2014年9月30日火曜日

山造

 材木伐採や製材に関わる職人は”山造”とも古くは呼ばれてきた。
知り合いに、春からお願いされてきた木を切るという仕事
上の写真の木を全て片付けるのだけど、15年程前に作らせてもらった建物(右の板張りのもの)
があり、屋根をかすめるように倒すしかない厳しさもあり
今回は、以前からの知人であるその道のスペシャリストのHさんに切り倒しだけお願いしていた。
彼は、自営業だけど、ここ飯綱の森がまだ観光開発される前
私の今住んでいる戸隠へ抜ける道が舗装される前に、市内から山にのぼり
自分で建てた丸太小屋(それが相応しい)に住んでいる。
長く森林組合の仕事を受けてそのあたりのキコリを束ね教え、巣立たせてきた。
私も一時、仕事が無い時彼の下に働く事も考えた事もある。
また息子のギターの師匠の様な方で、あまり人を褒めない今の息子のギターの先生をして
「Hくんは、うまいよね」
と、言わしめる名手である。
 年輪を45ほど刻んだカラマツが地に倒れる時は、地響きをたてて、なかなか迫力もあって、危険だし緊張するけど実に楽しい
モトクロッサーにも似た(以前の)甲高い乾いた2サイクルの音と共に
周りの空気を紫煙にしながら、実に気持ちのいい感じで
ケーキ入刀の様に歯が入って行く
 切り倒す方向は、”ツル”でほとんど決まるのでそこは慎重な作業になる
 11本切り倒したけど彼の狙った所に、計った様に気持ちよく倒れていく
ほぼ丸太1本分の誤差しかないから枝の片付けも楽です。
 林業と一口で言っても意外と職種は広く、森の管理、下草刈から薪、木炭、漆、竹、椎茸など、奥が深い
日本では、第一次産業は優遇されいない感じもするが、これほど基本的で、大切で、楽しく、満足を与えてくれる仕事は無いと思える。

ちなみに追記ですが、、私なりに説明すると(家内が「第一次産業とか何?」と、いうので、、、)

第一次産業は 自然の恩恵を直接頂ける仕事です。
農林業、漁業、鉱業などもそうです。
そう言う意味では第一次産業は主に土地や海が中心の産業と言えます。

対して第二次産業は
第一次産業で生産した原材料を加工する仕事となります。
麦から小麦粉やパンを作ったり、木材から家を作ったり、魚からかまぼこを作ったり、鉄鉱石から銑鉄を作ったり、鉄から自動車を作ったりすることですね。
つまり、製造業や建築業や工業なんかはみんな第二次産業となります。
第二次産業は主に機械や物が中心の産業です。

第三次産業は
第一次にも第二次にも入らない仕事になります。
しかしこれはもうサービス業と考えてもいいと思います。
小売業や運送業や飲食・宿泊や教育・介護・医療など『形に残らない』ものを扱う産業のことを指します。
第三次産業は主に人が中心の産業と言えます。(商店でも運送でもホテルでも教育でも人相手と言える分が大きいと思います)

要約すると、自然相手が一次、物相手が二次、人相手が三次かな?

「私の父は、農夫です。」
と言った、イエスの働き、
彼の地上での仕事は大工だと聖書にありますが、
日本と違って石で家を作るイスラエルでは、いわゆる石工なのではと考えたりしています。
いわゆる、岩山から土台などを切りだす仕事がメインで、羊飼いと並んで、いわゆる高貴な仕事とは程遠い職種扱いだったと聞いています。

どちらかといえば接待などのサービス業ではなく
漁ったり、掘ったり 耕し、育つのを見守るという一次産業の方が楽しそうだと思うのは私だけだろうか、、(これは、第三次産業を軽く見ているのではなく、本来は、一次の上に二次が成り立ち、二次の上に三次が営まれる事がよきバランスだと思うからです、今の日本もその写し鏡であるキリスト教も、あまりにも頭でっかちになり過ぎていないかと、、、)


