彼らのナレーションによると

「かえって、二人だから良かったことも多いし
タンデムシートに乗っているのが彼女だからこそ 現地の子供達とのコミニュケーションなどメリットが沢山あった」


「がんばった」 とか
「大変な努力家」などと言うより

”好きは、学ぶにまさり、楽しむは好きにまさる”

だと、しみじみ思います。
来年の私の抱負は

「より楽しく、より快適に、より安全に、より経済的に」

そんな感じです。



2013年12月22日日曜日

happy holidays

 昨日から 長女達と姪っ子が来ている。
姪っ子が来た時はいつもの事だけど パンやケーキ、クッキーの焼ける香りが家中に充満している。

液晶画面には 波や風に翻弄される人々の姿が映し出されていたけど
猪瀬さんも、少し前まではペコペコしていた様な人々からも罵倒される姿は気の毒な事だけど
逆に考えれば 落とされる程の人物である事を
彼はそれを自慢してもいいかもしれないし
それくらいの人でしかなかったとも言えるかもしれない。
東京オリンピック誘致で脇が甘くなっていたのか
まさか あんな小さな事で辞職までになるとは思わなかったかもしれないし、フー

この世という同じ船に乗っているかぎりは、揺さぶられたり、波をかぶる事もあるだろうけど
世の流れに逆らって 歯を食いしばって脱力するのではなく 主の様に 休んでいたいもの
明日の陽が沈めば世に言う所のクリスマスとなる
救われた者にとっては 毎日が祝いの日だから特別な意味があるかどうかはともかく
時として知識は信じる者をアンハッピーにしてしまうことがある。

たとえ坊主が憎くても 袈裟を嫌う事もない
あんなに楽しく祝っていたのに、自分の知識のせいでそれを嫌悪する程になるのは過剰な気がしていた
カインの末裔のトバルカインやユバルがルーツの技術やツールであっても(あらゆる用具の、、って書いてある)
だから 使わないという事もないだろう

ノアも方舟を作る時には青銅や鉄の道具を感謝して使った(だろうと、思っている)
クリスマスが善いとか悪いとかは 私にとっては 小さい事で
今日 私がハッピーであるかどうかが 楽しみ

 世界の始まりには闇が覆っていて 神のことばで光ができた。
夕があり、朝があって一日
私の人生だけを振り返っても それは アーメンで
たとえ魂的には それなりに楽しくって、それなりの満足していていても
それは裏道に夜だけ営業している薄汚れた歓楽のよう

昔は良かったと思える時代はなく 
魂的には 揺さぶられる事はあっても
霊的には 今日が一番幸せ
主の来られる日が また一日近づいた 事と 主が共にいてくださること
 「ピーッ、ピー」

また、タイマーが 新しいクッキーが焼きあがった事を知らせてくれている。
子供と動物が最高の被写体と言われるゆえんは
カメラをことさら意識してない ところなのだろう
レンズを向けられても 自分が自分らしく いれる
クリスチャンになってから 今まで意識していなかった 天の父からの目線が気になった気がする

「こんな事では 全てをご存じの父は どう思っているだろうか」
とか
「この素晴らしいこの贈り物を父に感謝しなければならない」

などなど
本当はその子がワクワクしながら包み紙をやぶる所や、
それを見た時の喜んでいる表情だけで十分かもしれないのに
小さい子ももう少し 大きくなって親に言われての

「おじいちゃん、ありがとう」

などの ことば自体はそれほど聞きたくもない気がする
自分が 自分らしく生きる事
それが父の喜びなのではないだろうか
生きている事 健やかである事
皆さん、どうぞ ワクワクした ハッピーホリディ(ズ)をお過ごしください。

2013年12月21日土曜日

新しい日

 今朝は新雪が30cm程積もり 今シーズン初めて除雪機をはたらかせた
雪が積もった朝は それほど寒くない
動いているのは除雪機のエンジンだけど操作している私の額にも汗が流れる
その後 熱めのシャワーを浴びる どうしてだろう こんな事にも 満足があります。
 今年もあと少しとなり
振り返れば これまでの人生でも最良の年
これほど 穏やかで 平凡で でも幸せな 毎日が積み重なったミルフィーユの様な2013

 
それは 主を信じてからでも
魂的に走り続けてきた私が
教会という名の集まりを出て10年 
初めて 立ち止まり 少しばかりうろうろしながらも
主を 待つ時間だった様な気がする。

