2016年2月21日日曜日

ハワイ

33年めのハネムーン楽しんでます。 コントラストが間違っているんじゃないかという色合いは理屈抜きに素晴らしいです。 残念ながら、写真は 上手く載せられませんので、、3月2日の夜でも時差ぼけだったら頑張ります。 こちらは暑くもなく寒くもなく実に過ごしやすいです。 どうぞ皆様、お風邪を召す事もなくお過ごしください。

2016年2月11日木曜日

昨日今日

 昨日は分電盤交換で信濃町のお宅へ
リフォーム中にすっかり仲の良くなった向こうの奥様と
最近またやり始めたザクザク刺すのでストレス解消にもなるというリースを始めている。
電気工事はまるでオマケの様で、終わった後も二人ですっかり楽しんでいる。
まあ、私のそんな2人を見ながら、ゆっくりとした甜茶とお茶菓子を頂いているのだからいいのだけど~

 今日は金沢から長野に嫁いで来た姪っ子から朝電話があり
「今日居る?誰も来てない?じゃあ行ってイイ?」
と、やってきて2人で喜々としてオリジナルレシピを開発し(大抵は材料の不足だとしても)ケーキ類を焼いている。
家内が19の時から「おばちゃーん」との呼ぶ声も変わらない(家内はその呼ばれ方も気に入ってます)。
そう考えると、お2人も結構長い付き合いになってますね~
ある男性の友達もキッパリ言ってました。
「そりゃ、こうして泊りに来るのも奥さんが居るからです。」


 所がそんな状況を私的には全然妬んでおりません。
むしろそれを歓迎している向きもある。
大体家内を嫌いになっている人とは私は付き合いたくもないのである。
エステル記のアハシュエロス王でなくても、
どうも世の旦那の中には自分の妻を他の人にも見てほしい気持ちが有るのかも知れない。
さらに私自身にはその逆の気持ちもあって
ある興味深い人物や、スゴイなって人と出会った時にその方の配偶者にチャンスがあれば合ってみたい気持ちが生まれる事も多い。
それは変なデバガメ的な気持ちではなく、自分の目効きが確かだったかどうかを確認するには、それがもっとも確実でもあると感じるからです。
私がまだ小さい時には、この地上には肉の親が居てくれたように
大人になって既に、孫らを抱く齢を重ねても、天には魂の親が居てくれる様に
この地上に命ある間、伴侶といえる存在がいてくれるように
来たるべき天上においては、キリストと言う誠の花婿がいる
ちょっと変な話に聞こえるかも知れないけど、私に出会う全ての人にキリストにあって頂きたいと願う。
そして私と親しくなる以上に、イエスと親しくなって欲しいと思う。
もちろん、色んな人がいて中には「私はキリストだけは嫌なんだ」とか仰る方もいて
もちろんそんな方には全く無理強いは致しませんが、変な話ちょっと内心ニヤニヤしていたりする。
そんなに意識してくれているからかな?
最後に言い尽くされた感のある名言で締めさせて頂きます。
「私の事は嫌いになっても
 彼女の事は嫌いにならないでください。」

2016年2月10日水曜日

「Hawaii~」

 本日長女がネイルサロンをプレゼント次女と同じ専門学校の娘さんに綺麗にしてもらったらしい、、そうそんな娘も授かったんだね。
 出発まで1weekをきり
冬の信州から常夏のハワイへ気分も生じて
妻が
「えぇ~っと、ハワイって何処だったっけ?」
ってアフリカ辺りを探している、、
「そうだー、アメリカだったね」
‥と次は南米辺りを拡大している
心の中で『イヤ、島だから海でしょ』って突っ込みつつ
「太平洋の真ん中、、」
ハワイは無事あったようですが
すぐに
「空港はどこ?」
そうだった、そんな幸いなお方と私は結婚したんだった、、

