2014年2月27日木曜日

「牛に引かれて、、、」


⇑よろしければ聴いてみてください。


息子が持ってきたチラシには

「ギャラリーコンサートクラシック」

の事が書かれていてフーンと横目で見ていたんだけど
家内が「この人のなら、聞きに行きたい~」とか言い出して
時間もあるからと、3人で聞きに行く事に、、

場所は長野県信濃美術館 東山魁夷館
長野に人生の半分は暮らし
上の2人はその美術館の道向かいの小学校に通っていたが
さしたる興味もない私は、初めて(家内は2回目だが、、)

彼は確か、、テレビで以前一度見た覚えがある程度だったのだけど
眠くもならず退屈させず飽きさせずとフラメンコ奏者だけあって3拍子揃っている「オレッ」

この長野市でちょっとマイナーな世界、、、どれ位売れるだろうと、心配したのも杞憂に終わり
チケットは完売後も問い合わせが多数あったらしい
200人程の聴衆にPAはちょっと私的には余韻も楽しみたい感じで無い方が好きだったけど、一般受けや勢いはもらえる。
会場にはフラメンコやっている妙齢の女性も多く、雰囲気も特設らしく堅苦しくなくって悪くないでした。

東山魁夷さんの画は白いおん馬は美術の本で知っていたけど
古い日本家屋なども中々味わいがある。
同じ絵でサイズ違いもあるから館内のお姉さんに聞いてみたら
最初に小さいの描いて(小なんとか)だんだん大きくしていって仕上げるので 大体5段階くらいかけて仕上げるらしい
そして小さいのも決して手を抜いていない

うた歌いが、死ぬほど歌う事が好きなように(勝手な私の持論だけど)
この人は、書く事が死ぬほど、好きだったのかな、、
展示スペースは写真禁止なので待合周辺

イイ感じです。




2014年2月26日水曜日

その後の 森情報ですが、、

 「あの子、大事なときにすぐ転ぶ」と発言し、
浅田から「森さんは少し後悔していると思う」とやり返されたことについて(記者があえて聞いたと思うけど)、

「後悔はしていないが、反省というか、孫と娘からも怒られている」(←これもあえて、記者さんが聞いたと思いますが、、)

あの、森発言での全文が以下となります。

今朝も真央ちゃんが最後ひっくり返った時は、4時だったと覚えておりますが。
皆さんそれご覧になると、それまでずーっと真央ちゃんがまだ30番目で一番あとだったもんだから。
ずーっと皆見てるわけでしょ、あれ。

ショートプログラムだから、1回何分かな。
3分半くらいかな。そんなもんだったと思いますけど、
それ全部やって一番最後に真央ちゃん。
なんとか頑張ってくれと思って皆見ておられたんだろうと思いますが、
見事にひっくり返っちゃいましたね。
あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね。

なんでなんだろうなと。

僕もソチ行って、開会式の翌日に団体戦がありましてね、
あれはね、出なきゃよかったんですよ日本は。
あれは色んな種目があって、それを団体戦で。

特にペアでやるアイスダンスっていうんですかね。
あれ日本にできる人はいないんですね。
あのご兄弟は、アメリカに住んでおられるんだと思います確か。ハーフ。
お母さんが日本人で、お父さんがアメリカ人なのかな。
そのご兄弟がやっておられるから、まだオリンピックに出るだけの力量ではなかったんだということですが、

日本にはいないもんですから、あの方を日本に帰化させて日本の選手団で出して、点数が全然とれなかった。
あともう皆ダメで、せめて浅田さんが出れば3回転半をすると、
3回転半をする女性がいないというので、彼女が出て3回転半をすると、
ひょっとすると3位になれるかもしれないという淡い気持ちでね。
浅田さんを出したんですが。また見事にひっくり返っちゃいまして、結局、団体戦も惨敗を喫したという。

その傷が浅田さんに残ってたとしたら、ものすごくかわいそうな話なんですね。

団体戦負けるとわかってる、団体戦に何も浅田さんを出して、恥かかせることなかったと思うんですよね。
その、転んだということが心にやっぱ残ってますから、今度自分の本番のきのうの夜はですね、
昨日というか今朝の明け方は、なんとしても転んじゃいかんという気持ちが強く出てたんだと思いますね。
いい回転をされてましたけど、ちょっと勢いが強すぎたでしょうかね。

ちょっと転んで手をついてしました。
だからそういうふうにちょっと運が悪かったなと思って見ております。



何となく、日本には男子も女子も世界屈指のレベル
とくに団体では、たった5か国しか出場しないからビリやブービーにならなければいいわけで
日本はメダルくらいは取れると思っている人も多かったであろう中で
森さんは団体戦は出ない方がいいと、初めから思っていた様子が、わかります。

ちなみに真央ちゃんの去年の年収は3億を越えているそしてスケート連盟はその50%が取り分
来年6億と予想されているが引退するなら連盟には入れなくてもよくなる、、、うーん
連盟は真央ちゃん高価で予算は3倍になり組織も巨大になってきている(悪いことではないが)
だから森さんが反対しても どうしても団体も参加してメダル取りたかったみたいね
連盟ってちょっとチンピラみたいね。

まあ、そんな感じ


トイレの神様?


ウクライナ(元と言った方がいいかな?)大統領ヤヌコビッチ邸のトイレ
どんなに きれいにされていても、腐敗した権力のにおいまでは消せそうにない
名前通りのビッチな方だったのか(?)