自然に触れ、自然と生きてきた一次産業の方の多くが
よい人生の終焉を迎えると、沢山の人の死を看取ってきた医師の方が書いていた(諏訪病院の鎌田さんだったと思いますが)。
逆に、自分の死を受け入れられず、最後までじたばたしたまま、終わりを迎える方には
管理職の方が多いと、まあ、結局最後はその人なりなのですが、

人は生きてきたように死んでいくといわれます。

文句を言ってきた人はそのように、
感謝して生きてきた人はその様に死なれていく
静かに生きてきた人は静かに死んでいく

生まれついての人間には何となく不条理に感じますが、人は一度死ぬことが定まっています。

最後に自分の書いた話に自分でひっくり返すような話ですが、
要は、職種では無く、生きてきたその日々の中で、出会う納得できない事や理不尽なことでも、妥協では無く、受け入れて生きてきたかだけの差だろうと思えます。

昨日の夕日です、ちょっと春霞の様な感じがまた美しい

そして、下が 今朝の写真、
今日もいい日です。

2014年9月26日金曜日

湧きだした水

 最近仕事をさせてもらっている白馬のロッジ(予定)で
点検の為に床下に入ったらかなりの湿気でヤバイ状況

早速、お得意の(?)土木シートを敷き詰めていたのですが、台風の影響で雨が降って
床下から水が湧きだして来て、アッと言う間に、ちょっとした池に、、、、
水深は10cm程はあるだろう 何所まで水が上がって来るの、、、(汗、)
 この雨でこれなら、春の雪解けはどうなるんだろう

「恐ろしい、、」

仕事は中止して(もちろん出来ない!)
、福岡に帰っているオーナーにTEL

「悪いニュースばかりなのですが、、」

と説明した。流石に、周りの水位が高いので汲み出す事も出来ない。
いい考えも無いまま、電話の最後にオーナーさんが

「祈ってみます。」

と、それしかないという感じで話されて電話を切った。
正直私は、理屈で物事を考える人間だと思う。
しかし、打つ手がない以上、神を知る者の選択としてそれが最高で最善の選択だとは知っている。
でも、お祈りで済むなら、、どうなんだろうという、頭の中の思いもある、、
神との関係性は悪くないと感じているが、

「近ごろでも本当に祈っているか?」

と問われれば

「どうなんでしょ?」

という気もする、、会話はしてますが、積極的に祈っているのか、オレ?
さて、とにかく外はまだ雨が降っている。
地下には水が溢れている。だから外の仕事も地下の仕事も出来ない。
他にする事が無い訳ではないが、地下の課題に比べたら、意味のない事に思える程その問題は大きい。
正直この程度の雨でこれなら1年に両手で足りない程地下は、池になる。
それは、木材を腐らせ家ごとダメにしてしまうほどで、
そんな危うい所に乗っている部分の仕事など意味がどれほどあろうかと思える。
敷き詰めたシートは、情けなくプカプカと浮いている、、
今月から仕事を始めて、結構問題続きのこの建物だけど今回の事は大きい、、
これまでも祈ってきたお二人だろうが、、遠い福岡の地で今もまた、祈っているのだろう。
さて、オレはどうする、、、

とりあえずペテロじゃないけど網を繕っていたんだけど(お昼休みの時間潰しのようなもの)