2016年2月9日火曜日

Wonder of a wedding

 結婚という事の不思議さをいつも味あわせて頂いてます。
先日載せた過去ブログの側に結婚について私なりに書いてあり、自画自賛ながら自分の書いたのって面白いなと
大変僭越ながらFbにも載せさせて頂きます。
今から読み返すと、ちょっと乱暴な物言いでもうちょっと言葉を選ばんか!って思うけど
ほとんどそのまま掲載させて頂きます。(また長文)
人生にはさまざまな祝いの日がある。
誕生、命名、100ヶ日、七五三、入学、卒業、成人、長寿、信仰者には葬式も誕生に優る祝いの日。
沢山の人生の節目となる日の中でも
結婚の祝い以上の日は無いと思う。
それは、当人だけではなく、周りの関係する人たちにとっても実に喜ばしい日だ。
式を挙げるか又はどんな形で執り行うかは関係ない。
結婚をするということが、素晴らしいことだと思う。
ある時、
「あなた方は結婚して何年になりますか」
と聞かれた20年になりますと答えると
「では、あなた達はまだ、本当の素晴らしいところは味わっていないわけですね」
とおっしゃられた。
昨日で式をあげてから27年たった(現在33年目)当時、
そして今現在確かにそう思う。
結婚した頃は本当にまだ”ガキ”でただ一緒にいたかっただけ、恋愛の続きのようだった。
すぐ長女がうまれ子育てが始まる。当たり前だが子供のおかげで親にさせてもらった。
子供が成長し大人になって気がついたことは、子育てに一生懸命であまりお互いを見る余裕がなかった事。
友人にあずけて2人だけの時間を持ったこともしたが、子供が小さいうちは、落ち着かない感じでそうそうに戻ってきてしまう。
子育てはそれくらい大きな仕事だと思う。
旧態然とした能登では結婚は家と家の式となる(もちろん両方の親にはちゃんと挨拶は先にしましたヨ)。
私の母が
「お宅の娘さんを頂けなければ、家の息子は死んでしまいます。」
と言ったことを後で聞いて恥ずかしくも懐かしく思う。
また家内の家は少しだけ複雑で彼女を産んだ母にも挨拶に行った。
私は玄関を登る事さえ許されず一旦日を改める事に、
その後、父と母がすぐにお伺いして
「若いしせめて学校だけでも卒業させて資格をとらせてからで願います。」
と言う相手方に
「萩原の家には資格も学もいりません、娘さんだけ頂きとうございます。」
と父はキッパリと言い切ったのだとそれも随分後で家内の母から聞かされた(お義母さん飲んでいたのだ、、)
あれだけ好きだったのに、あのころは何にも知らないでいたんだなと振り返る。
今でも、
「この人、こんな所あるんだ」
新しい発見がありそれはいつも新鮮です(「フー、始まったな~」って思う時もまああります)。
相手を知ることで、互いに目では見えない相手のこころの不思議さを少しは理解させてもらえる。
人生には3つの大きな出来事があるといわれる。
生まれること、死ぬこと、そして結婚をするということ。
3つの中で自分で選ぶことの出来る事は結婚だけです。
もし、そんな巡りあわせに出会えたなら結婚するということもお勧めします。
結婚は独身の頃より複雑ですが、それ以上の価値があると思うからです。
 
考えてみれば結婚とは不思議なものだ。
誰もが幸せをそれに重ね合わせ、そして誰もがほぼ失敗する(ほぼです、例外もあります)。
いつか必ず、恋したとき聞こえていた、あの不思議なメロディは消えてしまう。
駆け落ちするほど燃えた二人が、離婚することも珍しくなく
親が向かいの息子の所行けと言われ嫁いで50年結構幸せに過ごしている人も見てきた。
恋はロマンチックかもしれないが、結婚はオートマチックではない。
途中でギヤをシフトしていかないと、ローギヤのままでは、不快でこんなうるさく遅い車しギクシャク、つい降りてしまおうと考えたり、
ついにはエンジンが焼き付いて立ち往生してしまう事もあるかも知れない。
自分の事を思い返すなら家内とは、「好き」「一緒にいたい」ただそれだけで結婚した。
誤解を恐れなければ、別に結婚したかった訳ではない。
いつも一緒に居たいからそれを叶える唯一に近い方法が当時の能登では、結婚だったと思う。
だから彼女と結婚したかった。
でももしその理由が無くなったり優先順位が変わったらどうなるのだろうか。
”今は、好きでもない。一緒にいて楽しくない。もっと好きな人が出来た。”
などこれらは可能性は十分にある。
人の気持ちは変わるもの、コロコロ変わるからココロと言うらしい。
だから契約で縛るが、現実は厳しい。
契約が逆に首を絞めることにもなる。
ずっと前に私がハーレーを買う時、反対する彼女を説き伏せる為に契約を結んだ
「5年間バイクを買わない」
つくづく『誓ってはならない』と聖書にある言葉の真実さを思わされている(だから誓いの言葉でさえ止めた方がイイのかと考えた事もある)。
私のサインしたその紙が怖ろしいのではない、
それを破ることは彼女との約束を破ることになるので、
私から見て超真面目な彼女に離婚を切り出されると実に困る。
どちらを取りますかと言われたら、、、あなたはどちらにしますか。
ただ、契約には守りもある。それによって私の悪癖も幸いだいぶ押さえ込められているのも事実
彼女が居てくれなかったら
こんなに好きな事ばかり出来ない
帰る港があるから、船は当たり前の様に就航でき
糸が切れた凧は、程なく落ちてしまう
そう考えると『結婚』私にとっては、実にありがたいものである。
 