実際は 待っていてくれたのは 彼の方で
私は それに気づく事もありませんでした。

「いつでも 主は共にいてくださる」

そんな当たりまえで単純なこと
サムエルは何故7日の間 来なかったのか
主をもっと知りたい 私の熱心によらず
主を味わいたい 主は日ごとのパンを備えて下さるから
主と共に歩む 主と私は一つ体だから

冬、葉を落としても
春を待ち 天に向けて成長し 枝を延ばす
その力は 見えない根が支えている


2013年12月20日金曜日

カラオケで良かった

 昨夜、次女とのメールでのやり取りで 今日は3人でカラオケを楽しむ事に
息子はそれを聞いて

「いいな~」って 言ったけど彼は私のいない一昨日、家内と二人カラオケを楽しんだらしい
家内の稲荷寿司を持ち込んでの昼食後
髪が伸びてきていたので 私だけ抜け出して 理髪店に行ってちょっとしたアクシデントハプン
反省点は受け止め 未来に役立てる予定だけど
後悔はしても 現状は何も変わらないから 3時過ぎに合流し 熱唱した

♪~女々しくて辛いよ~

今日は踊ろうもう忘れよう
昨日の古い悩みなど~(ついさっきの事だし、忘れるつもりはないけどね)

年末価格でいつものダブルプライスだけど3人で¥2.622円
今日はカラオケで よかった~


2013年12月19日木曜日

能登(仕事)紀行

 軽トラに荷物を満載して 少し暗くなり始めた頃 能登へ向けて出発
床材や壁材も少し余裕を持って積んでいるから かなり重い感じだし
重心が高いから 風邪が吹けば振られる

バイクよりマシだと思いながらも日本海沿い 親不知前後は 凄まじい横風
スーチャー付きでも前から吹かれるとアクセル全開で70km/hまで車速が落ち 
エンジンが壊れたのか?って思うほど
ワイパーもほとんど効かない トンネルが多いのが幸いだけど 出口付近では1mは飛ばされる。

ほとんどノンストップで着いたのがPM10時前 以前住んでいた2階にあがり 布団をひく
電気毛布を入れてみたがなかなか暖まってこない(ホントは使いたくないんだけど、、)
それでも 能登は 気温は高いんだけどね、、湿度が高いからかな、、
 次の朝 北陸特有のコバルト色の空 湿った空気 雨音に混じって 遠くで波の音が聞こえる。
25年前の様に普通に出された朝食を頂き 親戚宅へ
新しい トイレは 階段下の狭いスペースに設置予定
この家は 旧家屋を移設した部分だから 100年程経っているかも
ジュラク壁を壊すと下から漆喰、そして泥壁 
中には こまいになっている この時代は これが標準で人工的なゴミは出ない
 能登に多い ぬき板もウルシ仕上げになっている この方がカッコいいのに何故ジュラクを塗ったのか 時代性って面白い
トイレの設置の仕事の半分は見えない部分で下水のつなぎ込みと給水の床下配管、そして電気工事となる
古い床板を剥し 配管が完了したら 壁に付ける窓、換気扇、手洗い排水の準備をして壁から張っていく
トイレ内が狭いので間仕切りをする前に出来るだけ内部の工事は少しでも進めておく
時間があれば腰壁にして上は漆喰などを塗りたいが今回はパイン材を立て張りにすることにする。
天井は昔のままを使う予定を伝えると

「えー、そう?」って懐疑的だけど 「クレームは後で受け付けるから」とひたすら手を動かす


 出来上がると、いとこは天井を見上げて「これ、いいな」って言ってくれた。
誤魔化さないでちゃんと作ったモノは、時間が経過しても悪くないし そうでなければ出せない味わいがある。
タンクレスの便器も付けてみると悪くない
停電でも使えるように工夫がされている デザイン的には優れているし アリかもしれない。
仕事自体は4日で完了 一日余裕を持って長野に帰る事にする
家内のお母さんに写真を届けて帰りは海沿いでかえる事にする
今回は 全部海沿いとまでいかなかったけど いつかバイクか車でも 家内を乗せて
小野妹子も流れ着いた辺りもグルリと回ってみたい。
家内の実家からそれ程遠くない所に 三波郵便局がある
潮風に吹かれて はがれてきている 鎧張りの風情が何とも イイ
アルミサッシではなく 昔からの木枠の扉や窓もすき
コンクリートの情緒のないモノにならずに 残してほしいもの