それにしてもこんな

「トイレの神様王様」

似合うのは ツタンカーメンくらいで、無理
ヤダ 使いたくない、、、
普通で良かった。

2014年2月25日火曜日

みなまた

 そろそろマーマレードを作る為に水俣で出来た甘夏を注文する頃

環境省は現在では水俣湾で水銀の汚染はないといわゆる「安全宣言」をしているが
海が汚染された事をきっかけにもなり水俣の多くの方々は、水俣の丘で、害のない作物を作るという決心をした。

2010年になってはじめて水俣患者サイドとの「和解」が成立しても、現実は終わったわけでもない
病状が回復することはないし、そして、いまだ新たに水俣病を発症する者もいると聞く(それもお隣の町だったり)
「猫踊り病」と言われ、猫やウミネコが死んでいなくなり、次第に人にも発生が確認されるが、因果関係が認められたのは随分経ってから

ある意味誰よりも原因を知っている「チッソ」は1959年に汚水処理装置「サイクレーター」を設置し、工場排水による汚染の問題はなくなったと宣伝、
(しかし「サイクレーター」は水の汚濁を低下させるだけで、排水に溶けているメチル水銀の除去にはまったく効果がないことが後で明らかに、、)
何となくそうだと思っていても相手は町一番の「チッソ」
被害は拡大したが、声を上げることのできない患者たちの困窮はさらに深まっていく

1960年、政府は経済企画庁、通商産業省、厚生省、水産庁からなる
「水俣病総合調査研究連絡協議会」を発足させて原因究明にあたらせたが、何の成果も出すことなく協議会は翌年には消滅。

2010年水俣病と判定された原告に一時金210万円及び療養手当を被告の国・県・チッソが支給することとされており、原告被告双方が和解案を受け入れることを表明
しかし、この一時金について、厚生労働省は「収入である」と判断し、一時金支給を受けている被害者が生活保護の支給を受けられなくなり
制度の見直しを要望しているものの、厚生労働省は「原則通りの運用であり、変更予定は無い」と発表

水俣病公式発見前後、劇症型の激しい症状は、「気持ちが悪い」「奇病」「伝染病」などといった差別の対象となり
軽症であっても、感覚障害のため日常生活に様々な支障が、細かい作業が出来ず、あるいは作業のスピードが落ちる。
怪我をしても気付かず、傷口が広がったり菌が侵入する原因となる。こうしたことから、「危なくて雇えない」などと言われる
水俣出身だというだけで結婚や仕事を失い、奇病が移ると差別を長く受け続け、胎児の方が影響が大きい故に(写真はあまりに悲しく、掲載はやめました)
そのほとんどの生涯を危篤状態で過ごして亡くなった18歳の女性、生まれた日が発症日という方も多くいる。

以下は胎児性患者・上村智子の母親の手記

題目〝水俣病「ニセ患者」も三十年〟

「私らが裁判に勝ったら、一任派の人たちも千八百万円もらいなすった。それはまだいいのやけど、お金が出たばっかりに、〝自分もそげんとじゃ(そういう症状だ)〟と言う人の出てきたとです。それも、以前は伝染病やとか言うとった人やら、〝あそこの家は貧乏やから、魚しか食うもんがなくて病気になった〟とか、陰口叩いとった人に限って我も我もと申請ばするとです。ろくに魚も食べんのに水俣病になった人やら、四十年になった水俣に越してきた人やらが、〝水俣病や、水俣病や〟言うて・・・・。絶対、焼酎飲みすぎてアル中になった人やら、中風やらの人が申請しとるとです」

 人が少ない所は、大体、自然が美しい、だから国や企業は、そんな所をわざわざ選んで危険なモノを作る。
水俣市内には、多くの廃棄物が埋められていることは、「第4号公害調査報告書(昭和50年度~昭和51年度前期)水俣市市民部公害課発行」に記されている。
「チッソ」工場から排出される廃棄物を埋め立てた八幡プールの一部には、水俣クリーンセンターや水俣エコタウンが立地しているという。
周辺の擁壁や石垣の隙間からは、カーバイト屑を含む高アルカリの地下水が湧き出ていることが現地で確認されている。

水俣病公式確認から40年目に水俣病メモリアルが完成。
50年目水俣病慰霊の碑が建立。
碑には行政によって認定された犠牲者314名の名簿が納められる。
名簿に記載された犠牲者は認定死亡患者の2割に過ぎず、それも一般に公開されないことを条件に記載を承諾
これは水俣病患者もその遺族も、いまだに続く水俣病や水俣病患者に対する差別を恐れた結果。
なお、水俣病未認定死亡患者は名簿にその名を記載することさえ許されていないし、認定も決して簡単でもない。
これらは、水俣病が与えた社会的影響が未だ解決には程遠い事や、水俣病の認定制度の問題点が見える。

私たちが甘夏を買っている農家の方々も未だ、その様な終わりのない問題を抱えている。


水俣の人々は、家族に病人を抱えていても、国や「チッソ」さえ悪く言わない人が多いし、皇室に嫁いだ雅子さんの事も誇りである(麻原さんはまた別だろうけど)。
明治から村を町に、そして人口も増え市になれたのは「チッソ」のお蔭だし家族や親せきにも関係者もいる。
その地方ではどこよりも早く電気が灯った事も年寄りは自慢する。
文明と繁栄というモノは魂に甘く染み込む蜜のようだ
 水俣と福島の問題には共通性が多い気がするのは偶然ではなく 日本が相も変わらず確信犯として犯罪を今も続けている結果でもある。
福島では国策に協力して首都圏に電気を送り続けた末に原発事故に遭い、
3年近くになる避難暮らしで大変な苦難を強いられている。
生活より、子や孫に自分達の作った産物を気軽にそして自慢に食べさせられない悲しみはどれほどだろうか、、