クリスチャン夫婦が想像ですが、よく言う言葉(?)に
「もし、神様と出会わなければ私達は離婚していただろう。」
が、あると思っている。
実は、私もその一人だが、ちなみにそれは何ら保障にならない
クリスチャンでも十分離婚出来る。
残念ながらクリスチャンに出来ないことは無いのである。
ただ、クリスチャンとして生きて行くなら 本来生まれついての私と違う行動になる(可能性だけど)。
私がキリストを信じ、「長野に行くことが神の道」と家族に伝えた時、私を産んだ母でさえ怒り呆れ、家内に「こんなアホな男とは離婚して、あなたは、この家に残れ」と言った。
私は家内に言った。
「俺は長野に行く、俺と一緒についてきてほしい。
約束する。あなたは必ず幸せになる。
それだけではない他の女が見て”あなたは幸せね”とみんなが羨ましがるほど
あなたは、幸せになる。」
それが、3人目の子を身ごもっていた彼女への2度目(本当の)のプロポーズであり、
その時まで、ただ好きで一緒にいた私たちが次のギヤを変えた瞬間だった(闇雲にギヤを変える事がイイわけではありません。その時が来てないとガクガクします)。
不幸は具体的だが幸せは抽象的だ。これが幸せという形が無い。
私は家内を幸せにする方法を知っていたわけではない。
ただ私には一つだけ自信があった。
”神に従って不幸になることはない”
神は常に最高で、最善で、最良をなさる。
だからそんな神に従っていく私に、従ってついてくる妻を神は絶対幸せにするという確信がありました。
私自身にはそれほど自信が無いが、主なる神には絶対の自信があった。
家内はその時、神を信じていたわけではなかったが、私の言葉を信じてついてきてくれた。
信仰とは神とその人の1体1のものであり、檀家や世襲などはない。
ただ一つだけ例外はあるかも知れないと思える出来事を聞いた。
軽井沢のあるご主人は、誰にも内緒で書斎で聖書を読んでいた。
ある日イエスキリストこそは神であり私の救い主だと信じるにいたり、書斎から出てきて彼の妻に「私はキリスト者になった。そこで聖書に書いてある通り私は洗礼を受けたい。」と奥さんに伝えた。
彼の妻のことばは
「私はいつもあなたを信頼してついてきました。
あなたの信じた神を私も信じて洗礼を一緒に受けたいと思います。」
と言い、彼らは一緒に洗礼を受けた。
彼らはその後、教会の良き働きをなさっていると聞きました。
聖書の中で女性が信じたという書き方はそんなに書かれていない。
たとえば、旧約聖書でサラは
”彼女は約束してくださった方を真実な方と考えた”
と書いてあります。
神を信じてすごす事と神に従ってすごすことは、同じかも知れない。
家内は私の母でさえ
「息子はおかしくなった」
と思った私を家内は
「この人は本気だ」
と信じてついてきてくれた。私はそんな彼女の信頼を決して、
裏切る訳にはいかないのである。
ベッドルームの壁には、まだ結婚のなんたるかも知らない頼りないパンチパーマの私がいる。
よく、こんな男についてきたなと、マジ思う。
実に、感謝な事です。
 
