2015年3月31日火曜日

行きはヨイヨイ、帰りは、、

 所要のついでもあり、能登まで行ってきた。
当たり前に高速で上越ー金沢だと4330円
そこで白馬の抜けて糸魚川ー小杉でショートカットすると時間はほぼ同じで
日曜だと3割引きで1790円

途中、白馬の峠道でカモシカとはちあわせ
彼(彼女?)は悠々と私の前を横切りゆっくりと土手を登り振り返って見ている。
飼われているのではなく神が養っている感もあっていつも「野生の牛は汚いなー」と思って見ていたんだけど、力強くまた美しく感じる
 高速道親不知子不知、太陽の光が真下にスポッとの様に落ちていて綺麗
 帰り道

あと、ついでと言ったら失礼だけど
いいタイミングだったので
家内を育てて下さった義母を能登から戸隠まで来て頂いた。
丁度ひよりも来ているのでいい時間となればいいな
 同じ親不知子不知だけど下道の途中海も凄く奇麗
 帰りは平日だから小杉ー糸魚川は2560円かかる
どうしようかなと思いながら国道8号線を抜けて帰りは下道オンリーで走りきってみた。
富山の海沿いや山沿いを抜けた事はあったけどど真ん中のメイン国道を抜けるのは初めて、
結果は
とってもよかった~

こうした動機や行動をお金の為にすると何だか悲しいし楽しくない
では考え方を変えて「下道の方が楽しいから俺は下で行く」と考えようとしても目的である到着地に着くまでの時間も30分~1時間余分にかかるから、そう思い込む事自体にも無理がある。
だからその1時間を2560円働いて稼ぐと考えると全然悪くない(っていうか普通俺1h2000円だし、、ワォ)
まあ、先輩からこういった考えもらったんだけどね、、

2015年3月26日木曜日

久さにさ久


 次女の里帰りもあって昨日は今年初の2人で佐久に行ってきました。
お昼は「暖家」ではありますが、私的にはここのジャンボエビフライ(特に頭)が好きなのでクリームあんみつを注文した家内と分け合って昼食、
 帰りは下道オンリーで東部町にある湯楽里館で温泉に、ここは浴室内からでも山並みが綺麗(写真は撮れませんでしたが、昨日は雲がなくもっと遠くまで見渡せました)

朝8時過ぎに家を出たのに
戸隠大橋を渡る頃には渓谷に夕日が沈む頃に
家内が喜んでくれていた様だから
それでよかった
それはよかった
それがよかった

2015年3月21日土曜日

いい天気のつづき

 午後、戸隠の郵便局までXL-Sを久しぶりに走らせる
ひらりひらりと実に扱い易い(キックを除く)

気持ちがいいので奥社まで行ってみる
このあたりはやっぱり空気が少しヒンヤリしている
 ちょっと春霞がかかってましたが、
近くまでいくとなかなか迫力があります。
これを指のワザで創る
神はやっぱりすげ~
続きまして、 こっちも久々にS1Wを近間でテストラン
まったく気持ちよく走れません。
どおすりゃイイんだよ、全く、、でもなんだか扱っているそれだけでなんか嬉しい

 なんとも過激なバイクだこと、、
とにかく、今まで乗ってきた中で一番
なんでも一番になるってすばらしい
 こいつは、買い物のついでにこれで、、ってのは絶対無理
       走りに行くついでに、何かを買ってくるってのも結構無理くさい
 
こいつを、走らせる、それだけのために跨る
こいつには、それだけの価値があるなぁ
そんな道具を作る男、それをも造った主は、すばらしい
 キッチンでは、家内と姪っ子がいつもの様にお菓子作り
 まあ、毎度だけど結構バラエティに富んだものをつくること
 こうした手のワザを楽しんで作る女(それはエクレシア教会の型!)、そしてそれを造ったお方
うーん、やっぱりすごい!
 持ち帰りはこの様にタッパにいれて持ち帰るとよろしいようです。
さくらパンダさんから頂いたバラのチョコがあったのでいつもよりグレードがあがりました
そんな思いやりに満ちた人、それをも創られた(←ちょっとくどいので割愛します)、、、