 しけの日には 波をかぶるほどの場所に建っているが 今も現役
藤波、矢波、波並と3つの集落があるから”さんなみ”
以前はここの海岸線に沿って汽車が走っていた。
私の小学校も中学校も松波という 以前にも書いたけど 名前は面白い
磯野波平さんの御先祖も シーサイドに暮らしていたのだろう

長野では 霜田、霜村、霜山さんなど能登では見かけない霜の名前がある。
帰り道 穴水のボラ待ちやぐら 波ひとつない 入り江に ”潮の道”が見える
これが今から帰る 長野では 同じ響き 同じことばでも ”塩の道”となる
毎朝北国新聞を父は持って来て渡した、
その新聞では 松井秀樹の後を継ぐように 遠藤のコーナーが出来ていた
10年に一人の逸材と言われ角界を賑わしてくれている
石川は相撲はサッカー以上に 盛んな地方でもある
やぐらの上の気持ちと 似た様に 穴水が 待っていた期待の星

帰りは糸魚川で下りて白馬を経由して峠を越えてきた 
積雪は1m程で圧雪になっている所もある 荷は積んでいるが帰りはバランスもイイからちょっとスライドが楽しい
行きと帰りを含めてこの6日間は 長野が今、住まう所になってしまった私の両親に
神が与えてくれた ちょっとした親孝行の様になんだか思えました

2013年12月14日土曜日

仕事納めって書いたんだけど、、

先日能登へ行っていたんだけど 
亡くなった叔父さんの家に行って挨拶した時の話

その叔父さんの49日の準備中(前日)
いつも元気すぎる叔母さんが階段から落ちて入院中だという
骨折と聞いたけど背骨の骨と聞いて そりゃ大変だろうなと
正月に一時退院して家で過ごしたいらしいけど 聞けばトイレは今だ狭い和式だという
使わせてもらったら、なるほど私が物心ついたころからこちらの家は水洗だったけど
それが仇となったか、、、未だに和式

金銭的には裕福な方だから「何で?」って思ったけど
まあ 色々あったんだろう。
聞けばそちらの地方の大型量販店のリフォームの見積もりを4月に交わしていて
工事依頼はしてあるのだけど、連絡もなく ついに先日聞いたら「業者がいなくて工事が出来ない」という モノはあまるほどあっても職人がいないなら意味がない
まあ、見積もちょっと甘かったんじゃないかな

ちなみに、いとこには「実家のトイレの交換に来た」と既に言っていて、、、
 
とりあえず「考えさせてくれ」と言って帰って来たんだけど
長野に帰って来て 家内に 

「やろうかなと思うんだけど」

って言うと家内も

「ねぇ、あまりにもタイミングが良すぎるよね」

って話で 能登にもう一度行って別に 新しくトイレを作る事に
私がクリスチャンになった事で 父から勘当され(感動ではありません)
結果長野に 導かれてからは 実家に2日以上泊まったこともないし
私一人で帰郷した事も記憶にない
父と母の住む 私が25年前に出てきた あの家に1週間
バイクも積んでいきたいけど材料と道具が、、、
設備屋、電気屋、大工,左官、板金、建具と一人でこなさないといけないから(いつもだけど)
まず軽トラでは一杯になるから 無理だろうな~
今日はこの冬一番の寒さらしいが バイクに比べたら 軽トラって眠くなりそうなくらい快適
午後からでも出発しますか

神様は何を俺にさせるつもりなんだろう、

2013年12月13日金曜日

チョロバイ

 写真はチョロバイ 親指の第一関節程のサイズの中に そのバイクだと わかる作り込み
実際に走らせる事の出来るメカ ウイリー走行や後期型はドリフト走行も可能
現在 廃版の バリ伝使用は数百円の品に 諭吉程の価値が出ている。

 こちらは缶コーヒー「ボス」のオマケ ハーレーは7機種持ってますが(オクで7つ700円だったので)FLH,FLT,スポスタなど見ればわかるつくりは どっちがおまけとも言える出来栄え
もちろんちゃんと走りサイドスタンドも装備しています。

 スペンサーとケニーの83年GPだったかな 懐かしいー ライダー付きもあります。
ちなみに欲しかったから持っているだけでコレクターの趣味はございません。
そのうち 孫の餌食になろうかと、、ハハ