今、気付いたが、ずいぶん彼女とは色んな約束をしている(当時)。
契約はある意味自由を制限するものだ。
私の大切な私の好きな自由を神が私に下さった自由を。
例えばちょっと由々しきことだが、私は結婚指輪を拒んできた。奴隷制度の名残とも言われるものを何故この私が、そんな物で私がなんら変わるものでもない物を。
「実際に見える形じゃなくともいいじゃないか。
 気持ちの問題だよ」
などと言って逃げてきた。
ある日家族で大きな店舗に行ったとき。中央に宝石を売っている場所があった。
家内と子ども達が
「お父さん、面白そうだから、一度だけどんなリングが似合うか付けてみようよ。お願い。」
と、なり渋々家族サービスとしてそうしてみた。はめてみるとこれはあまりにも無骨な私の指にあわないとか
キンキラはやだ、とか少し本気モードに。
いくつか付けてみてその中のプラチナに純金の輪が入り裏にサファイアが入っているリングが気に入った。
ちょろっとプライスを見る。良い物はやはり高い
私が
「はい、じゃあ、おしまい」
となったとき。家内がそれはそれは上品な女性店員に言った。
「これで、お願いします。」
「なに馬鹿なことを言っている。そもそもお金持ってないし。」
「私のお金があるから買ってあげる」
それは、家内のその時1年間貯めた内職のほぼ全額だった。
「俺はいらない。そもそも付けないし。」
「あなた、人に付けさせているのだから自分も付けた方がいいから。」
「、、、。」
結局、買ってもらわされた。
私の薬指で光る指輪をみて言った。
「こんな高いの、、勿体ないよ。」
家内は
「これであなたが手に入るなら安いものよ。」
彼女は少しうやうやしく、私の指にそれを付けながら、ニヤリと笑ってこう言った。
「これで、あなたは私の奴隷よ。」
「、、、あなたの奴隷なら、、それも悪くないな」
愛って言葉で言うと何だか臭いけど、
イエスキリストはそれゆえに、全てを捨てて
実際に見える形で人となられて30年以上この地上で過ごされた。
”確かに不自由な中にこそ自由が有る”
と思うときがある。
エデンの園もそうだったと思うが、神の与えてくださる愛という『枠』は
決して窮屈なモノではなく私の自由を奪うものではないという事です。
指輪の金の部分はだいぶすり切れて消えてきたが
今も私の指には、その指輪がある。
今は決して嫌々付けている訳でもありません。
それはまるで、元からあった 私の一部の様です。
⑤まとめです。
もちろん彼女の指に、今日も指輪があります。
じゃまにならないシンプルなものというリクエストで長野に来てから私が水道管の残りで作った物だけど(一応鉄管でなく真鍮)
いつかちゃんとした物を買ってと思っていたのだが、
彼女はそれで十分と言っていた(今も)。
結婚20年に小さなダイヤの指輪をプレゼントした事があるが、そちらは付けないでネックレスにして使っているようだ。
私たちは性格も考え方も本当に違う。
一言でいうなら、私は自分の効率優先で、逆に家内はゆとりをもって、良しとする。
ゆとりを作る為に1円でもやすい食材を探して買う彼女に、
突然(しかも定期的に)高額な必需品でもないモノを買う旦那(「俺には必要なんだ!」などと孫息子の様に、、)
最近は彼女もそんな私の効率を少し理解してくれた(かもしれない)、
私も彼女の影響を受けて少しはゆとりを持ってきたのかもしれないと感じます。
連れ添ううちに夫婦は何故か似てくるものだ。
だからこそ結婚には、また一人とは違った価値があると思っています。
ですが、最近は私に似すぎて困ることも、、
「あなたが私をこんな風にしたのよ。」
うーん、、結婚は実に奥が深い
またまた長文 ありがとうございました。

2016年2月7日日曜日

想い出

 チーコらが泊まってくれ、以前(10年は前だね)の事を思いだしました。
その頃のブログでチーコの事も私目線だけど家出シリーズの④に書いた事がありました)。

http://dennkiya.blogspot.jp/2010/04/blog-post_09.html#comment-form
2010年4月9日金曜日投稿者 電気屋 投稿時刻: 5:38

超長文ですが、すこーしだけ手直ししてここに掲載させて頂きます。
時間とご興味と根気のある方はよかったら読んでください。




私は家出を奨励している。
旅でも良いのだが、基本、家庭や社会は応援しない。
決して喜ぶべき事では無いが、私の回りにはそれなりにいる(いた)。
家族の辛さや、心配、事件に巻き込まれるリスクを知っていても
家出はまだいい方の選択だと思っている。
もちろん、何も問題なく育ってくれるなら親としては楽ではあるが、
生きている限り問題は無くならない。
どうしようもないときには、自暴自棄になった行動をするより、
何年か、せめてひと月でもその場から逃げる(離れてみる)ことも、
どうか優しく周りで受け止めて頂けたらと思う。
逃げるって私の中では留まるより、ずっと前向きである。