原発に近い地域の人ほど「ずっと一緒に生きてきたし、お世話になったから」と東電や原発のことをあしざまに言うことはないという。
雪深い会津地方の仮設住宅で、高齢の女性が「うちの町で出た除染のごみは、うちの町で処分しなきゃなんねえ」と。
ここも、そういう穏やかでつつましい気質の地域だと思う。


政府は、最終処分場もないまま「中間貯蔵施設を福島県内に置かせてほしい」と30年期限付きで要請
30年後、その時、阿部さんは、まだ元気でいらっしゃるだろうか。

実際のところ、上の方々は、十分わかっていらっしゃると思う。
太平洋戦争前の会議のシュミレーションで日本が勝てる可能性はないこともわかっていたという。
年金や健康保険の問題も2000年問題と同じようにわかっていて「まあ、その時はその時に、、」的にはじめたのだろう。

そんな私もこうしてオリンピックになると日本を応援します。
「自分は日本人なんだなー」って思う。

2014年2月23日日曜日

雪国育ち







泣いた青鬼



我が郷土が産んだ元横綱輪島
彼のエピソードには快挙にいとまがない程ある
そんな彼の発言を、ちょっとだけ出してみると

「熱いのはダメなんだ。猫背だから」

タクシーに乗ってた際に、『あっ運転手さん、次の信号を右に左折して下さい。』と指示

日大受験時、何も書かなくていいから受験番号と名前だけは間違うなと(ちなみに、卒業論文は極太のマジックで書き上げたそうです。)

初めて外車を買いに行き、「お支払い方法は?」と聞かれ、
「えーっと、結局全部でいくら?」「1000万で少しだけお釣りが、、、」
「じゃあ、これで、、」と着物の懐から現金払いで、、

横綱になり記者からの質問で「輪島関、ご兄弟はいらっしゃるんですか?」
「兄弟はいませんが、妹が一人おります。」

クイズ番組で、流石に現役の横綱に恥は、、という訳で
「何問目のこの質問が出ます、答えはこれです(それも短い答え)」と、教えてあり、
その質問でボタンを押す事だけに集中していて答えを覚えていない、、
押したはいいけど、長い沈黙が、、、
「輪島関どうしました、、、」焦るMC側
「アレッ、、うーん、、えぇーっと、、、えーっと、、えっと、、」
「ハイ、正解です。答えは江戸!お見事でした(本人でなくスタッフ一同ホッ)」。


金星最多供給記録を更新し、「いったいあの黄金の左はどこに行ってしまったのでしょうか?」と問われると
自らの左腕を見せて「まだまだここに健在です、昔は下手投げでしたが今は金星を与えるという意味で黄金の左と呼ばれています」

1975年5月場所直後には場所を途中休場した身にも拘らずカメラマンの前にゴルフウェア姿で出てくるという不謹慎な様子を見せ、
翌7月場所を堂々と休場、、、どこか森さんと似ている、、

確かに星を金で買っただろうと思う。
それほど当時の相撲界には力があったし、彼にも力があった。
以下奥さんの証言(彼女とはとんねるずのお見合い企画で結婚)


84年7月、名古屋場所中、輪島は6億円もの借金を抱え、奥さんには
『これは妹が作った借金だ』と
それにしても金額が多すぎるので、
『納得できない。本当はあなたも使ったんじゃないの?』と
問い詰つめると、観念した彼は顔面蒼白になりながら、
『じつは星(勝ち)を買うのに使ったんだ』と、、、


ある意味、、正直な男である、、


泣いた青鬼という話をご存じだろうか。

もう一人の私の郷土が産んだ人物で森元首相がいる

森喜朗という人物はそれを地でいく存在にも見える。
浅田真央SP16位これは、彼女の実力からするなら大失態と言ってもいい(特にキムヨナをライバルと言い続けるメディアからすると)
この人の失言からネットでもニュースでも一気に浅田真央批判がなくしまったという事すら気付かせないほど
彼の発言(失言)は、ベストなタイミングで発信された。
狙ってるのか分からないけど、いつも結果的にこの人以外は損しない流れに毎回なるのだ
そして「彼ならあえて損な役を背負ったんだヨ」と誰にも思わせない所がある。(私も大体思ってないが、、)

ヤフー知恵袋 に「森喜朗元総理をどう思いますか」質問日時:2012/9/8 解決日時:2012/9/14

というモノがある。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1393700403

そのベストアンサーには

「マスコミの評判は非常に悪い人物が、いざ彼を直に知っている人は悪口を言う人がいないという奇妙な現象」
「前回の衆議院選挙であれほど逆風、自民の敗北があったというのに、石川県第2区で真っ当に当選」
「石川県第2区の住民は日本中から嫌がらせと軽蔑を受けても彼等は森嘉朗氏は国会に必要な人材であると評価」
「森喜朗を知っている人々は、これほどまでに、自分自身を犠牲にしてまで、彼を高く評価」
「もっとも有名な「神の国発言」、冷静に読んでみると神道の会合で「宗教は人の心の拠なのだから協力し合いましょう」という事、、あれをどう読めばそう解釈できるのか私は未だに理解できません。」


ちょっと困った彼(ら)に対しての美談も語ろうと思えばけっこう沢山ある。
しかし残念ながら、彼(ら)には似あわない のである、、ドラマには悪役も必要なのだから(演出だとは思えないが、、)


2014年2月22日土曜日

2014年トチ(戸隠の地)冬季オリンピックゲーム

 さあ、最高の舞台に、血沸き、肉躍ります。
全ての装備を身に付け、この日の為に磨いた腕を見せる時が来ました。
 落ち着いた心持でコースイン 足の置き場を確認して
 さあ、いよいよスタートです。
 スピードがのるにつけ、だんだんと前傾姿勢をとって更なるスピードを、、
あぁ、なんということでしょう~、最後の最後で転倒であります。
しかし、メダルには届かなかったものの、素晴らしい滑りでありました。

「大事なときには必ず失言する」

 結論から先に言います。
石川が産んだ政治家 森喜朗さんは
本当なら 「町内会長程度が丁度いい」そんなちょっと困ったオジサンである。

女性やメディアから嫌われているが、何故か消えないしぶとい存在?