「そうだ、乾き切ったあの荒野で数千年前に、岩から水を湧きださせた”主”は
今日、地下で湧きだしている水も、止めて下さる。」

そんな単純な思いが、広がった。
少しして、お願いしていた水道屋さんが来たので

「地下に配管があるので一緒に入って頂けますか?
長靴をお貸しします。」

と、地下に入ってみたら水が無い!
ここで敬虔なクリスチャンなら

「ハ.レ.ル.ヤ~、」

何だろうけど、理屈的な私だから、いぶかしく見渡しながら

「水のひけやすい地質なのか?」

等と、分析する。それにしてもいいニュースだ
水道屋さんと打ち合わせた後すぐに、オーナーさんに電話した。

「いいニュースです、、」

ノーマルなクリスチャンと付き合わさせて頂ける機会は、こっちまで祈らされるから 感謝な事です。


写真は、今朝の風景です。

2014年9月23日火曜日

秋たけなわ

 故三浦綾子さんが塩狩峠の中でヒロインに

「神様のキャンパスには何色あるんでしょう」

と、言わせていたけど、素直にそう思える季節です。
 芸術の秋でもありますが食欲の秋でもあって、一年で一番フルーツが整えられています。
私は、小さい時からあけびが大好きで、学校が終わるといつも森の中が私の大切な課外授業でした。
あの、紫が秋の空の濃い青に浮かんでいる景色はまたこの季節が来たんだと一年を感じさせてくれます。
 その帰り道、近所のミニブタが木陰で実に気持ちよさそうに寝ていた。
そんなスナップを撮りたかったんだけど、起こしてしまった、、ハハ

今日の夕焼けも昨日に優って美しい 私の父は実に偉大です。


2014年9月14日日曜日

ぶどうから出来たもの

 農家の朝は、早い
まだ薄暗いうちに起きて昨日収穫した葡萄の仕込みを始める。
慌てず、焦らず、諦めない、そして最後まで
最近は朝の冷え込みで気温は5℃ほど
絞り終わった後、手を洗うそれでも両手はまだ赤く染まっている。
衣服にも飛び散っているからシャワーを浴びると、冷えた手がジンジンと暖まっていくあの感覚が懐かしい。
昨日いつもの野菜屋さんに寄ったら
「おい、ワイン屋」
と、声をかけられ「これ持って行きな」と積み上げられた葡萄の箱を渡された。
スチューベンと巨峰をそれぞれつまんで口に入れてみる。
「これは、いいワインになりそう。」
 何度か作ってみて、わかってきた事がある。
いいワインとは、素材がほとんど全てで、後はそれをダメにしない管理くらい
去年のワインは、最低で’(ワインとしては)殆んどが酢になってしまった。
あれだけ家内と両手がパンパンになる程、一生懸命潰して、絞ったのに、努力は何の良いワインを作り出す事はなかった。
実は、初めて作ったワインが一番上手くいったので不思議に思っていた。
あまりに簡単に、いいワインが出来たので、軽く考えていたのかも知れない。

今回の葡萄はとても良いものだけど、それでも収穫前に、鳥や虫に突かれて傷がつき
又は、収穫時に移動時に皮が破れたモノもある。
すると葡萄→葡萄酒→葡萄酢に既に変化していてとても酸っぱいモノになる。
だから、今回は、そんなモノをはじいて良質のモノだけで絞ってみた。

時々、手から零れ落ちて地面に転がった実は、、使わない
雑菌が、入り込んで発酵の邪魔をするかもしれないからだ
同じ様に房を持ち上げて振った時にポロポロ落ちる分も基本使わない
しっかりヘタに繋がっているモノなら、間違いなく良い葡萄
箱の中には、既に半分干しブドウの様になっているモノもありましたが、
それでも、ちゃんと繋がっていた、それは収穫後箱の中で乾燥したのでなく
収穫前に、ブドウの木に繋がったまま傷つけられる事無く乾燥したもので
それらは、更に甘い葡萄酒になる