私は高校卒業を控えた頃、

「どこかで生きていくから探さないで」

と手紙を置いて家を出た。
今でもその時の事は鮮明に覚えている。
バイクにリヤカーを付け、着替えや富山の薬箱まで積んでいった。
霙の中ただ寒く南を目指した。
寝るところは神社や解体を待つ車の中。
最後は山口県警に補導され豚箱に入れられたが、
そこがその旅で一番快適だったという皮肉みたいな話。
扇形の宿坊で看守はバームクーヘンの部屋の中心部で見張っている。
各部屋は綺麗にケーキカットされた小部屋になっていて、私は「8号」と呼ばれた。
夜中に新人がぶち込まれて来て、隣人である人生の先人達は興味津々だ。
「どこから来た(小声で)」 「...能登から」
「何したんだ」  「...家出」
「親を心配させちゃいけねぇぜ」「はい(お前に言われたくないわ!←内心)」
「(キッパリした発音で律する様に)私語禁止←(看守)」

更に小声でお隣さん(多分7号)はささやいた。
「いつまでいるんだ」「多分明日」
「そっか」と言った彼の声はなんだか少し寂しそうだった。

最近は家出するその「家」と言う形が無い家庭が有ると聞いた。
悲しい事実だが、それでも私は言う若者達「エクソダスしろ」
ジョー矢吹のようにバッグ一つ持って、歩き出せ
そこの荒野で叫ぶものの、声を聞け
私は青少年、少女の(健全な)家出を応援している。
あなたを、何一つ不自由ない生活を与え、
何よりもあなたを不自由にさせるものから出ろ
そこには様々な危険が待っているだろう。
でも、どこにいたって、あなたを応援して下さる方はいる

大切な事だからもう一度言います。

「エクソダスしろ」




私が南に向かっている頃、父達は 私の部屋の手紙を手に東京へ向かっていた。
あなたは浜辺で声をかけられた(ナンパ)男の子の両親が突然訪ねて来たらどう思います。(やめてー)
恥ずかしくてその後2度と彼女には会っていないです。
家出にはその様な様々なリスクがあります。

ただ、あのとき、家出しなければ、自殺か殺人も可能性があった、
実際2度ほど殺されかけた。当時の仲間内には今も精神に障害が残った。

「勘弁してくれよ、こんな死に方」

と知らない方に祈る様に呟いた事もある。
学校関係者(特に先生)は当てにならない。
そう思っていただけではない。
以前から見てきたし、そもそも私の問題は教員関係者の親から発している。
彼らの前で私が血だらけになっても教員である彼らはそれを決して問題にしたくないのだ。

確かに、家出した先にも問題はある。
問題は無くならない。時間稼ぎにしかならないかも知れない。
それ以上の問題が起こるかも知れない。
私の父は私が帰ってくる日まで布団で横になることは無かったと聞いた。

「どんな寒いところでいるかもしれないのに、ねとられるか」

みんなが家出する必用はないとは思う。
でももし大人でも旅に出れるなら、、
小学生にも旅をする事は出来ると思う。
年を重ねた方にはその父と母を離れるためにも、
「家出」それは、反抗期をのがした「良い子」の最後の砦である。

かわいい子には、旅をさせよ
それは一理あると思う、そして旅ならいつか
父の家に、帰って来てほしい。
例え家が無くても、父が無くとも誠の父はいる。

「 私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。」聖書より




ある朝、娘の部屋には手紙だけがあった。
3日目に探し出し、同い年の女の子のアパートの前で張り込み、連れ帰った。
私は「聖書」を開き、この様に書いてあること
それを私が守ってきた事を、とくと聞かせた。
大きな声で私は

「どうだ、お父さんの言っていることが間違っているか」

小さな声、、しかし、はっきり

「間違ってない。お父さんは正しい、、、、、
でも私は守れない、だから、出てい、く、、」

私は本当に自分の耳を疑った。ここは

「ごめんなさい。私は悪い娘でした。心を入れ替えて、、」

そう言って抱きあう親子の感動のシーンだろ?