小さい時からガキ大将(今でいう虐めの常習者)で問題を起こす事数知れず
しかし、その殆んどは陰湿なモノではなく、カラッとしていて
数々の失敗を経験しながら全く懲りないのは今も変わっていない。
いつの時代でも地雷をわざと踏んでいるんじゃないかという行動と発言は、今でも多くの敵を作り続けている。


総理就任早々
「ああいうのはウソを言ってもいいんだろ」と発言(←理由はありますが)

日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事故」が発生した。森は第一報が入ったときゴルフ場にいて。衝突により日本人が多数海に投げ出されたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していたが、森は第二報のあとの第三報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上問題と、、マスコミにこのことを問いただされた森が「プライベートだ」と答えたことで批判は拡大
事故を起こしたアメリカ側はブッシュ大統領がすぐ「事故の責任は全てアメリカにある」と謝罪。
マスコミはこれを異例の素早い対応と評価、彼の印象を一層悪いものに、、(←これも理由はありますが)

「全国私立幼稚園連合会の討論会」にて「子どもを沢山つくった女性が、将来国がご苦労様でしたといって、面倒を見るのが本来の福祉です。ところが子どもを一人もつくらない女性が、好き勝手、と言っちゃなんだけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって・・・税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ」と発言し、社民党の議員や出生率向上へ誘導する政策などに反対する一部女性団体の抗議を。(←これまた理由はありますが)


そんな彼だが周りの人々からは何故か愛されるという 不思議なキャラは現在でも変わっていない。

中学生の先生とのエピソード(Wikipedia)より


森が交番に連れて行かれると、警官の前で森を怒鳴り、殴りつけた。父親の立場を慮って貰い受けに来た手前、必要だったものらしく、自転車の後ろに森を乗せて帰る途中「頭が痛かったら先生の背中にこすりつけろや」と言ってくれたと言う。こうしたやりとりから師弟の情愛が生まれ、その教師は後年森が立候補する頃には教組の幹部になっていたが「お前のお陰で教組を辞めなきゃいかんようになった。今まで自民党にだけは入れないできたが、とうとう自民党に入れることになってしまった。困った奴だ」


彼の性格は父譲りでラグビー好き(Wikipedia)より

”ラグビーに最初に興味を示したのは父の茂喜であり、戦時中トラック島空襲後同島に派遣された際には、部下を引き連れて捕虜と試合に興じて、、”

”ラグビー退部後も、本来は勉強も優秀だが練習のため授業に出られないラクビー部員達のために教授に掛け合うなど同部との関わりは続き、教授達とも一緒に飲みに行き講話を直に拝聴していた。早稲田祭で後輩の学生達に語ったところによれば、森達は部室(会室)には毎日出ていたが、教室にはいかないことから「大学周辺居住者」と呼ばれていた”

彼は首相にはなりたくなく前任者の急死による就任で

「正直いってえらいことになったな」

本人がなりたくなくとも何故か周りが押し上げてしまうそんな存在でもある。
森の首相退陣直後

「私はあまり、陰でいろいろやってたことはないんだけどなあ」

「なるのも運命、辞めるのも運命」などと、懲りない


私は彼に実際会った事はないけど、まだ石川にいた頃(30年前)から「必ず総理になる逸材」と言われていた。
最大派閥を持ちながら実は本人は肯定的なのも彼らしい(Wikipedia)より

”何より愛妻家である。妻の千恵子と知り合ったのは、2人が通う早稲田大学の学生時代。
当時体を壊してラグビー部を退部していた森は「国際学友会」と言う、早稲田大学の主に東南アジアからの留学生との交流を深めるサークルに所属、
ここで横浜出身の教育学部国語国文学科の学生の千恵子と出会った。
当時千恵子は水泳をしており真っ黒に日焼けしていたのを見た森が「アナタ、お国はどちらですか?」と千恵子を東南アジアからの留学生だと勘違いして話し掛けたのが初対面だったらしい。
現在でも出張などで森が自宅を離れた際にも、森の方から1日1回以上特に用事がなくても「元気かな?」などと電話が掛かってくるとの事。
千恵子も代議士夫人の会で「子供のためにも死ねるけれど、夫のためにも死ねるわ」と発言するなど現在でもラブラブ夫婦。
因みに千恵子の方が半年余り年上の姉さん女房”


彼はバカかもしれないし(立場を考えれば、、)
学習するという事を知らないのかも知れない
いつまでたっても、多くの失言と行動から数多くの敵を作りだしている。
だけど、今回の事も(←これもまたまた理由がありますよ)真央ちゃんにあったら
軽い感じで「いろいろ、ごめんね」って感じでお互い笑えると思っているそんな人物
だって真央ちゃんに会った事もない私でも応援する彼女に、何度も会っている彼があんな言い方をする訳があるわけ(←彼ならありえるかもと、私にも思わせる所が彼の偉大な所だろうけど)

現代あまり見なくなったジャイアンを地で行くような彼に変わって欲しくないと
少しだけ思う私は石川出身だからかもしれないが
奥さんの発言と同じように

「あんたは口で損をするから、、」

それには深く納得します。

2014年2月20日木曜日

バリアアリー

厳冬時にミニスカや薄着が注目を集める様に(?)
こんな時期のバイク乗りも、また然り(再?)

