2014年8月27日水曜日

神の水引

 福岡から白馬への方のお宅にお伺いした時に

「こちらに来て、初めてお会いするクリスチャンの方なので、今日は、楽しみにしてました。」

と、仰ってましたが、
戸隠に来られた時、何となくそう話された意味が理解できる様な気がした。
何でも、ハワイに居た時は、普通の(アメリカ的な)教会に行ってらしたそうですが、
日本に来てから、一般的な教会には行ってないそうで、それも二人で話をして決められたそう。

「で、どうしているの?」

って聞くと

「そのうち、仲の良かった方が
『わたし、クリスチャンになりたい』
って言ってきて、
『じゃあ、うちで聖書の勉強やる?』
って感じで、その時その時で集まる様になって
イエスを信じたら、すぐ、バプテスマ。フェイスブックのあの福岡のビーチやお風呂とか、、

そこからも、今度は彼らが次に私たちと離れて同じ事が出来るようにだけ、弟子訓練があり。
そうして信じる人が増えていくから、何となくその中で小さい子供を持つ方々が集まる様になったり
独身の女子会みたいな集まりとか、別れていって、適当に小さな集まりが保てるようにって

だから、、今度、私たちが住む所には、どんなクリスチャンがいるんだろうねー、そもそもいるのかな?
って、楽しみにしていたんです。」

いやはや、何とも主は素晴らしい
私ももっと、主に期待しないと

2014年8月21日木曜日

天の徴

家内と次女のリフォーム中の家、掃除に行っていて、空模様が、、
あんなに天気良かったのに、、暗雲が

内が
              「大変!洗濯もの外に干してあったんだ」

そりゃ大変だ~(それが?)
車で走り出した途端、ぽつぽつと、、、
そして、そバケツをひっくり返した様なザーザー降りに、
 「神様、どうぞ祝福を」と

お山の上はどうかなと買い物もしないで急いで家まで戻ってみたけど、、、
 家の周りの木々も濡れている、、(これでそこだけギデオンの様に濡れてないと目にはすごいのだけど、、)
 やっぱりデッキもぐっしょり
たっぷり水を含んだ衣類の重みで洗濯棒が曲がっている程
「ありゃりゃ、無理だったか、、」

と、思ったけど、周りを見渡すと、、、
 さっきまで見えてないかったアルプスが表れて
 どんどん金色になっていき
 あれれ、何か良い感じ、、、
 洗濯ものはまた洗えるし

こんな一日の終わり「全然悪くない!」

そう思わせてくれる

ひょっとしてこれ見せたくて急いで戻らせた???ハハ

 妻がけさの朝食の後、こんな話を振ってきた

「なんていうか、今は(主の動きが)流れがみえるよね」

「そうそう、前は、扉が閉まっているとか、開けてみたら(主の導きは)こっちだな、って感じだったよね」

「こっちがじっと見てると、全体のゆっくりした動きがわかる、それスゴイ」

「イエスが、聖書で話しているあそこだよね」

マタイ16章1~4
するとファリサイ人たちとサドカイ人たちが近寄って来て、彼を試みようとして、
天よりの徴を彼らに見せるように、彼に願った
そこで彼は彼らに言った、

「夕方になると、あなたたちは、『(明日は)晴れだ、空が赤く燃えているから』と言う。
そして明け方には、『今日は嵐だ。空がどんよりと赤く燃えているから』と言う。
あなたたちは、空模様の見分け方は知っているのに、時の徴は{見分けることが}できないのか。
悪い、不貞の世代は徴を要求する。しかしこの世代には、預言者ヨナの徴のほかは何の徴もあたえられないであろう」。

そして彼らを置きざりにして去って行った。



*追記 
面白いのは嵐も晴れもどちらも「空が赤く燃えている、、」

という無いようで結果が全く違う所、空を良く見ていると誰でもわかることだけど
変わり始めると止まらないし、意外と早いという所 フムフム


2014年8月20日水曜日

昨日一昨日

 昨日一昨日と、家に来て下さったそれぞれ主のお友達
実は、9月から(早ければ8月の後半から)予定して進めてきた仕事が
許可の関係で、来年に持ち越しになったと一昨日のお二人も戸隠に出発する直前に報告があったらしい
正直「ダメになる理由がありません。」とは聞いていたけど(ダメになった訳じゃないけど)持ち越しになって、何処か平安がありました。