「じゃあ、今すぐ出ていけ。夜中にこっそりと出るのではなく昼堂々とお前の足で出ていけ」(自分も夜こっそりと出たのだが)

「うん」

そういって娘はスーツケース一つだけ、もって家を出ていった。
今も、あの時の後ろ姿を想像するだけで、自分の愚かさに胸が熱くなる。

それから数ヶ月、あのときほど祈ったことはない、それしかできないのだ。
ただ、祈るだけではなく、具体的に日にちを決めて祈った。「この日には帰ってくる」
人は実際経験してみないとほとんど理解出来ない所がある。
私は子供によって神の愛がどれほどであり
私がどれほど愛の無い者であるかを知らされる経験となるそんな時間でした。

私たちの祈りを主である神は聞いてくださり、12月25日に娘は帰って来た。
それはお盆と正月とクリスマスが一緒に来た様な日だった。
居なくなった我が子が帰ってきたのだから
そして実はそれからが古い自分との戦いでもありました(幸いな事です)。

主のなさることは、本当に時にかなって美しい。
それを、私は 今日も見せていただいている。




娘が帰ってきて半年くらい過ぎた頃、
娘と同い年で、幼稚園が一緒だった子が家に来ることになった。
その子の父は再婚にも失敗し、母は、別の家庭をもって行き場もない。
娘にメールか電話していたのだろう、私に話が来たので電話で聞くと

「父親に殺される(←個人的記憶です。結構いいお父さんでもあります)。」

私が彼女の親に連絡しての家出
出来ればずっといても良かった。
裏山のタケノコを掘って暮らしていたと聞いた彼女に少しでも良い思いをさせてあげたかった。
私が長野に引っ越してからの12年能登でどの様に暮らしてきたのだろう

その時の私は、とにかくお金が無かった。
勤め人は、大変だが、来月のあてがある。
神はその時私に、務めることは、話されなかったし、
私はローンはしない事を神の前に置いていた。

金銭的には頭で考えてどうみても、もってあと2ヶ月、、
自分の家族を両方の実家に、戻してお願いする事も考えに浮かぶ(私はホームレスになる予定だった)
でもあの子はどうする、、、
今、仕事が無いという事は、=この後お金が入らない事、
悪い思いがどんどん支配してくる。せめて下の娘も中学だけは卒業させてやりたい。
そうすれば、一人でも生きていけるだろう。

「お願い神様(こんな時だけマジ真剣←「日頃からそうしろよ!」という突込みは無しで)」

冷蔵庫を何度も開けてまだ食べるモノは少しある。
ガソスタでは財布の金額を計算して

「10Lでお願いします。(当時セルフは無かった)」

スーパーの買い物に汗が出る。
何度も財布の中とカートに載せたバスケットの中身の金額を計算する、

情けない、、、、

稼ぎのない男=無能な男に見える
子供達は互いに

「もう2ロールしか無いんだから少しで、、」

とトイレの前で長女がペーパーの無駄をしない様にチビに話している。
全ての持ち金合わせて最後の一万円が無くなったら『解散』する気持ちだった。
そんな深刻な時、ある方から電話があった。

「ちょっと、用があるので来て」

何年ぶりだろうか、もう覚えてない。
大工としてその人の家を建てたが、当時私の上司でもあった宣教師とのトラブルでそれっきり
正直、彼らの所に行くのは気が乗らなかった。
どうせ前の様に、役に立たない様な何か物おしつけて、そんな事だ。

次の朝、娘の申し訳ない様な声で必用なお金を持たせたら、
あと残りは1万円になった。

する事もなく私はアポも取らず、その人の家に行った。

『いないならそれで良い、私はとにかく行ったんだから』

そう、自分に言い聞かせたかった、、が、残念ながらいた。
その後、、長ーい-どうでもいい話、変わってないなぁー、この人、、
電話でオレを呼びつけておいて、、この人の神経はどうなっているんだろう、、

「で、今日の用事はなんですか」

「そうだった、あなたにコレを渡す為に呼んだんでした」

差し出された茶封筒、

図書券?、、せめてビール券なら、換金すれば少しは、、
と思って、受け取り中を見ると一万円札が何枚か入っている、、。

「えっ、、これは、、」

顔を見上げると彼女は満面の笑顔で

「実は先月まとまったお金が入り、十分の一を教会に献金しようと思ったが、
主は”まて”と。それでこのお金は何処に行くのかと思っていた。
昨日祈っていたら貴方の顔が浮かんだそれで電話した」