先日、家内と市内を車で移動中
とある交差点で信号待ちしているバイクが見えた(ライダーでなくバイカーでもなく、バイクが、です、それは以前2か月だけ乗っていたTR250だったのだけど、、)
最近もバイク配達業者が私んちにバイクを届けに来て間もない時期でもあったので
妻の逆鱗に触れないように細心の注意をしつつ
私の視野の左隅だけに留め、視線はそのままでスルーしたのだが、冬という事もあってか家内の目にも留まったらしく

助手席の妻「、、、さっきの、カワサキっぽかったわね、、」

私「、、うん、、、」

助手席の妻「やっぱり、そうだったのね、、、」

私「、、そう、、」

助手席の妻「なんとなく、ほら、色とかさ、、、
      って、なんで私がそんな事をわかるようになったのよ~(←ノリ突っ込み風)」



少しばかりの気まずい車中で、大いに主を褒め称える。
結婚は、実に偉大な神が造られたシステムであると言うしかない

自分がどれほど興味がない様な事でも、自分のパートナーがそれを好きなら
それだけでその事に、関心を持つに十分な意味も持たせてくれる
生活するにはバリアフリーも実に快適であるが
結婚相手とはバリアアリー(正確にはバリアフル)の方が方がいい(と、個人的には思っている)
そんな私は「ギャップセオリー」信者

だって、イエスとわたしのギャップたるや
西と東が遠く離れている以上に かけ離れているもの

2014年2月17日月曜日

犬派?猫派?人派?



階段の降りかたを教える(イヌの場合、ネコの場合)

以下ネットからのコピペ、、



「あなたは今日からiPhoneの所有権を持つことができます。
責任感のある利口な13歳なので、このプレゼントはあなたに相応しいものです。
でも、このプレゼントと受けとると同時にルールや規則が付いてきます。

以下の使用契約をゆっくり読んでください。
私の親としての仕事も分かって欲しいのです。
健康で豊かな人間性を持ち、現代のテクノロジーをうまく活用していける大人に、あなたを育てなければならないのです。
以下の規則を守ることができなかった場合、あなたのiPhoneノ所有権も無くなります。

あなたが大好きでたまりません。
あなたと何百万ものメッセージ交換をするのが楽しみです。

⑦このテクノロジーを使って嘘をついたり、人を馬鹿にしたりしないこと。
人を傷つけるような会話に参加しないこと。
人のためになることを第一に考え、喧嘩に参加しないこと。
⑧人に面と向かって言えないようなことをこの携帯を使ってSMSやメールでしないこと。
⑨友達の親の前で言えないようなことをSMSやメールでしないこと。自己規制してください。

この条件に合意してくれることを願っています。
ここでリストにあげた、ほとんどの条件は、人生をうまく生きるための条件にもそのままあてはまるものです。
あなたは常に激しく変わってゆく世の中で成長しています。とてもエキサイティングで、興味深い体験だと思います。
できるだけシンプルに物事を考えて実行してください。
どんな機械やガジェットよりも、自分のパワフルな考え方と大きな心を信じてください。

あなたが大好きです。
あなたの素晴らしいiPhoneを楽しんでください。母より。」

(以上「13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より」



今、2歳程になれば、大抵の初老の方々以上に使える事が当たり前な
スマホと呼ばれる、機会はともかく使っている風景はあまりスマートに見えないものだけど
孫を見ながら、この子がその時代のスマホに変わっているだろうツールを
個人的に持つ様になるのは、いくつだろうかと考える。

昨日、駅で待つ間何人かとお話させて頂く機会があったけど
スマホと呼ばれる手のひら上の平べったい機械をひたすら指先で擦っている方々とは、そんな機会すらないのが現状
彼らは決して、人との関わり合いを嫌っているのではない
それどころか、自分の状況を世界に発信し、ツィートやライン上で誰かと情報を交わしている。
そして、

”不幸にも家に帰れないのは、私だけじゃない
世の中には、今の私より不幸な人が沢山いる”

と、30cm隣にいる私の事は意識から追い出して、見た事のない人々との交流を優先している
しかし、待っている現状は何も変わらないし、
自慰行為にも似ているその姿は、見ていてあまり楽しそうに見えないから不思議

待つ事自体は好きじゃない、私だけど
退屈を何よりウンザリする私にとって 昨日の様な非日常的な一日は
不謹慎かもしれないが、実は結構楽しんでいた。

さて人はどの様な方法を選ぶのだろうか

2014.2.16

 昨日急遽佐久市に行く事に
長野新幹線は開業以来初めての終日運休小海線もしなの鉄道も運休のまま
高速道は通行止めで混雑する下道を縫って行くしかないので
朝.5時15分に目覚ましをセット
ただ鳴るとものすごくうるさいので出来れば鳴る直前に止めたいから
意識が働いて2時15分、3時15分、4時15分と1時間毎に目が覚めた

結局4時15分から起きていて
6時過ぎに家を出る。

まだ暗い道は、工事現場の様に重機が押し込んだ形のままの巨大な岩の様に雪が固まって
一車線しか無くなった国道(酷道?)を、障害物レースの様に縫って走る。
主要道の18号線はトラックが列をなしてほぼ動かないらしいので
旧国道のさらに1本山沿いの街道を進んでいく
時々乗り捨てられた車や道路下に転落したままの車の横をすり抜けながら
昭和レトロなまま、忘れられたような商店街も無事通過