いい天気だな~ まったく

いい天気ありがとうネ



 姪っ子が来たのでお昼はピザ
私の好きなジャガイモ、タマゴ、パイナップルも叔父さん思いの彼女だからしっかり入れてくれて満腹です。

林檎のジャムはグラニースミスで酸味も悪くない、他の種類のリンゴと食べ比べてみる。
最近の陽気で桑名から頂いたバラも蕾を結んできている。
今日はとてもいい日です。

 林檎ケーキ、なかなか好きです。
気持ちがイイから薪ストーブはまだ焚いてますが、春ってイイね

神様、ありがとうです。


2015年3月20日金曜日

その舌に答えて下さる方

 人は、、、
探してみたり計画を作ったりするモノ、、

戸隠の教会を出て人由来であったとしても
いわゆる”交わり”というものが遠のく
ただでさえ、お隣が遠く少々人恋しくなる様な所に住んでいる
わざわざ訪ねて来てくれる人もほとんどない
いわゆる”交わり”のない7年

その後まるでリハビリの様に、あちらこちらで不定期な”交わり”が
それは多くの刺激も教えてくれたけど、
定期的に合うには距離的な隔たりが存在していた。

「いつか、神様はここでも始めさせてくれるかも知れない」

そう願いながら、

「ひょっとしたらこの人」
「この人かも知れない」
「この人たちなんじゃない」

と思えるような人々との出会いはあったのだけど、主から

「いま、はじめなさい」

の、ことばもなくさらに5年
 明確な啓示はなかったけど経験から教えられる事
いわゆる聖書の学びや話のテーマを決めない事もそうなのだけど
具体的には


「集まる場所を決めない
 
 集まる日時を決めない

 集まるメンバーを決めない」

それは極私的に与えられたものだけどそうする事によって
隙間のような時間に霊が働いてくれる(又はスルリと働く時がある)

それでも時々、古傷の様に魂は疼くときがある
決してそこを見つめ続けず、掻き毟らず、
見上げるのは、いつも キリストならイーネ

2015年3月18日水曜日

え~、本日もお日柄もよろしく

 大した用もないのに長女の所に寄って
「最近はワカメちゃんの様なスタイルでとっても可愛い」という咲來に頂いた見せパンを引き渡し
 その後次女の所に寄ってのじじばばライフもたけなわでございます。
帰り道土手には最近の日和で雪解けに福寿草が咲き始めていてなんとも目出度い事

 豚カツを揚げてもらいその美味しさに二切れ家内から頂戴し「子供みたいだ」との声に
「4人目の孫だと思ってネ」
と、正直に呟く
 春だな~ ありがとう!

2015年3月17日火曜日

タンデムx2

 長野北部19度、中部20度、南部21度 

こんな日は乗るしかない!
まっちゃんは午前二人で滑っての午後はバイクです。

 走っていて全然寒くない! ほんと春だ~
 サンクゼールの納骨堂行って故K氏の作品も見て来て
小布施で買い物、
久々にGSに乗ってみたら、やっぱりスゴイなー
でもグッチもグーでございます。

神様、素晴らしい日 ありがとう!