さすがに魂が震えた。
彼女は更に

「ただし、一つだけ条件が有ります。この事は誰にも話さないで、誉れは地上ではいらないから」

まだ心は震えていたまま、受け取り相応しいかわからないけど
とりあえずだけでも『ありがとう』と、言おうとするとそれを察して

「私に言う必用は無い、これは神のお金だから」

それから何年かたって彼女の旦那とその話をした(旦那にも話してなかった)。
彼はそうですかと言った後ポツリとこう話した

「彼女は、一度、この人の事を祈ると決めるとその人の名前をノートに書いて毎日
毎日最後のその日まで、その人の為に欠かさず祈っていました。」

サンキュ 神様に主イエスに従ってくれて、
そしてこんな私の為にも 祈ってくれてありがとう。
その娘は今、長野で結婚して、今ではお母さんをやってます(現在3人)。
いいよな、 貴方は今、直接イエスといる。
約束したけどこうしてブログに書きました。
そして ごめんなさい、ここに書かせてもらいました。
でももう地上には貴方はいないから許してください。
今は彼女の旦那さんも天にいます。

神様、貴方は本当に生きていて今日も約束を守られ豊に与えてくださいます。

私も彼の(神の)舞台にこうして出演させてもらいながら
いつも貴方の書いたストーリーには泣かされてます。



⑤まとめです。

この雲をつかむような世にあって、風に吹きまわされるような日々
完全な家庭は地上には無く、この地の上には永遠の家がない。
イエスキリスト彼が何者であるか。
それは自分を知ることでもあると経験は教えてくれる。

イエスを信じてから22年程(現在28年目?)。
それ以前の人生にもそれなりの満足もあり、
いい家庭を持ち 十分な楽しみもありました。
私が神を必要とする状況は私の知る限り何もありませんでした。
健康で働く喜びもあり 自分の人生に何ら問題も感じてなかった。
私がイエスは何者であるかを知ろうとしたことは、

今思い返しても、それはまるで、心の深いところで何かが私を突き動かした、ようだった。
私が主を信じてから一度もイエスを信じた事を後悔したことは私はない。
ある方の言葉を借りるなら、

「何故もっと早く信じなかったのか、それが唯一の後悔」

うーん、それもあるかもしれないが、全てに主の時があります。
あのタイミングで、あの方法でしか、私はイエスが何者なのか知ることは無かった。
そしてそれが良かったと思っています。

『それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。』聖書、創世記より

この奥義は深い、私は主によってある意味人生で2度目の家出をする事になる。

「とうちゃん、、オレ長野、行くわ。」

その言葉を私に言わせたのは聖霊の力しかない
『勘当』 捨てる父あれば拾う父あり 、それがなければ今の私もない。

私は何度も失敗してきました。
でも、神に従って失敗したときは一度もない
神は私に、バチを当てたり、蹴ったり、私を奈落の底に突き落としたことは一度も無い
神は私を完膚無きまでに打ちのめし、罵った事も無い
逆にそうならないために彼自身が黄泉に下られた、そんな方です。
いつも、どんな時もイエスは私に良いことしかなさらない。

私は、特に主にある家出を応援している。
乱暴な言い方をするならイエスも家出した。
放蕩息子のように全てを与えつくされた。
貴方が本当の父の家に戻るなら、その旅の終わりには父自身が貴方の為に祝宴を用意して待っていてくださる方がいる。

『あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――あなたの子らは自分の国に帰って来る。』聖書


私は家出を奨励している
イエスと共に旅をしよう。そしていつか父の家に帰ろう。
イエスのように、反抗する息子でなく従順な息子として帰ろう。
そこに私の想いも、そこにイエスが建ててくれた私の家もあるのだから。

『見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。
その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。
彼らは大集団をなして、ここに帰る。』

『彼らは泣きながらやって来る。
わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。
わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。
わたしはイスラエル(神の国)の父となろう』聖書

長文、最後まで読んで頂きありがとうございます。
どうぞ末永くご健勝で生きてください。
そして、既に大人になったあなたにお伝えします。

旅に出ましょう。
そして全ての人が、魂の父である神の元に帰りましょう。
そこが 貴方の誠の安住の故郷であり、
そこに あなたの誠の住まいがあります。

2016年2月5日金曜日

祝R100GS予備検所得&テストライド

 BMWR100GSは無事予備険を所得、
後は4月の2日にナンバーを貰いに行くだけでハレて公道を走れます。
半年ぶりの車検場ラインは、緊張した訳でも無かったのですが、
ダメダメで(マシンはOK)2度程戻ってリセットさせて頂きました(例外的処置)。
ただ、ハンドルが替えられてあったからか以前の書類上の全幅780mmが820mmあり計測のラインも通る事に、、(結果実測で30kg軽くなっている事はスゴイ!以前はパニアも付けて測定したのか?)