戸倉上山田まで来た所で新幹線が動き出したか確認するが
まだ動いてないということでそのまま温泉街と河川敷に並行して走る。
上田市を越え一般家庭の方々が家の前の除雪に出てきている一本道を更に南に
再度川沿い道をチョイスしてみたが数キロ進んだ所で除雪車が放置車両に阻まれそれ以上は進めない
しかたなくバックでゴトゴトになった道をもどり民家の軒先でUターン

国道は無理だろうから県道にはいるが道はいよいよ険道の様相に
向こうから一台車が来たが首を横に振っているこの先もダメなので
国道18号を何とか横切って浅間サンラインを抜けようとするが除雪が間に合っていないでアウト

戻って18号に並行して走る住宅地沿いの街道を行くが先方に車がすれ違い出来ずに詰まっている
考えた末、一度18号に出てみたが道は大型のトラックで埋め尽くされている
トラックドライバーにどれくらいここにいるのか?と尋ねると
Vサイン「2時間」全く進んでいないらしい

県道が除雪されてないなら千曲ビューラインも無理だろうと思いながら向かうが戻ってくる車に確認除雪されてないという
佐久まであと10km残して退却上田市まで戻って案内を聞くと長野の車庫から一台出るそう?
但し、上田に止まるかわからないし、佐久市にも止まるかわからないとのこと
待つ事1時間結局軽井沢までの運行となった新幹線は
長野駅で途方に暮れる乗客を乗せる事無くガラガラで上田に到着
乗り込んで佐久で下りて、徒歩で移動
 何とか用事をすませて 徒歩で佐久駅で唯一動いているらしい新幹線を待つ
切符を買って待合の床に座わる。

「軽井沢の除雪が完了次第動かしたい」

という駅員のことばを期待する訳ではないが、他に選択肢は残されてない。
横におばあさんがいて話を聞く

「冬は何にも出来ないから年に一度だけ、連れ合いと温泉を予定して池の平に泊まって帰れなくなった」

らしい、ホテルに2泊留まり、新幹線が動くらしいと聞いて
ホテルのマイクロバスで下山途中バスが動けなくなりそこから歩きで乗り継ぎここまで来たそうだ
向かいでは制服の高校生が5人手すりにもたれている。
1時間程してブルーシートを床にひきに来てくれて
その後、ダンボール、プチプチシートも配られ ついには会議室の椅子だろうか
それなりの数が運び込まれたが、それでも床に座る人々は遠慮して奪い合う事はない

女子高生5人組も「ここ、いい⤵ですか↑」
とブルーシートの所にやってきた。
長崎からスキーに来て羽田まで行きたいらしい修学旅行かも知れないが引率も他の生徒も見えない、、
まあ、こんな事も大人になって盛り上がれるものだけど、無事帰ってこそ

2時間過ぎて、非常食が配られる 
携帯の充電が出来る場所が解放されていてスマホを使っている人も多い
カップルの2人はブルーシート上でベッタリ寄り添いながら眠っているのかジャレテいるのか
まあ、みなさんそれぞれに粛々と時を過ごしている
3時間を過ぎた頃NHKの画面に長野新幹線上り2本だけ運行と速報が入り人々が身支度を始める。
私たちは下り、現在まだ調整中

突然、アナウンスが入り、軽井沢で停車していた車両が長野方面に向けて動き出したと、
ホームで待つ事15分電光掲示板には 東京発長野行始発7時42分発車両が18時佐久に着いた。
車内は暗く誰もいない、座席は整頓されてなく飲みかけの飲料水も残ったまま、、
15分程で室内灯が点き、更に5分後アナウンスがあり出発動き出せば後は、何とかなる
上田駅で降りて、車で長野市→戸隠へ 到着は8時45分 

今朝になり新幹線や電車は動き出したようだけど
群馬県や山梨で孤立状態になっている
国道18号線碓井峠では4日たった今でも止まったまま 結構今回の雪は影響は大きい


2014年2月16日日曜日

雪下ろし

急に振った雪だから 重くなくて 移動も楽
重さ的には まだまだ大丈夫だけど 時間もあるうちに
重量物的な閉塞感からも解放されるし 雪を降ろしました。

今朝新しく降雪してた分は25cmほど
昨夜、急遽佐久市に向かう事になって
まだ、薄暗いこれから出発です。
雪になれている地方とはいえ

高速も長野新幹線も止まり
18号線はほとんどノロノロ
裏道をかきわけて 向かう事になるだろう
ちょっとした 冒険みたいだけど 帰って来るのは何時になるだろう?
冒険ならいつもより注意も必要だな 行ってきます。

2014年2月15日土曜日

テラスハウスに見る現代の若者意識(どうも、お題が硬いな~)



 このブログを見て下さっている方で、
テラスハウスというTV番組を見ている方は、多くないんじゃないかなと思いますが、、、

そんな私も初めて見たのは、長女が産後で家に来ていた時
放送開始から1年ほどで番組紹介には


「番組の主人公は、“どこにでもいそう”だけど“手の届かない”男女6人。
舞台は、今、若者の間で話題になっている「シェアハウス」。
6人は、海辺にたたずむ一軒の家で、縁もゆかりもない同士で共同生活を始める。
そのシェアハウスの様子を四六時中カメラで追いかけ、彼らの生活にあふれる、
誰もが憧れるようなキラキラした青春・友情・恋愛・夢、そして、嫉妬・挫折といった、
リアリティショーならではのさまざまなドラマを、すべて記録していく。」

モノ、とありますが、、
初めて見てみた感じは、

「なんか今までの番組とは映像が違うな~、、ちょっと”あいのり”みたい」

って感じがした。ただし、”あいのり”は恋愛がメインだったけどこっちは仕事や友情、人間関係?(最近は恋愛事情が多いけど)
まったくシロートではなく(も、いるけど)売れてない芸人や歌手、写真家など、
そこもちょっとトレンディな感じ