祝福なさる神様

 http://homepage3.nifty.com/ysi/page009.html

戦後戦争責任という名の戦勝国による山分け行為でドイツや朝鮮の様に日本が分割されなかったのは
Dr.カガワこと賀川豊彦が日本にいたという事は有名な話で蒋介石は戦後処理会議で最後まで反対した

「私には日本に友人がいる。
彼は毎日日本の為に祈っている。
だから私はそんな事は、出来ない。」
 そこに一人の友がいる。
それは決して小さな事ではない
戸隠のこの場所に家を建て20年近く
目をあげるとしぜんに目に入る北アルプス

年末、福岡から引っ越してきた方がいる。
それからは、同じ山を見ても少しだけ思いには違いがある様にも感じるから不思議です。
今日もあの真っ白な山の麓には、彼らがいる。

そこは天からの祝福がそそがれている。
そんな場所、主の御縁であちらこちらにそんな人々がいる事を見せて頂いている。
神様は場所を祝福なさるわけではない
神は選んだ人を通して、その家をその隣人をその地域を祝福して下さる。



「私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。」

神はまるでストーカーの様についてまわりはなれない。
彼は全能だから、あわてず、あせらず、あきらめないで

「私はあなたを永遠に祝福する」

と語ったことばを成し遂げてくださる。
今日も鹿島槍が綺麗に見えます。

2015年3月16日月曜日

復活のイエス

 以前からブログで知っていたモコさんが長野に来て下さる事になり
同じ熊本出身という事もあり白馬のお二人を誘ってみると福岡出身のチーさんも来て下さる事になり、にぎやかな土日となりました。
E氏もSnowdietで更にナイスガイに、、
 楽しいおしゃべりと美味しい食事とアイス(←これは私担当)
御馳走様でした。

『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない』

神様は人が木をそのまま食べる様には造らなかった。
木の主成分であるセルロースは、人間の胃腸では分解吸収出来ない

見える形では、父はたった一本の真っ直ぐに立ついのちの木の様に園の中心にあったわけです。(←電気屋ならではの妄想と思って頂いて結構)

木はセルロースと言う繊維で出来ていて人はそれをとりこむ事が出来ない
しかし、神はその木になった実は頂けるように備えて下さったワケで、そのいのちの木の実こそがイエスキリスト

しかしアダムはその隣の木の実をエバから渡され取って食べた。
フルーツの中には種がある
アダムは土で造られていて、そこに種が埋め込まれた。
今やその種の猛威は世界を席巻している。



人の敗北に終わった最初のアダムラウンド しかし 最後のアダム のラウンドはそうではない

破壊し殺してもまた復活して来るボクサーを倒したままで寝かせて置く事は出来ない

善悪の知識の木の実は、人を死に至らしめたが
いのちの木の実は、死んだ人を生きかえらせるのだ。
それだけではない、死に体のアダムの土くれからいのちの木の種が芽を吹き
根を張り、ついには魂の殻を割って天の頂にまで幹を伸ばし枝を茂らせ葉を付ける
時がたつと花を咲かせ沢山の実を付けるだろう

 私たちはいのちの木になれるわけではないし、神もそんな事を望んでもいない
しかし、私たちをとおして実がなる事を良しとされた

主は素晴らしい

2015年3月11日水曜日

主がついてれば

 別にお土産って程じゃないけど
福島に向かう前に、知り合いの野菜屋さんに寄り
250円のパイナップル、4つで300円のリンゴ、130円のレッドグローブ、158円の卵を買った。
福島もリンゴの産地って事は、前、伺って知ったけど
フルーツの盛り合わせって何か好きだし、それほど高くもない、まあ気持ちですから
モモさんの玄関に福島のリンゴって箱が2つ積んであったので
その中から勝手に美味しそうなのを2つ持って来て

「福島のリンゴも食べたいんだけどイイ?」

と聞いたすぐに皮をむいて出してくれたので
美味しかったし遠慮も無しに頂いた。

「お米も福島の方からまとめて買わせて頂いているんです。」

彼女の家には育ちざかりの息子さんが2人いる。
原発事故の影響は実際の所わからないんだけどリスクはない訳ではない。
神様の事ばかり話題になって「FUKUSIMA]の事は殆んど話さなかったんだけど
”母子避難”ということばとそうした現実が結構身近な場所
仕事を持っている旦那は単身赴任ならぬ”単身着任”となる場合もあるだろう
どうも彼女も考えたことはあった様で