去年からマトモに仕事をしていない期間がこれで9ヶ月月を更新中
正直頭で考えると、「だいじょぶか?」って思うのだけど、そこは私を養って下さっているのは
だんな(イエス)だからと、、、、

先日記帳して来た、通帳を返そうとしたら妻も同じ気持ちか(?)
通帳をガン見して一言

「なんで、こんなにあるの?(←それにしても、全国の平均のご家庭から見たら可愛い額だと思うけど)」

「バイクが売れたからさ」
F6Cは、留萌から那覇まで熱い連絡を頂き、結局沖縄の方が落札された(彼も2年探していたらしい)
浜ナンのやはりF6Cの彼が

「だいぶ大勢の方が見に来られました?えっ、僕が初めて、、そうかこれを持つ殆んどの世代がお盆と言う行事や帰郷するじきですからね、、程度のいいモノはマニアが握っていて離さないんですよ」

なるほど、なるほど、とにかく沖縄から戸隠まで取に来て晴海ふ頭まで乗って帰るらしいから
なかなか、それも、、イイ
 さて、福岡から白馬でペンション経営のご予定の2人もクリスチャンとは聞いていたけど
どんなクリスチャンかは、知らなかったので、昨日はそんな話も色々と、、

一言で言うなら

「主はすばらしい」

、9月以降は白馬で泊まるチャンスも頂けるかもしれない

なかなか主がハンドルを握るのに同乗させてもらう事は、飽きないな

2014年8月17日日曜日

再会

 3年ぶり 神戸の友人が訪ねて来てくれた。
街の中に住みながら、本当に自然が好きなんだなー
緑に染まるように、もくもくともくどうを、歩いて行く

そんな彼らと一緒だから、近くに住みながらあまり歩かない道を歩いて行く
深く息を吸うと 針葉樹特有の香りが湿った空気と共に、体の中に入って来るのがわかる

手前に設置されていた温度計は17.1度だったから
森の中は15から16度、夏とはいえ肌寒い程度以上に感じる。

昨夜、彼らが語ってくれた事

「私たちが教会へ行って聞く事は、私たちを神から遠ざける、、と、初めて教会の扉をくぐった時から感じてきた。
まず、聞かされることも『あなたは罪人なんです。』ということで
救われてもまだ『許された罪人』でしかない」

「祈りにしても『私は神の子です、だから、、』という強い願いを聞いてこなかった」

「不幸な、目を覆うような状況にあっても『受け入れなさい。神は全てを支配しておられ、主のゆるしの元にそれが起きているのだから」

「でも、僕は『全然、納得してません、受け入れられません』って祈っています。
それは天に向かって唾する様な事で、結局は自分の顔に返って来るんだけど
あなたの救いと来たるべき世界以外は、全く良くありません、ってね」

彼の熱い話を聞きながら(本来彼はそんなタイプとしてかんじてないのだけど、、)
何一つ、よき選択をしなかったロトが義人として救われたのは、彼があんな町の門の内側に住まい続けながらも”そのこころを痛めていた”という所を主が見ておられたという、所を思い出していた。
そしてある、美談と共に信仰の模範の様に語られるある証を読んだ時ゾッとした事も思い出した。

「ケイ・ウォレンは、精神の病を負っていた息子さんが自死で亡くなった現場に駆けつけたとき、I will choose joy と言ったそうなのですが、」

 確かに、それぞれに、主が与えておられる導きは違うだろう
彼らと私たちにも違いがある。
それを、平安と共に認めながら 
しかし、主はただお一人で、今の世界に満足していない

「それが、よかった」 「それがよかった」

という日々の後に

「みよ、それは、ひじょうに よかった」

そう言える永遠を、主と共に主に もとめていきたい、と感じました。
彼らは、夕方白馬に向かって行きましたけど
再会は何度あっても楽しいね。 じゃあ また

2014年8月6日水曜日

引っ越し予定

 最近Lukeさんが終末の事を書いていらっしゃる(←まあ以前からだけど)