こんな番組を見ていると、世代というものを感じさせてくれる。
国民は国民に民族は民族に分かれてしまう(?)ように世代にもそんな線引きがある(と思う)

とにかく、オシャレ、都会的、全く泥臭くなく、人間関係に粘着性がなく、昔風にいうならちょっと「粋」
日本人も経済的にも豊かになって、距離感とり方が上手い、そんな時代になったのね~
”あいのり”がそうだったように、ここからヒット曲やタレントにもなる人物が生まれるだろうと多くの人が思っているだろう。
事実「まいまい」さんこと永谷まいさんはCMにも、、、(永谷園の創業御一族らしい)


テラスハウスといえば”台本が一切ない”ということを
放送の最初に毎回YOUさんが言っていたが(←そんな事もいい大人は突っ込まないこと)
でもまあ、私的正直な感想を言わせてもらえば、まったくガチはないだろうし
カメラ割り、アングル、音声、ドラマ性など

「脚本もあるだろ?」

とも言いたいけど
そんな事を思いながら見てもなるほど、面白くない、
それでも演じているのは俳優さんではないのだし
ある程度わかっていても、実際自分でもあの年代であのシュチェーションなら、入り込めるだろうし、
プロでないからこそ本気になってしまうのが人でありましてや条件29歳以下の若者なのだ。

この様な番組が出来て、そして沢山の若者がそれを見ている
かつてあった、水俣や福島や普天間の事とか野暮な事は言うまい
確実に忍び寄る足音ばかり気にしていたらやっぱり重い?


雪日和

昨日、小布施温泉に行ってきた
露天でお湯の中での転んでいると
雪が音もなく、岩に、湯船に、顔の上に落ちてくる
何にも考えないで
目を開けていても閉じていても 同じ世界
火照った体に 融けてくれる雪がとっても心地よい
帰り道、道は真っ白だったけどそんなに積もってない


 今朝起きたらこの冬に入って一番の積雪

「オレは、雪国に住んでいる」

って感じで、気分は悪くない
まだ薄暗い中、雪かきを始める。
除雪機を止めた後、こうしてキーを打っている
窓から見える景色も だいぶ変わっている

”塵も積もれば山となる” だし

逆に見れば

”山も崩せば塵となる” 

雪って本当に静かだなーって、また感心する



2014年2月13日木曜日

ちょっと変態的? 冬ならではの楽しみ

 昨日信濃町の友人の所に寄った帰りまっちゃんの所にも寄ると
彼女がドア越しに

「来ちゃいかんよ、インフルエンザやから、、」

と、いうワケで退散してきたが、
そんな我が家も昨夜から息子がちょっとした高熱
この時期、流行っているといえば感染症
街中でも沢山の方がマスクを着用している風景はお馴染みのもの
そんな時期だからこその楽しみ

受付や歯科助手の女の子がやたら可愛く見えたり
マスクしている女医さんが綺麗に見えたりした経験がある男性も多い事と思います(そんな前提ですが)。


 私の場合、過去には「実際にマスクを取って、、」ってお願いすることもあったのですが、
先日、日赤に網膜剥離の検査に行った時、女優さんが演じている様な
滅茶苦茶マスク美人の方がおられましたが、
もちろん「外す」お願いはせずに、従順な子羊の様に診察して頂きました。(何しに行っているかは置いておき)
往々にしてその方が(外してもらわないほうが)人生豊かな気がする(?)。
 これは一部しか見えていないと、
人は欠けている部分を良い様に勝手に補正してしまう傾向があるからだそうで、以前

「ふりむかないで~、○○のひと~」

という歌もありましたが、後姿美人も同じ効果なのでしょう。
テレビでも有名人の元カノや奥さんをモザイクで出してCMにというパターン良く見かけます。
隠されるから、見たくなる
禁じられているから 気になるのはアダムの子らの宿命か???

イスラム圏の女性がニカブという被り物をしていらっしゃいますが、
それも似た結果をもたせてくれるだろうと想像



文明以前、男は皆 狩人だったかは、置いておき
隠される事で「見えないものを追いかける」というハンター機能
ちなみに私のヒイ爺さんは漁師で
私の爺さんは猟師でもあった(ちなみに堅実な父は逃げる事のない植物相手の農夫)

「乳隠し」とも呼ばれたいわゆるブラが一般的になるにつれ、
隠された%と、比例する様にうなぎ上りで地位を上げた胸(データではなく、私の想像)
隠れているが故により気になる、そして惹かれてしまう
その女性の歴史や生き様などバックグラウンドに魅力を感じるのも、
眼から入っている情報を脳内で処理し楽しむ(?)代わりに
知識として入ってきた情報を脳内で楽しむという違いはあれど
乱暴な言い方をするなら、似た所もあるかもしれません(奥ゆかしさという点では違うが)。

見えない所にこそ、、、という所は

「何故、神がいるなら出てこないのだ」という無粋な物言いを黙らせてくれる(かな?)。

そもそも、彼が出てきたらこの幕は終わるわけ(クリスチャンにとっては始まりでもある)
冬には冬の楽しみがあるように
この世界のこの時代には 今しか楽しめない事が備えられているのだから
いろんな事を楽しんでみたいと思ったりするのは 自然な事だと思う
そして今日は、ちょっと久々に テレマーク
高速リフトを降り左コースを、選んで降り始めた所で
学生風のボーダーが、沢山見えたので
急遽ルートをショートカットして右のもう少し急こう配のゲレンデに
誰もいないし、合流地点から上でも滑り降りてくる影もみえない
「こっちで正解だな」とシューッとスピードを落とさないように
大きく右に左に、、

コースの最後近くで左から抜いて行くボードが見えた。
リフトで一緒になり、チラリとみると 白髪が見える
それなりの御老人、、、(と、言っても10歳程上なだけだろうが?)