ただバイクのラインもそうだけど、計測は検査官が手が空いた時にやるのか1時間近く待たされることに、、
それでも事実上受かったも同然でしたので、
気分よく寒風吹き抜ける計測ライン上にいると
隣のバイクレーンに一台のバイクが、、みるとBMWK1300ピッカピカです。
乗車しているのもバイク界では赤男爵として知られるメカニック
問題の光軸検査で両手と書類でヘッドライトを隠し何とか「○」を得ようと頑張るのですが2回やってやっぱり「×」
私はと言えば今回ヘッドライトを交換したのでもちろん光軸は合ってません。
無理なら近くのバイク屋さんで調整してもらおうとおもいつつも2000円が勿体ないので
直前で車検場のビルの壁にハイビームで照射、わずかでも上向きでもアウトなので目測でチョイ下がりでセット
「ファイトー イっぱーつ」で「○」ゲットです。
まあこれは偶然でしょうがこっちとら古いのに何か優越感

その後、何とか赤男爵のBMWも「○」を貰った後、なにやら検査官とバイクの下に潜って探している様子
あんまり熱心に本社に電話したりスマホで検索しているので、聞いてみると「エンジン型式の刻印場所が不明」との事

「外車はトンデモナイ所にあったりするからねー」
「そうなんですよねー」
「BMもKシリーズは少数で異端的だけど、ドゥカやアグスタなんか困るでしょ」
「ドゥカもアグスタも最低ですよ。ハーレーなんか可愛く見えてきます。」
「意外とハーレーは普通だよね。ところでわたしのBMの方は書類に「型式不明」って明記してあるけどそれじゃダメなのかな?」
「それだけ古いとイイんですがこっちは新しいからダメなんですよ。」
「大変だね」って

彼があんまり熱心に探しているし(もちろん仕事だから)こっちも暇だから
一緒になって探してみたら右側のフレームのステーの裏の奥に小さなプレートを発見

「これじゃね?」
「んっ、えっ、あっ、これです、これでいいです。ホントありがとうございます。これで帰れます。」
「いやいや、、よかった。じゃあ、また。」

なんかそういって別れた後、今度はマジにちょっと誇らしかったけど
本当は、たまたま(真実は、神様がそのキッカケをくれて)見つけただけで俺は暇だっただけで、特別、何もしてないんだよね。


そして今日テストライドです。
車検自体は走れるという最低のチェックに合格しただけで、安全に楽しく走れるかはまた別だから実際に定速の取り回しの違和感や、高速でのブレなどを見ないと怖い

そんなテストに最適だと思っているのがダートでのってみる事
あぁ、何と楽しいテストだこと
学校でもそうだったなら(←そんなワケあるか!)
だけど声にしていいますよ

「昨日も今日もサンキュー、神様。
  これからも、またよろしく!」












2016年2月1日月曜日

R100GS完成(?)

 タンクはバイクの顔の様な所があって
全体のイメージ決定に大きな影響を持つ
今までバイクを沢山いじってきて感じるのは、そのメーカーにはその作り手のモノがしっくりくるという事
だから最終的にはハンス.ムートがデザインした事でも有名な2本サスのR100RSのタンクに落ち着いた。
買った時のタンクもR100RSの物だろうけどそちらはモノサス用で22ℓ、こちらは内側の型が違っていて24ℓ入ります。
たったこれだけの違いのタンクをフィットさせるだけでも2日程
合計で6種類のタンク、3種類のシート
そのほか自分の中の好きなパーツを
まだこの世界に存在してないイメージを
実際に形にしていく
何日もかけて 「これがイイ」
「これもイイ」
そして最後に
「見て~これが非常にイイ」
となる6日間で全てを造られた私の主の気持ちをすこーしだけ味あわせて頂く感じ
いわゆるビックバイクは雪上を走る事は緊張と恐怖以外の何物でもないのだけど
コイツは普通のオフ車の様に走ってくれる。
明後日は車検ラインの予約をしてみた
無事通過出来るかそれもまたチャレンジ
明日は大事な予定もあるから今日はこれくらいで