”戦争と戦争の噂、地震、飢饉、そして疫病と・・・。まさに主イエスの描く終わりの時代の兆候がそろってきました。”

http://www.dr-luke.com/diarypro/archives/4393.html

四国では8月ひと月かけて降る雨の4倍が一気に、また奇妙で痛ましいニュースを殆んど毎日の様に聞くそんな時代

「いちじくの木から、たとえを学びなさい。
枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」

”これらのこと”とは以下等々

「戦争のことや、戦争の噂を聞く」
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震」
「その時は人々が大勢つまずき、互いに裏切り、憎み合います。」
「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」
「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」

確かにこれらはこの時代で見る事の出来るリスト。
以前思っていたのは、3年半の患難、そしてその後の大患難はとんでもない事が次々起きて

「いくら何でもわかるでしょ?」

って思っていたんだけどいつもサプライズ好き(?)な彼の事、
大体私の想像を裏切ってくれますから、、
そうでもない(カモ?)とも思いはじめています、聖書には

「人の子が来るのはちょうどノアの日のようだからです。」

とも、ありますが、ノアの日は聖書で読んでいるだけで、
もちろん私を含めて現存する人類は全て実際には、みてないのですが、、
ある意味とても親切にこう書いてあります。

「洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、
人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました」

カーテンコールで主役が登場するなら、舞台は終わりです。
そんな主イエスの再臨はこう書かれています。

「地上のあらゆる種族は、悲しみながら、
人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて、天の雲に乗って来るのを見るのです。」

”悲しみながら”見上げるという描写がリアルに感じますが
もし(そして多分そうだと思いはじめているのだけど)イエスが来るその日まで
”人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしてい”る、なら
その様な日常生活もある意味普通に行いながら患難大患難を人々は過ごしている(という事)。
さらにソドムの話もそれを裏付けてくれる。

「人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、
ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。
人の子が現れる日にも同じことが起こる」

イエスが来るその日まで大患難の中であっても生きていく為に必須な食べる飲むだけじゃなく
”買ったり売ったり、植えたり建てたり”までもしているわけで
今がその時だと言われても決しておかしくない、今がそんな時代でもあります。
事件が起こると人々は、その残虐性、多様性、低年齢化をその時だけは関心を持ちます
が、すぐに忘れる、また忘れないと普通に生きていけない程の時代

「何のために生きるのか」
「何のために働くのか」
「なぜ人を殺してはいけないのか」
「なぜ自殺をしてはいけないのか」
「なぜ盗んではいけないのか」
「なぜ浮気をしては(犯しては)いけないのか」
「なぜ同性愛がいけないのか」

それらに、答えを持てない時代、
世はその悍まし事件に出会い、何とか納得のいく動機を探しそして忘れようとするけど、
そもそも自分の創り主を知らない者がただしく知りえる事もなく、
誠の神に対する恐れがない者にさしたる答えもないだろう。

しかしこれを書いているのは、絶望したり恐れる為ではなく
その中にある私たちの希望です。イエスは

「さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。」

って言っています、さらに。

「だから、目を覚ましていなさい。」

とも伝えてくれています、そして。

「だから、あなたがたも用心していなさい。」

と、続けています。
そうしているなら突然、気付かないままその日が来ることもないと保証している様です。
もちろん逆に考えるとそうしてないなら気づかないという事だろうと受け取れます。
いい話はまだあります、その日は(私たちの為に)短くされます、そしてイイ子で待っている子には、もちろんご褒美(?)もあります。

「主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。」

「 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのような時に、突如として滅びが彼らに襲いかかります。
ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
あなたがたはみな、光の子供、昼の子供だからです。私たちは、夜の暗闇の者ではありません。
ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まして、慎み深くしていましょう。」

7年の患難、大患難やイエスの再臨は、人類最後の日でも、滅亡のシナリオではなく
そのままでは、全てが終わってしまういのちの救済措置の様な所でもあります。
最高裁判所の判決が始まる日でもあり、その超大岡裁きを砂を噛む思いで聞くか、
「勝訴」というプラカードを振り上げて喜び勇んで聞くかは私たち一人一人に委ねられています。

今月末には次女達の引っ越しの予定です。
引っ越しは大変ですが、楽しい事でもあります。
ただ、引っ越しの日が、今日、今からです、となるなら本当に大変です。
この”自分”といういのちを、何処にどの様に引っ越すかは、知る事が出来るのだから