てっきり若者と思っていたので
もう一度後ろに着いて滑りを見ていた。

速度がのるまでは大きく綺麗に無駄が無いループ
スピードが出たら頭はそのままで
ボードだけ右に左に高速の切り替えしターン

うまいわー かっこいい じじいだこと、、


2014年2月11日火曜日

祝々

 年の暮れ、サクが産まれ
明けて間もない頃
娘が嫁いだ先の御実家から

「2月に入ったら、是非出産祝いをやりましょう。」

と言われていて、

その時は、まだ随分先の事の様に思われたのですが、
それが今日
早いと思えば早いけど、
雪の上に雪が積もるような
一日一日がとっても濃厚な楽しい毎日 ありがたいね

2014年2月9日日曜日

【Professional】

ウルトラマン ネタをもう一つ
ウルトラマンには”初代”と”帰ってきた”のとお二方(?)がいますが、
マニアってすごいなと思うのは画像を検索してある意味プロ以上に解析する所

 ウルトラマン第  23 話
「故郷は地球」
国際平和会議が東京で開催された時不可解な事故が多発
目的は会議の妨害か。ということで
科特隊パリ本部からアラン隊員が来日。

見えない壁 見えない円盤に対しイデ隊員は徹夜で特殊装置を作り上げる。
イデの装置によって見えない円盤と共に怪獣が、、しかし攻撃してこない。
その怪獣にアラン隊員は「ジャミラ・・・。」と、、
その夜、アラン隊員から、こんな言葉を伝えられる。

「ジャミラは怪獣ではなく、人間、、。」

宇宙船の事故のため宇宙を漂流
やがて水の無い惑星に漂着
長い年月をかけてその星に順応し、怪獣化
しかし人道的な観点から、この事故は無かったことにされ封印
ジャミラはそんな人類を恨み復讐するため地球に帰ってきたのだ、と。
イデはジャミラの境遇に同情。

「自分があの装置を作らなかったら、
ジャミラは姿を見せずに済んだのだ。
自分はジャミラとは戦わない」と




しかし、
アラン隊員の口から出たパリ本部の指示は

「ジャミラの正体を明すこと無く秘密裏に葬れ。」

翌日、再びジャミラ出現。

「人間らしい心はなくなっちまったのかよ!」

と叫ぶイデ。
ウルトラマンの水攻めに、悲痛な鳴き声をあげながら悶え苦しみ、
やがて息絶えるジャミラ。
墓を建て弔う科特隊員。

「ジャミラ許してくれ。
でもこうしてお前の故郷、地球の土になれるんだ・・・。」

とムラマツ隊長。
その墓標にあった言葉は、

「人類の夢、科学の発展のために死んでいった戦士の魂、ここに眠る。」


次々に去っていく隊員をよそに
いつまでもその場を離れようとしないイデ


「為政者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど。」

イデはそうつぶやいていつまでも墓標の前でたたずむ。
その墓標がこれ⤵

没年が1993年。これは平成5年の話
そして”帰ってきた”の「天使と悪魔の間に」で
事件を起こした郷隊員
郷の異常な言動に対し、精神鑑定を依頼した伊吹隊長。
その鑑定書がこちら⤵

鑑定書の日付は昭和47年10月
初代ウルトラマンが地球にいたのは平成5年。
更に今回、この診断書を見て初めてわかることは、
郷隊員が社会保険に加入したのが昭和44年
つまり”帰ってきた”が地球にやって来たのは昭和44年
初代より実に24年早く”帰ってきた”?
さらに
坂田家に居候しているはずの郷隊員の本籍地が
この時点で坂田家に移されている(台東区浅草1の41)
郷秀樹はレースで優勝したら田舎の母さんを呼んで一緒に暮そうかなと
第一話で語っているという事は、本籍地は普通、田舎のハズ(どうでもいいが、、)
しかも、MATという国家公務員として働いて3年以上たっているのにまだお母さんを呼んでない!(まっ、それも関係ないが)


実相寺監督らしいカット満載の「故郷は地球」↑お勧めです。

かたやこちら⤵

「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か―新潮45eBooklet [Kindle版]
発表されたのが2013年の11月 なんと定価100円⤵



騒動後に読み直すと、まるで予言的な文章、霊能者のような洞察力と専門家の分析力(大げさだけど)
著者は音楽理論の研究者であり指揮者でもある野口 剛夫氏
佐村河内氏の音楽性の矛盾や、
彼を天才として祭り上げようとするマスコミへの違和感を書いている。

「本当に全聾であるのか?」

など身体的な疑問は軽く触れてはいる程度だという事ですが
基本的に佐村河内守の音楽から感ずる印象から、客観的に 見ている。

「自分が障害者だと知られたら同情票がつくのはどうしても避けたかった」と

「偏頭痛嘔吐全身痙攣気絶失禁自殺未遂と私はこんなにも苦労して音楽を作りました」

を同時に言った彼を『図太い神経』『音楽のみを聴いて大作ではあるが奇跡のシンフォニーと言うほどではない』

と書いている。


野口氏が抱いた疑問は、本人に取材していない推測だけなのでゴーストライターが母校の後輩だとはわからなかったらしいが
自分の信じた事を批判覚悟で公表する勇気と覚悟
そして著者の本を読んだゴーストライターが、悟り白状したとも言われている様ですが、、

小説ならちょっと安っぽい設定でもこれも事実
そんなちょっと変な世界に私たちは 生きている。