「ウチは夫が『俺は嫌だよ、それに一人じゃ無理!』って言うんです。」

それで、持家でも無いのに今だ福島市のど真ん中に彼女らは住んでいる。
私はそれを聞いてとってもいい話だなって思った。
そこには2つの神様の原理が感じられたからで、
彼女の家の祝福は、旦那を通して降りてくるもので
その旦那が無理をしたり、カッコつけたり、
周りの状況を考えれば仕方がないと、自分の気持ちと違ったことばや行動をとるなら
自分の中に自分で"ズレ”を作ってしまう。
そのずれは様々な形で色んな所にあらわれてくるし、上から降りてくる祝福も取りこぼすケースも出てくると思う。
そして彼女は彼女で旦那に気持ちを相談して、旦那に従っている。

そもそも子供たちを放射能から逃れさせても、家庭が崩壊するならどれほどの意味があるだろうかと考えてしまう。
もちろん見えないだけに放射能は怖さもある。
ただ私ならずとも放射能の知識は持っているだろうけど
ニュースで放射能が検出された福島の牛肉を1Kg毎日、1年食べて被爆量はレントゲンの70分の1だという(←そういう計算をしてくれた政府を信用できない所が残念だけど)
結果として放射能で亡くなる人と例えば自ら命を絶った人はどちらが多くなるのだろう。

聖書には放射能の事は明言されてない(黙示録の一部の解釈を除く)
しかし信仰の効能については、こういう書き方もある。

「たとえ毒を飲んでも決して害を受けず」

そもそも、あの3人の様に、7倍熱くした燃える炉の中でも被害を受けず火の匂いさえしなかった
詩編や、イザヤだけでなく聖書はこの世がいかに荒ぶろうとも、私たちは不動の神に守られる事を教えてくれる。
エジプトに患難があった時イスラエルはエジプトに居ながら守られ
ノア御一同は、洪水の中にあって守られた様に
神を信じる者選ばれた者達は、患難のただ中にあって守られるというのが私が聖書を読んで自然に感じる事

会津があのような目に遭わなければ、八重はクリスチャンになっただろうか
もちろん救われるべき者は救われるであろうが、あの体制の中では揺さぶりは避けられない気もする
それは救いと言う神の働きは、自分で選ぶと言う事が必要条件だからで
そういう意味では、経済成長も、安心生活も、クリーンな環境も
神と共にいるという事程の最重点課題とはなりえない
当たり前だけど、いのちというモノは取り換えが効かないから
いのちの基である方抜きには、どの様な世界も空しいし、
神と一緒ならそこが神の御国なのです。

モモさんからコメントあったので 追記します。追記②

さんどうもすみませんRaiさんと書いてました(修正します)。そうなんです、そもそも人は誰であっても大そうなモノでもありゃしませんよね。要は日曜日教会と言う名の場所に行くか行かないかと同じで、避難がイイとも悪いとも多少乱暴に言ってしまえば関係ありませんし、、例えば奥さんが避難したくない場合でも旦那が「俺も寂しいけど遠くに行ってくれ」となった場合、母子避難が主の祝福の道筋となるから主はやはり面白いです。そもそもイエス自身が決して離れたくない父から「お前には何の落ち度もないけれど、私から遠く離れて罪に汚れた世界に行ってくれ」とこの世に来たクチとも言えなくもない(?)。そしてこの世で花嫁を選び天の御国へ登り婚礼を揚げると言う何とも壮大でわかり易いストーリィ 楽しみです~

追記②

モモさんのコメントのお蔭で「内容が良くなった」と清江さんから褒められましたょフフッ。神様の法則というとそれまた大そうな言い方ですが、方程式知らなくても正しい答えが導き出せればそれでOK。クリスチャン以上にその法則知って、上手に使っている方が多いから私も教わることが多いです。そう考えるとまだまだ自分に伸びしろがあるって嬉しくなります。