2014年8月5日火曜日

一般普通自家用自動車継続検査完了

 次女の家はまだ、作り上げる、というよりも、解体する段階で、時間との闘いでもある

画像は、9年前に前のオーナーが大工さんにリフォームしてもらった掘り炬燵(?)の取り壊し
近年の仕事では接着剤がたっぷりだから本当に骨が折れる。

お昼は、次女も来て久しぶりの ママ弁当とあいなりました。
午後からも頑張りたい気持ちもあったけど

午後から長女がいつも乗っている車の車検の予約だったので
自動車検査法人北陸長野市陸運事務所へ
春に長男も車検を自分で通してみた様に、長女も初車検ライン侵入

「RPGみたいなもんだよ、ステージをクリアしていくだけだから」

そうして、じぃじとばぁは、二人の孫の相手をしている間にラインを抜けハンコをもらってきた
書類を提出してステッカーを貰ったらバイバイです。

「えっ、これで終わりなの?お金もこれだけ?」

つくづく貧乏は人を成長させてくれる(補足*所もある)
救いというモノも、似ていて、外見のボロさとか調子などより
ハンコをもらっているかどうか、ただそれだけの違いでしかない
しかし、そこから地上を走れる事をゆるされた期間
どの様に機関と向き合って過ごしていくかで随分と違った結果にもなる

「ご苦労様です」

2014年8月3日日曜日

今朝の

 いつもコンポストに行く時に毎朝大きなクモの巣が私の行く先を塞いでいたが、彼も学習してくれたのか、今朝は私の通り道分だけ開けていい仕事をしてくれていた。コンポストのある所から見上げるとと戸隠の残雪も消えブルーマウンテン状態

蜘蛛の巣はなかなかピントが合いづらいのでMFで


フー

次女の玄関先のコンクリート打ちこみ中
「絶対ジムじゃここまで追い込めない」
と、ヘロヘロになりながらそれでも固まるまでの時間との闘い
ひと仕事終え家に戻る途中の道から我が家を見るとうすーくだけど虹が架かっていた(うち見える?)

2014年8月2日土曜日

長女の次は次女(当たり前か、、)

急な話で次女達が中古の家を買った。
それで昨年に続き、リフォームをやはり急遽する事に、、
 まずは、動線の確保と、いうわけで、懸念されていた玄関へのアプローチの手直しから
狭くて急で、蹴上21cmx4段
しかも勝手口のドアが当たるので最後の一段は途中で4cmの段差があって
危険が危ないという見本の様な階段(実際私も2度足首グキッってなりました(あぶねー)
 と、いうわけで、2倍の緩さで蹴上はおなじ21cm、段数は2段、幅はちょい広め
 タダのコンクリートは楽だけど、雰囲気もリッチさもゼロ
それで、自然石を入れて、まあ限られた予算の中で出来るだけの工夫を

なんといっても石はタダなので、、
 さて一夜明けて、昨夜の雨でちょっと、フィニッシュがワイルドだけど
石も入っているから、まあ具合はそんなもの

 少々手直しもする所もあるけど、「It's OK 」という事で
 朝は、ちょっと寒かったけど、今日はバイクで、降りて行った。
お金にはならないけど、自分の子供の家の仕事は、自分の家を作る時と同じくらい実に楽しい
時間や、金額、いわゆる数字に縛られない働きの、なんと素晴らしい事
 帰りは、わざわざ、山道ルートを通って帰宅
谷の先にさっきまで居た市街地が見える

雲は夏の雲  ボクサー6の排気音をこだまさせて家でシャワーです。
きゅう

2014年8月1日金曜日

今朝の一枚


昨日は過ぎ去り 新しい一日が始まる。
喧騒は終わり 静寂が世界を広げる

窓から流れてくる冷えた空気
不規則な雨だれの音が 耳に心地よい
明るくなってくるほどに 鳥達のさえずりが増えてくる
何かしでかした 次の日には家内がこう励ましてくれる

「ほら、まだなーんにも失敗してない新しい一日が始まったよ」

朝はいい、一日の始まりはいい、夕であっても朝であっても
世界が切り替わるそんな時は、ただ黙ってその移り変わる様を見ている




追記、家内は赤毛のアンか何かで、「いいなー」って思っていたらしい、、