ワイン造りをもし1年に一度しかしなかったとすると
良いワインを造るという実験は、やはり一年に一度しか出来ない
だから30年作り続けていても30回しか試せない。

良い葡萄は自ら、良い葡萄酒になりたがっている。
さて今年のワインが楽しみです。

2014年9月5日金曜日

はじまりは、いつも


長雨が続くと、庭の芝の伸びが早い、しかも濡れていると刈取り辛いのでチャンスとばかり庭の芝刈りをしている途中、突然の電話が(電話は、いつもそんなモノだが)
数年前に一度、ドラム式洗濯機に勝負下着(?たまたま高価なものだったらしい)が入ったまま壊れ、
大型家電店が新品を持って来て引き取りに来る前に、取り出したい!という方(ええ、良く覚えてますよ扉をハンマーとバールでこじ開け、本人の目の前で、泡だらけの下着セットを取り出すって機会は、結構なんでも屋的な私も、そんなにある事じゃございませんから)。

「前から水漏れでボコボコになっていた壁を修理するために、お願いした職人さんが、トイレの壁を壊したらものすごい数のアリが~!
その人も『俺じゃ、対処出来ない』って言っています。どうすればいいですかー」

「白いアリですか?黒ですか?大きさは小、中、大どれくらい?卵産んでますか?壁の中は濡れてますか?」

と質問し

「それなら、家を壊す程の問題になりませんが、シロアリ業者も紹介できますが、それなりの金額になります。」

「とにかく大変なんです!今来て頂く事は出来ませんか?」

出来ない訳じゃないからと、やれやれとホンダの芝刈り機のハンドルを離し、グッチのハンドルを握って事件現場に急行
ラ.フランコーニの野太い音で奥さんが玄関ドアから飛び出して来た

「カッコイー」(すぐに来たからでしょ)

「えー、前にも言ったかもしれませんが、家で一番大事なのは、基礎、その次は(クリスチャンなら「ノア以降は」という所だけど)屋根。
内側が濡れているならその原因と場所を突き止めて対処してからの壁の修繕しないと見える表面だけ直しても意味がないどころか、余計に問題にフタをするだけになります。」(内装屋さんも私の側に立って、「そうそう」と言っている。『あんたが、水漏れも修理しないでボコボコになった壁修理しようとした本人やろ?』と、心の中じゃ叫んでいたけど、メンドクサイのでスルーして)

「ただし、雨漏れの場合場所の特定が難しく、時間がかかる場合が多いです」(また、後ろで「そうそう」と言っています。)

結局、入っていた内装やさんと相談し、明日の朝、ベベルボードを張れるまでに対処しておきますと言う事で、無事完了し、お詫びにと、彼女がアルバイトしている「ココット」でご馳走になった
以前、作ったリース(?)がまだ飾ってあるんだ~、貸し出しただけだったけど
もう、ここのモノだな、ここがなんか相応しい感じだしね。

そうこうして家に帰って来ると、また突然の電話が

「以前お世話になったガス屋ですが、母の家の床を、、」

「こうゆう仕事していると、大工さんなんて沢山の知り合いがいるでしょうに、『なんで私?』なんです」

「大工さんって職人さんと言うかなんかオッカナイ人がおおいでしょ。偉そうに『俺はこんな仕事は出来ない(プロ意識としての)』とか、言う人多いじゃないですか」

で、次の日やる事に、そう言えば次女のリフォーム始めたら、お隣の方が来て、

「忙しい所申し訳ないんだけど、ウチ見てくれます。反対側のお宅の大工さんに以前やってもらった続きの様な仕事なんだけど、、(何故に、その大工さんに続きをやってもらわないと思いながらも、次女のお隣さんになるわけだから、いんぎんに、そして、速やかに工事を完了させたけどね)」

そう言えば20年前、ログハウスを作らせてもらった方の奥さんも私の事

「困った時の○○(←私の名前)さん」

とか呼ばれているし、その旦那も先日電話で

「あー、ご無沙汰してますが、巨峰を貰ってね知り合いから、食べきれないからワインの作り方教えて」

うーん、何か変なオーラ出して居るのかも知れない


とにかく、昨日ガス屋さんの御実家の工事を終わらせて、帰り際ATMにだけ寄り、家に帰宅すると
また、電話が突然鳴った。家内が出て、

「警察ですが、ご主人さんお願いします。」

という事で、ちょっと不安そうな顔色で子機を渡し、内容を聞き言っている(←別に、逮捕される様な事してないし)
電話を切って、子機を渡すと

「で、何だったの要件は、、」

「まあ、大した事無い、銀行のカードをATMの所に忘れただけだ。今から取りに来ますかと言うから『疲れたから、明日』って言っておいたけど」

そうこうしていての今朝
バイクで警察に取りに行く予定でバイクで出発ラ.フランコーニの野太い音で、乗り付け様としたんだけど、途中から雨が、、
ずぶ濡れになるのも悪くないとも思ったけど今日はこの後来客だし、
戻って車で行くかと、Uターン

始まりはいつも雨という歌もあったけどなるほど、雨は全てのモノを濡らすように降るもの
ノアの時、濡れなかったのは、ノアと合わせて8人の家族、そして方舟に入った動物達だけ

「すべての肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は再び起こらないであろう」

と主は仰ったけれども、違うモノで実に似た形でノアの日の様な事が地を覆い尽くす

主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」ホセア6:3

はじまりはいつもそうなんだな、
でも、神様、日々の仕事を一杯くれて ご馳走様です。

2014年9月2日火曜日

”先の雨と、後の雨”

午後4時ごろから明け方まで じっくりした雨(↑昨日夕方撮影)

昨日、那覇から戸隠までF6Cを取りに来た彼も、電話が無い所をみると
無事新宿のホテルまで着いたのだろう。

58才、ホンダでレース普及の部署で働き、管理者年齢になってきたので
面白くないからと、会社を辞め、船関係の仕事で独立、バブルがはじけると
共倒れする前にアッサリ会社をたたみ、今はフォト関係の仕事をあっせんする自営業

「それで食っていけるの?」って聞くと

「沖縄には紅葉が無いから来年用に撮影が結構あるし、この仕事も15年続けてきてるから」と、南国らしいトーンで話された。

仕事で散々バイクは乗って来たけど今は、モンキーだけ
60才くらいまでに、ちゃんと自分の好きな事しないと、体が付いていかない様になるからと
バイクで沖縄から北海道まで走る そんな計画をたてて
その為に、ワルキューレを 2年探していて、今回初めての来信


話は変わるが、昨夜、家内が、ブログを更新しながら

「”先の雨と、後の雨”ってあるけど、どうゆう事」

って、言うから、

「種を撒く時に芽がちゃんと出るため先の雨を待つでしょ、その後でちゃんと実を付ける為に後の雨が必要、そんな感じだと思ったけど、、」

「そうでしょ~、でも今、読んでいて違う意味に感じたんだけど、、」

「そうかもね。だって今話した事は、あくまで知識だからさ、、で、どんな感じ?」

そうして、家内は何か所か聖句を読んでくれ、説明はなかったけど
なるほど、そうか自分の中では

”光としてのキリスト””義の太陽なるお方””彼は曙が昇る様にやってくる”

そんなイメージが強かったけど、
雨って確かに天から地に、降りてくるもの


一晩降った雨があがり、今朝は霧がながれているけど
今日は、いい天気を頂けそう
彼は出発際

「沖縄に来た時には良かったら声をかけて、ワルキューレ貸し出すから、、」

そう言ってたけど、今日は、晴海埠頭に納車するのに丁度いいね
水遊びやバイクでも長雨が続いたり、途中で雨が降ってくると

「なんだかなー⤵」

ってなりがちだけど
後の雨は、収穫祭の始まりを告げるしるしのようなものだから、それは待ちわびた時で
祭りの主役は、トップバッターでもありトリを飾るのも、イエスキリスト
私たちはそれを、見上げて喜び、歌い、踊り、そして飲むのだ

          (今朝の戸隠の風景です↓)